TEXT:三浦祥兒(MIURA Shoji)
トルクの表記はSI単位でNm(ニュートン・メートル)に統一されつつあるけれど、分かりやすいのは旧来のkgm・fだと感じる。ある重さのものを一定の距離動かすための「力」と分かるからだ。「力」と表記したが、純粋な力の単位はN(ニュートン)であって、トルクはあくまで軸を回転させるモーメントである。クランクシャフトを回す「力」を表現するにふさわしい。
馬力もまたkW(キロワット)表示に収斂しているが、これまたできればHP(フランス馬力)単位がヨロシイ。何故なら75kgm・f/s=1HPと、トルクとの相関関係を表現しているからだ。表示単位から明らかなように、馬力とはあるトルクを1秒という単位時間に発生させるエネルギーであり、日本語に直せば「仕事率」となる。
同じ75kgm・fというトルクを1秒ではなく2秒で発生すれば0.5HPであり、0.5秒ならば2HPということになる。これを自動車の動きにあてはめれば、加速力が早ければ馬力が大きいと同義だ。つまり加速がよい自動車(エンジン)は馬力が大きくなければならない、ということ。「ゼロヨンのような加速勝負はトルクが効く」というまことしやかな言説は大嘘だというわけである。
けれどこのような都市伝説が未だにはびこるのは、あながち大嘘と言い切れない部分があるからだ。
75kgm・fを1秒で発生させるのが1HPならば、150kgm・fを2秒で発生しても1HP。言い換えればトルクを上げれば回転数を抑えても同じ馬力が出るということになる。重要だと思うのは、「同じ馬力を出すならトルクが大きい方がよい」ということ。レシプロエンジンは原理上回転数を上げるほど馬力が増えるけれど、回転数を上げるだけフリクションが増す。動弁系やコンロッドの強度も必要になる。だったら排気量を上げるなり、過給するなりで素のトルクを上げてユルユル回す方が得だという考え方があって不思議ではない。
自動車におけるトルクの扱いが面倒なのは、トランスミッションのせいでもある。
エンジンが発生するトルクの絶対値は概ね実効排気量に依存するから、2ℓエンジンのトルク発生値はどれも似たようなものになる。だが、それだけではクルマを動かすには不足なので、トランスミッションとファイナルギヤを使って減速=トルクを増幅してやる。するとクランク軸で20kgm・fだったトルクは車軸に至っては10数倍になるのだ。
自動車はタイヤが回って初めて移動するのであり、力や加速を感ずるのもエンジンではなく、タイヤを回した結果だ。だから軽自動車エンジンのショボいトルクでも、5万回転で回して更に減速比を20以上とかに採れば、死ぬほど加速するクルマになる。それができないのは、エンジンの回転数上限に物理上とコスト面の制約があるのと同時に、トランスミッションの異常な多段化に意味がないことにもよる。
電動モーターの場合、事情はかなり異なる。
種類によって異なるが、モーターは大抵回ると同時に最大トルクを発生し、同じ様な体積・重量のエンジンよりトルク発生値も数段大きい。故にトランスミッションを必要としないのでEVの加速はシームレスで力強く感じる。回転数とともにトルク(電流値)が減少する特性をカバーするために、制御である程度の領域まで定トルク特性を持たせているので尚更だ。
これだけ捉えると「やっぱり加速はトルクだぜ」と言いたくなるけれど、モーターは基本的に「定出力特性」であり、回転数増加(時間経過)に伴って馬力が増えるエンジンと違って、初っぱなから最大出力を発揮するから速い、ということを忘れてはならない。
細かいハナシを抜きにすれば、馬力とは「トルク×回転数」である。トルクが少なければ回転数で、回転を抑えたければトルクで稼ぐ。要はどちらを主体と見るかの問題だ。少ないトルクを超高回転と多段ミッションで出力担保するのか、有り余るトルクを3段程度の変速で賄うのかは、流儀の問題と言ってよい。ただ、昨今ではエンジンの回転数をなるべく抑えることで、燃費を稼ぐようになってきているから、原資であるトルクは多い方がよい流れにはなってきている。
つまりこういうことだ。トルクは「前提条件」、馬力は「結果」。同じ重さのものを持ち上げるのに、ヨッコラショと数秒かけて持ち上げるのと、ヒョイと瞬間的にするのでは違うということ。トルクがなければ何も動かないが、馬力がなければ速くは動かせないのだ。