記録的な暖かさだった3月。異例の早さで桜前線は列島を北へと駆け上がっていきました。けれども花の春はまだまだこれからが本番。春の初め、まず地面にへばりつくように丈の低い花々が咲き始めますが、初夏にかけていよいよその種類と数を増して賑やかになっていきます。
仲春に見られる足元の身近な小さな花々をいくつかご紹介しましょう。

オオイヌノフグリ


青い星はイースターのシンボル。「オオイヌノフグリ」

筆者が中学生の頃、まだ冬景色の早春の田舎道。自転車で通りがかった際、ふと森の縁の開けた畑の脇の土手に、青い宝石をちりばめたような小さな花の群生に目をひきつけられました。近づいてみるとそれはオオイヌノフグリの群生で、曇天の弱々しい光の中で、きらきら輝いているように見えました。気をつけて見ると、別の場所にはピンク色の花、白い花、黄色の花の群落があちこちに。野の花にすっかり魅せられてしまい、それ以来、野の花の世界にはまっています。
オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢 Veronica persica)は、オオバコ科クワガタソウ属に属する冬型一年草(越年性草本)で、田畑のあぜ道や土手、空き地や公園などでしばしば大群落を作ります。原産地はヨーロッパで、明治時代初期に渡来して東京で定着が確認されて以降、全国に急速に繁殖拡大しました。身近に見られる美しい蒼い花ということで、人気や知名度も高い花です。
奇妙な和名は日本の在来種のイヌノフグリの大型種ということで名づけられましたが、薄紫色に濃いピンクの筋が入る当のイヌノフグリ(犬の陰嚢 Veronica poltita var. lilacina)はオオイヌノフグリに駆逐され(都市化による人為的原因ともいわれます)、ほとんど見ることが出来なくなってしまいました。ところがどうも近年、あれだけ大繁栄していたオオイヌノフグリが、生息域がかぶるホトケノザに押されつつあり、かつてほど群落を作ることが減っている傾向が見られます。
花弁は4枚で上を向いて咲き、花の中心部が白く、外縁部は寒色系の青で、藍色の濃い縦筋が入ります。チョウやハチなどもひきつけますが、地上性の昆虫、特にアリが好むエライオソーム (Elaiosome) を分泌するために、アリが盛んに訪れて種子を拡散し、分布域は順調に広がります。
Veronicaという種名は磔刑に処せられる際、十字架を背負って歩くキリストに歩み寄って自身のヴェールでキリストの額の血と汗をぬぐったという伝説を持つ聖ヴェロニカ(Veronica)にちなみます。ヴェロニカのヴェールにはキリストの顔が転写されたという伝説があり、ヨーロッパではオオイヌノフグリの花の中にキリストの顔が浮き上がっている、という信仰があります。今年のイースターは4月4日でしたが、復活祭前後に咲くこの小さな春の花はそのシンボルだったのでしょう。

春浅い野原では特に青い宝石が散らばるようにキラキラしています


野の饗宴のケーキスタンド?「ホトケノザ」

オオイヌノフグリと競いあうように早春から初夏の野に目立って繁茂するのがホトケノザ(仏の座  Lamium amplexicaule)です。シソ科オドリコソウ属に属する一年草または冬型一年草で、オオイヌノフグリと同様、エライオソームを分泌して、アリに種子を運ばせて、さまざまな場所に進出し群落を作ります。
葉は円形をなし、地上付近の基部には柄がありますが、立ち上がった上部の葉には柄がなく、対生の葉が茎に直結して茎を囲むようなテーブル状になります。
このため、段々になったケーキスタンドのような独特の形姿をかたちづくり、その姿を階層に見立てて「三階草(さんがいそう)」とも言われます。
「ホトケノザ」という名も、丸い台座状の葉を仏像の座る蓮華座に見立てて名づけられたものです。またこれを容器の蓋に見立てて「宝蓋草(ほうがいそう)」という別名も持ちます。
復活祭と花祭りはともに春の訪れの祝祭であり、キリストの顔が浮かび上がるオオイヌノフグリと仏様の蓮台のホトケノザが競演するという対比も面白いですね。
花はその蓮華座のような葉の葉腋から直接ニョッキリと濃桃色の筒状唇形花を輪生させます。
ちなみに「春の七草」のひとつに数えられる「ほとけのざ」は本種ではなくコオニタビラコのことである、という説明が多く見られますが、七草のほとけのざをコオニタビラコとするのは牧野富太郎博士の提唱した仮説であり、春の七草が設定された当時、本当にコオニタビラコが想定されていたとは断言できません。キュウリグサであるとか、後述するキランソウのことだとか、いくつかの説があるのです。

