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イチジク(Ficus carica)は、クワ科イチジク属の落葉高木。原生地はアラビア南部の肥沃地帯。そう、あのエデンの園があったとも言われる地域です。それが太古に学名である小アジア=トルコのcarica(カリカ)地方に伝わり、少なくとも紀元前2000年の頃には既にパレスチナや地中海沿岸一帯で広く栽培され、人類最古の栽培果樹と推測されています。もしかしたら、本当に「エデンの園」のモデルとされていた楽園のような土地には、イチジクの木が茂り、実がたわわに実っていたのかもしれません。
漢字で「無花果」と書くように、花を咲かせずにいきなり枝先にしずく型の緑色の実がつくように見えます。しかしこの実に見えるものは花軸の茎が変化したもので、これを花嚢(かのう)といいます。花嚢の中に、無数の種のような小さな花序が、まるで鉱物の内部空洞に形成される水晶クラスターのように空間を埋め尽くしてびっしりとつきます。この独特の花のつき方を隠頭花序と言い、イチジク属(Ficus)の共通する特徴です。めしべやおしべを外部環境と遮断した房室を作る植物は例外なく風媒花ではなく生殖を小動物や虫に託す虫媒花で、かつ特定の虫や小動物との共生・共依存関係を作ります。イチジクが生殖を託し共生のパートナーとして選んだのはイチジクコバチ。その名のとおりイチジクと一対一の厳密な種間関係を形成して、共進化してきたことで夙に有名で、その研究も長くおこなわれてきました。
イチジクには雄株と雌株があり、雌株には雌花のみが咲き、雄株には雄花と雌花の両方が混在して咲きます。花嚢の突端、果実の尻にあたる部分には小さな穴があり、厚い鱗片に覆われていますが、雄株花嚢の雌花が咲いているときにのみ、この鱗片のよろいが弛み、どうにか小さなイチジクコバチが入れるだけの通路が開きます。メスはこの穴から何とか花嚢の内側にこじ入ります。雄株の花嚢の雌花は虫癭花(ちゅうえいか)で、種子は形成せず、しかしその子房組織は栄養豊かで、イチジクコバチはこの雌花の中に卵管を差し込み、一つの雌花に卵を一つずつ産み付けます。そして雌バチはそこで息絶えます。産み付けられた卵は孵化すると雌花の子房を食べて育ち、成虫になって虫癭から出てきます。そして、雄と雌が花嚢の中で交尾します。ちょうどこの時、イチジクの雄花が花粉をつけていて、ハチたちは花粉を体中につけることになります。雄バチは翅もなく、飛べません。受精した雌のために、花嚢から抜け出る穴を開けてそこで息絶えます。雌バチは雄が開けてくれた穴から外に出て、花粉まみれのまま花が咲き始めた雌株の花嚢を目指します。そして花嚢の中に入り込むと、雄株のときに母バチがやったのと同じように雌花に卵を産み付けにかかるのですが、雌株の雌花は虫癭花ではなく、花柱(めしべ)が長く、イチジクコバチの産卵管の長さでは子房に生みつけることが出来ず、卵は生育できません。雌株の花嚢の中で、運んできた花粉で雌花は受粉し、次世代の種子を結実できることになります。そして雌バチは息絶え、花嚢の中で死骸は分解されて果実の滋養となって溶け込むのです。雄株の花嚢をハチのために提供し、そこで生まれたハチが雌株の生殖のためのいけにえとなる…まるで世界系のファンタジーストーリーのような仕組みは、生物の共進化の不思議と驚異を感じずにはいられません。
ただ、その実を食べる人間の側から言うと、「えっ。イチジクの中には死んだハチが入ってるの?」と引いてしまう方もいるかもしれません。もともとイチジクのなかった日本ではイチジクコバチが生息していません。ですから日本のイチジクはもともと雌株のみで、自家結実性をもつように品種改良されています。なので日本のイチジクにコバチが入り込んでいることはありません。次世代のイチジクの木は挿し木や接木で増やすようです。
