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バラ科 (Rosaceae) といえば、世界に2500種以上が知られる大きなグループで、リンゴやナシ、モモ、ビワ、サクランボ、イチゴなどのおなじみの果物の他、サクラやウメ、ヤマブキなどの古くから日本でも親しまれてきた花木もバラ科なのはご存じのとおりです。
しかし狭義でいう「バラ(薔薇)」はその中のバラ属(Rosa)に含まれる植物群のこと。
自生種は全世界に分布しますが、古代より、特にヨーロッパと小アジア(現在のトルコ共和国の一部となるアナトリア半島)付近で、主に香料採取のために栽培されてきました。
100種以上、200種近くにもなるといわれるバラの原種の中で、栽培バラの展開に直接関与してきたバラ種は、わずか8種と考えられています。
古代ペルシャのマギ僧(マジシャン)の祭儀にその香料が利用されることから栽培育成が始まったともいわれ、現在の品種の元となったオールドローズの祖型的存在であるフレンチローズの原種となったロサ・ガリカ、13世紀の十字軍遠征とともにヨーロッパに持ち帰られ、現在もブルガリアやトルコなどで重要な産業として香料用に広く栽培されているダマスクローズの原種となったと推測されているロサ・フォエニキア、これらとの交雑が新たな栽培種の親種となったとされるロサ・カニナ、北アフリカや地中管沿岸で栽培され、クレオパトラに愛されたともされるものの、その原産地はヒマラヤ地方かもしれないとされるロサ・モスカタの4種が、古代ヨーロッパ、西アジア、北アフリカで盛んに栽培され、ローマ帝国の拡大とともに広がりました。
しかし、この当時のバラは小花で、花びらを散らして楽しむなど日本の桜の花見のような楽しみ方もあったものの、バラから抽出する香料こそが高値で取引される貴重品でした。そしてこれらの花のほとんどは、初夏のみに咲く一期咲きでした。
15世紀の中世イングランドで勃発したヨーク王家とランカスター王家による内乱・薔薇戦争(War of the Roses)。ヨーク家の紋章の白バラは野バラの一種(ロサ・アルバと推定されています)であり、それに対抗して採用されたランカスター家の紋章の赤バラは、当時のヨーロッパには赤いバラ自体が存在せず、ピンク色のロサ・ケンティフォーリアを赤に見立てたと考えられています。
ケンティフォーリアは当時としては豪華な八重咲きで、くしゅくしゅっとした花びらが密になるカップ型の素朴な花姿は、別名である「キャベツ・ローズ」からも想像できるのではないでしょうか。
ケンティフォーリアはイランからオランダ、フランスを経てイギリスに渡ったもので、17世紀から18世紀の、あのブルボン王朝時代のマリー・アントワネットの肖像にもバラを手にする有名な肖像画がありますが、これもケンティフォーリアと思われます。ヴェルサイユ宮殿の庭園に咲き誇っていたバラも、今とはだいぶイメージがちがうものだったのです。
ヨーロッパのバラに革命をもたらしたのが中国原産の庚申薔薇(ロサ・キネンシス)と、ロサ・ギガンティアでした。ロサ・キネンシスは、後にティー系統(ティー・ローズ)の名前の由来となる紅茶香と、四季咲きの性質をもたらし、ロサ・ギガンティアは花弁にバラ特有の剣弁高芯咲きをもたらしました。
私たちがよく知る大輪のバラ。花の中心付近の花弁が盛り上がって立体的になり、さらに花弁の縁が外側にカールし、それによって花弁芯がとがる独特の形状は、バラにまるで高級布地で縫製されたドレスが織りなすドレープのような気品とニュアンスを与え、他の花の追随を許さない高級感を付与します。
1867年、フランスのバラ育成家・ギヨー(Guillot)が作出したラ・フランス(La France)こそは、現代バラに通ずるその特徴が完成された品種でした。ティー・ローズの四季咲き性質をハイブリッド・パーペチュアルの耐寒性・強健性をかけあわせて完全なものにし、薫り高い本来のダマスクローズ系に、フルーツ香や紅茶香を合わせた高貴な香りを創出し、その優美な剣弁とグラデーションがかかったモスピンクの花色は、バラがオールドローズの時代からモダンローズの時代の幕開けを告げるものであり、この花によってハイブリッド・ティー系が誕生したといわれます。
さらに、東アジアに分布するテリハノイバラが、それまでの株立ちのみだった栽培薔薇にツルバラ系統をもたらしました。そして日本全土に広く自生するノイバラが房咲きの性質をもたらし、ポリアンサ系といわれる現代バラの重要な系統を生み出します。
ポリアンサ系は、キネンシスから生み出された大輪のティー系とパイブリッド・バーぺチュアルから生み出されたハイブリッド・ティーと掛け合わされ、房咲きと大輪、豊かな色彩と形態の幅広さを持ち、現代バラのもっとも重要な系統の一つであるフロリバンダ系へと発展します。
19世紀後半から20世紀前半にかけてのバラ品種の開発と発展以降、花色にも鮮やかな黄色や青色色素を含む種など、さまざまな品種改良がなされ、バラは私たちが知るあの目もくらむような美しい園芸種へと変貌をとげたのでした。
庭園の華やかなバラも良いのですが、ちょうど今頃の5~6月、その栽培バラたちの祖先の重要な一種となったノイバラ(野茨 Rosa Multiflora)が、全国の野原、土手などで花盛りを迎えています。
周囲の灌木や草木に絡みついて、よじ登るように成長する落葉低木で、高い植物が周囲にない時には一面にべったりと広がる様子も見られます。
枝先に円錐状の花序を出して、たくさんの五弁の花を咲かせます。花色は白ですが、薄桃色の変種も見られます。ヤブイバラ、ヤマイバラ、モリイバラなどの亜種も地域分布しています。高い香りに吸い寄せられてハナバチやチョウも盛んに訪れ、黄色い雄しべとあいまって、無数の花が群がる様は初夏の野辺ののどかな点景です。
しかし、たいてい人通りのない寂しい郊外や荒地に繁茂するためか、バラ属特有の鋭いとげのためか、そのイメージは日本文学ではどこか寂寥感をもって謳われています。
「ばら」の語源となるのは「うばら」「うまら」と考えられ、とげのある植物の
総称でした。万葉集では、ミカン科のカラタチを含めて「棘原(うばら)」と詠んでいます。
古里は 西も東も茨(ばら)の花 一茶
江戸時代のこの発句は、現代になぞらえますと、どの家々もきれいなバラの花を仕立てていて美しいことだ、という意味にも取られてしまいそうですが、そういうことではなく、荒れ果てて人通りも少ない原野に、一面ノイバラばかりがはびこっている、その茫漠とした様を謳ったものです。やはり日本では、西洋からバラが移入されるまでは、バラの栽培種不毛地帯だったようです。
江戸時代には園芸大国で、ありとあらゆる植物を栽培して発展させた日本人が、バラに関してはまったく手をつけずにいたのは不思議な気がしますが、同じバラ科のサクラに夢中になりすぎて、バラはまったくノーマークだった、というところなのかもしれません。
参照
植物の世界 朝日新聞社
万葉の植物 松田修 保育社
1,600品種 10,000株のバラが咲く 京成バラ園