蓮座に喩えられるホトケノザの特異な形姿。花は春が来たー!と万歳してる人にも見えます


「サギゴケ三姉妹」は花がそっくり!「ムラサキサギゴケ」

春から初夏にかけて、やや湿った日当たりの良い場所に翼を広げた鳥にも似た藤色の小さな花の群れを見かけたことはありませんか?それがハエドクソウ科(またはゴマノハグサ科)サギゴケ属のムラサキサギゴケ(紫鷺苔 Mazus miquelii)です。本州、四国、九州に普通に分布する在来種で、サギの翼に見立てた両翼の花弁は明るい紫、中央部にはオレンジ色の斑が入り、色模様はアヤメ類を想起させます。
オレンジの斑は蜜標で、虫に蜜の在り処を知らせる目印です。田の周辺や河川敷の肥沃な土がたまった明るい草地に生えています。長いほふく枝を伸ばして、その先端に新しい株をつけ、シバのようにマット状に広がるため、別名サギシバとも呼ばれます。薄紫の花が一面に広がるさまは、オオイヌノフグリにも匹敵する美しさです。
ムラサキサギゴケとよく似ていて、やや小ぶりで花の色も薄い同属種にトキワハゼがあります。庭や公園の下生え、石垣の隙間や林の縁など、半日陰の場所を好み、住宅地付近ではトキワハゼを多く見かけます。
また、大正時代ごろに移入したとされるツタバウンラン(蔦葉海蘭)もよく似た花を咲かせますが、トキワハゼよりさらに小型で、丸いトキワハゼの葉と異なり、こちらはツタのような掌状に浅く5裂した葉が特徴的です。

ムラサキサギゴケ。サギに喩えられる花の優雅な形と美しい配色


あぜ道を彩る強く美しい花には優れた薬効が。「カキドオシ」

カキドオシ(垣通  Glechoma hederacea subsp. grandis)はシソ科カキドオシ属に属する多年草で、水分の豊富なあぜや湿地、草原を好み、農村などではつる性の茎を伸ばして境界を越えて旺盛に繁茂する生命力の強さから「垣根を越える」=垣通と名づけられました。「垣通」は春の季語にもなっています。
小銭を連想させる丸い葉から「連銭草(れんせんそう)」「銭花(ぜにばな)」、そして優れた薬効で利用されてきたことから「疳取草(かんとりそう)」とも呼ばれます。
日本全土に普通に自生し、3月から5月ごろに薄桃色に濃紅色の斑の入るかわいらしい花を無数につける、春の里山植物の主役の一員です。
薄荷(ハッカ)が属するシソ科は全草に芳香がある種が多く、カキドオシも薄荷に似た芳香があります。古くから優れた薬草として知られ、葉から直接細胞液を摂取したり、お茶として煮出したり酒漬けにするなどして利用します。肝臓疾患や利尿、鎮咳、去痰、糖尿病に優れた効果があるとされ、また副反応もない薬草として、日本生薬学会で正式に薬効が証明されています。ヨーロッパでも「ギル茶」として古くから利用されています。

カキドオシ。優れた薬効で知られます。かわいらしいコインのような葉にも注目


きらめく青紫の星のよう。「キランソウ」

カキドオシと同じくシソ科に属するキランソウ(金瘡小草 Ajuga decumbens)も「医者要らず」「医者殺し」という異名を持つ優れた生薬です。4月から5月に、地面にぴったりと匍匐(ほふく)した草体に濃い青紫のきわめて美しい小さな花を無数につけます。
不思議な名前の由来は明らかではなく諸説ありますが、花、葉が細かく透明な毛に覆われていて、日の光でキラキラと輝いて見えるのでキランソウと名づけられたのではないか、と筆者は考えています。
中国にも類似種が分布し、金瘡小草と呼ばれてやけどや虫刺され、切り傷(金瘡)に高い治癒効果があるとされています。
日当たりの良い場所を好むとされますが、むしろ半日陰の樹下などで見られることのほうが多く、直射日光よりはある程度の湿気を好み、乾燥を嫌う傾向は顕著で、たとえば常に日光にさらされる田のあぜなどではあまり見かけません。ロゼット状の草姿から「地獄の釜の蓋」という異名もあります。
全ては紹介し切れませんが、人知れず咲いている春の身近な美しい小さな花に気づくきっかけになってくれれば幸いです。

(参考・参照)
日本の野草 山と渓谷社
植物の世界 朝日新聞社

全草に細かな毛が生え、ピカピカと輝くように見える美しい濃紫のキランソウ

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 足元に広がる色彩の宇宙。春の小さな野の花を探してみよう