「イチジク」という名前については、「実が一日一つずつ順番のように熟すさまから一熟」なのだとか、イチジクの異名「映日果」を「えいじつか」と音読みしたものが変化したのだとか一般的には言われますが、どれもちがいます。なぜなら、「いちじく」という名は、江戸時代にイチジクが日本に入ってくる前から、別の在来植物の名として存在していたからです。同じクワ科イチジク属のイヌビワがそれです。牧野植物図鑑では、イヌビワについて「ー名イタプ、イタピ、コイチヂク、古名イチヂグボ」と明確に記されています。万葉集では、イヌビワはチチノミとして大伴家持の長歌に登場します。イチジク属の枝や樹皮を傷つけると、白い乳液が染み出してきます。これを「乳」に見立て、「乳の実」あるいは「乳噴く」と呼んでいたのが語源です。「チチ」という音の最初のT音が取れて「イチ」となる音声変化は、一般的によく見られるもので、イチジク属のイヌビワが、古い時代にイチジクと呼ばれるようになり、やがてその名が同属でより大きな実をつける外来のイチジク(Ficus carica)に転写転用されるようになったのです。
ヨーロッパや西アジア、キリスト教圏でのイチジクの存在感は、比較的イチジクの影が薄い日本人の想像以上です。禁断の木の実を食べ、裸であることが恥ずかしくなったアダムとイブが、その腰を隠すためにつづった腰みのがイチジクの葉だったという創世記のエピソードを皮切りに、聖書には幾度となくイチジクが登場し、その回数は正伝のみでも40を超えます。中東、地中海に広く伝播し、ブドウやザクロやオリーブなどとともに身近な栽培果樹だったのですから当然と言えば当然でしょう。福音書にもイチジクは登場します。ルカ伝では「実がならず切り倒されそうになるイチジクの木」の寓話が出てきます。そして、マルコ伝とマタイ伝には、お腹をすかせたイエスが、イチジクの木に実が生っていないのに腹を立て、「今後この木に実る実を食べるものはいない」と呪い、木はその呪いを受けて枯れてしまったという、ちょっとショッキングなエピソードが記されています。キリスト教徒が信じる「優しいイエス様」とは真逆の、一読すると残忍で身勝手な暴君としか思えないこの話は、深い裏の意味があります。
紀元前五世紀、釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタ(गौतम शिद्धार्थ Gautama Śiddhārtha)は、激しい苦行の後、ガヤー地区のとある木の下で、菩提( बोधि;bodhi)、つまり正覚の智=悟りの境地に至り、仏陀(बुद्ध Buddha)へと生まれ変わったとされます。このため釈迦がそのもとで悟りを得た木は「菩提樹」と呼ばれるようになります。この菩提樹とはインドボダイジュ(天竺菩提樹 Ficus religiosa)で、学名からもおわかりのとおり、Ficusすなわちイチジク属の木なのです。日本では菩提樹というと、中国からの影響でシナノキ科のボダイジュ(Tilia miqueliana または Tilia japonica)になってしまうので、聖書のイチジクの木と釈迦の悟りの木である菩提樹とは結びつきにくいのですが、実はこの二つはほとんど同じ木といえるのです。イチジクは紀元前の世界では、人類に知恵と認識をもたらす木であるとされていたのです。
諸説ありますが、イエスの「ブチギレ」は、それからほどなく自身がゴルゴダの丘で十字架という「木」につるされる「果実」となるキリストの予言であり、イチジク=菩提樹から流れ出る叡智を受け取っていた時代は終わり、十字架の象徴から叡智を受け取る新しい時代が訪れるという宣言だったと解釈されます。
現在の国内流通の大半は、桝井光次郎が1909年にアメリカから持ち帰ったドーフィン種(桝井ドーフィン)が主品種で8割ほどを占めますが、江戸時代・寛永年間(1624~1645年)に伝わった「蓬莱柿」、桝井ドーフィンの突然変異である「サマーレッド」も各地で栽培されています。夏果6~7月)のイチジクは、皮ごと食べられる白イチジク系のキングに代表的なように淡白な味のものが多いのですが、秋果(8月~10月)に出回るイチジクは、濃厚な甘さを誇るセレストブルーやビオレソリエス(Viollette de sollies 別名黒無花果)などが、最近では少ないながらも流通しています。輪切りにしたときのちょっとグロテスクな見た目とくすんだ皮の色から食わず嫌いで敬遠されがちなイチジクですが、桃やメロンのような苦味・刺激も、スイカなどのような青臭さも、南国系フルーツのような臭みも(それらはそれでそれぞれのフルーツの美味しさともなっていますが)なく、日本人好みの優しい癖のない味わいですよ。
参照
植物の世界 (朝日新聞社)
樹木 (富成忠夫 山と渓谷社)
マルコ伝 (R・シュタイナー 市村温司訳 人智学出版社)
イヌビワ,イタビ,イチヂクの語源について (津山倫)