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鳥の鳴き声がきこえるとよく「鳥が囀っている」といいますが、鳥の鳴き声は大きく分けると「囀り」と「地鳴き」のふたつになります。
「囀り」はしきりに鳴くことで、鳥が繁殖期に縄張りを宣言したり、メスへのラブコールをするときの声です。つまり戦闘態勢をとった鬨の声と同じ、だから私たちの耳にもよくきこえてくるのですね。
もう一つの「地鳴き」は繁殖期ではない平和な時に出す普通の声、穏やかで特徴がないのでそれほど私たちの耳にとまらないのかもしれません。
鶯の子の鳴き始めは「笹鳴き」といわれています。
動物はメスよりオスの方が美しいといわれますが、それは男らしさをアピールしてメスを獲得し子孫を残すため。つまり「ホーホケキョ」は鶯のオスにとっての縄張りを守り、メスにアピールをしなければならない大切なもの。だから美しくまた遠くまでとどく囀りが必要というわけなのです。
私たちにとっては春ののどかさを感じる囀りでも、鶯にとっては子孫を残すための闘いの声だったのですね。そんなことを知ってきく今年の鶯の囀りはちょっと切なく響くかもしれません。
「鶯のような声」といわれたことありますか? 鶯の囀りの響きとメロディから耳に心地よく美しく響く声をこんな風にたとえます。鶯の囀りが春を彩ってきたような「鶯のような声」が響く場所に心当たりはありませんか? テレビ中継もされるプロ野球の試合で聞こえる場内アナウンスです。これを担当する女性を「ウグイス嬢」と呼んでいます。スターティングメンバーの紹介に始まり、打席にはいる選手、選手交代のアナウンスをつとめ試合進行を図っていきますが、なんといっても野球ファンにとっては試合を盛り上げてくれる大切な声ですね。
「鶯色」は春の色、和菓子屋さんにならぶ「鶯餅」を見ると春になったと実感するものです。早春のお菓子として表面にまぶした黄緑色のきなこが春の訪れを感じさせます。また形にもこだわり両端を少しとがらせて鶯に似せている点に春のウキウキ感が湧いてきます。少しくらい寒くても春を楽しみに楽しいお茶の時間を過ごせるって嬉しいですね。
でも本来の「鶯色」は鳥の鶯のように黄緑色に少し褐色がかかっています。褐色がもう少し強い「鶯茶」とよばれる渋い色もあります。春を告げる鳥でしたら明るい黄緑色の方がふさわしいような気がしますが、「鶯色」には早春に残る冬の寒さや重さがくすんだ褐色として表現されていると思いませんか。
本当の春はすぐそこに、とはいえまだまだ乗り越えなければならない寒さもあるようですよ。
学問の神さまとしても有名な菅原道真は、貴族としてはそれほど高い家柄とはいえませんでしたが、きらきらと輝く学問の才は天皇から高く買われ右大臣にまで取り立てられました。残念なことにその出世を疎んだ名門藤原氏による事実を曲げた中傷から太宰府へと左遷されてしまいます。その口惜しさの中で詠んだのが次の「鶯」の歌です。
「谷深み春の光のおそければ雪につつめる鶯の声」
ここで道真は雪に覆われて鶯の声もきこえない遅い春を単に嘆いているわけではありません。「春のひかり」という天皇の寵愛を失った自分を雪につつまれた「鶯」にたとえ、罪人として閉じ込められ修めた学問の才を活かせない自分への嘆きが込められているのです。
中国では唐時代から谷に響く鶯の声が早春の詩のテーマとして描かれてきました。同時に「谷の鶯」といえば谷から出られない、出世できずに不遇をかこつ者の隠喩にもなっており、反対に幽谷を出る鶯は出世や昇進を意味していたということです。和漢の詩歌に精通していた道真は、自分はもはや谷を出られない鶯となってしまったことを、雪深い谷の鶯として一首の歌に残したのです。
春を告げる鶯の軽やかな響きに人々はさまざまな思いを重ねてきました。春になってきこえてくる鳥の囀りは新しい生命の息吹です。活き活きとした躍動の裏には切なく悲しい思いも隠れているのですね。
道真を太宰府に配流した後の都は疫病や天災が続きました。人々は道真が怨霊となって都の人々に仕返しに来た祟りだと恐れました。北野天満宮に道真をお祀りし慰めることで鎮まったとされています。その後道真が学問にすぐれていたことから学問の神さまと崇められるようになりました。受験ともなれば多くの学生が努力を重ねさらに御利益を願って各地の天神様へ絵馬の奉納に訪れます。わが身を頼ってやって来る大勢の人々を見ながら、今では道真さんもきっと鶯の初音を楽しんできいていることでしょう。
参考:
『新古今和歌集』日本古典文学全集 小学館