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アカハライモリ(赤腹井守 Cynops pyrrhogaster)は、有尾目イモリ亜科イモリ科トウヨウイモリ属の日本在来の両生類。英語種名はJapanese Fire belly Newt(日本の火の腹のイモリ)で、アカハライモリは別名「ニホンイモリ(日本井守、日本蠑螈)」とも言われます。青森の下北半島以南の日本の各地、流れの緩やかな川や水路、水質のよい池や田などの止水域に生息します。沖縄や奄美群島に住むシリケンイモリ、イボイモリ以外では、「イモリ」と言えば日本ではこの種のみです。体長はオスが8~10cm、メスが10~13cmほど。体色は上面は黒、こげ茶、灰黒色の暗い色で、反面おなか側は、鮮やかな赤もしくは朱色地に、黒いまだら模様が入る(地域によっては星のような白い点が入る個体も)、ぎょっとする派手な色合い。模様は地域によって多様性に富みますが全て同じアカハライモリです。滋賀県や東北など各地にイモリの赤い腹の黒い模様が「南無阿弥陀仏」の文字になっていてイモリは仏の遣いであるとする俗信もあるようです。
イモリは、日本ではほぼオンリーワンの存在であるにもかかわらず、イモリと名前が一字違いで体の大きさもほとんど同じのヤモリと混同されたり、同じ水生両生類のサンショウウオといっしょくたにされがち。
ヤモリはトカゲやヘビの同じ爬虫類で、そもそも別の生き物で生態もまったく異なります。サンショウウオは同じ有尾目で、イモリもサンショウウオから中生代に分岐したため近縁で形態と生態こそ似ていますが、生殖行動や変態の仕組みなど多くの細かな点で異なります(オオサンショウウオという特筆すべき種を含むサンショウウオについては、「わくわく動物ランド」「どうぶつ奇想天外」などの名物解説者、故・千石正一氏は「日本の動物相で至宝と言うべきなのはサンショウウオ」と断言しています。稿を改め、じっくり取り上げたいと思います)。
イモリは幼生のときにはカエルやサンショウウオと同様、おたまじゃくし形でえら呼吸をして魚のように水中で成長します。幼生には枝のように飛び出した鰓と、バランサーという腕のような突起が存在します。成長すると肺呼吸となりますが、サンショウウオのほとんどが生殖産卵のときのみに水中に入るのと異なり、イモリは成体になってもほとんどの時間を水中ですごすという特性があります。水が大好きで常に井戸や湧き水、田んぼの中などにいる様子から、井(井戸、泉、田)を守ってくれる生き物と考えられ「井守」と呼ばれるようになりました。食性は肉食で、水生の節足動物や水辺の虫を盛んに食べます。
おなかの目立つ赤い警戒色は、捕食者に対して毒があることを示す警戒色で、耳腺からフグと同じテトロドトキシンを分泌します。ただし弱毒で、人命に関わるような強い毒ではありません。大きな音などで驚くと、くるっと仰向けになりお腹の警戒色を反射的に晒すという習性があります。また、捕食者に対して、ネコのように尻尾を高く掲げる威嚇行動を取ることもあります。
イモリは、古くより雌雄の黒焼きが媚薬あるいは精力剤と信じられ、民間で服用されてきました。それはイモリが雌雄とも多淫、つまりお盛んだから、ということらしいのですが、実際のイモリは実は交尾という行動をまったくしません。イモリのオスには交接器がないのです。水がぬるんでくる4月ごろから7月ごろにかけて、イモリは繁殖期に入りますが、その繁殖は独特なもの。
繁殖期に入るとオスは、太い尻尾に青紫に輝く婚姻色があらわれます。オスイモリは、水中で他のイモリに出会うと、相手の尻尾の付け根のお尻(総排出腔)をかいで雌雄を識別します。相手が成熟したメスのとき、オスは美しい婚姻色が出た縦に平たく太い尾を付け根から折り曲げ、その先端をゆらゆらとふるわせるディスプレイ行動をします。同時に、オスの総排出腔付近から多数の触手のような毛様突起がにゅるにゅると出てきます。これは肛門腺(外分泌腺)の腹腺から伸びる管状の組織で、その先端からメスを誘引するフェロモンを放出します。メスがオスを受け入れると、オスはメスを先導し、ふらふらとついていくメスに向けて、総排出腔から精子塊を放出します。精子塊は流れに乗ってメスの総排出腔に取り付き、メスの体内へ取り込まれます。そしてメスの体内の卵が漸次受精し、メスは一粒ずつ丁寧に卵を水草に産み付けていきます。
これらの一連の行動で、オスがメスの気を引くために出すフェロモン物質はアミノ酸10残基からなる未知のペプチド類である、とつきとめられ、「ソデフリン(sodefrin)」と名づけられました。ソデフリンとは、万葉集の額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る(巻一・雑歌20)
の「袖振る」から取られています。天智天皇七年卯夏五月五日、蒲生野に遊猟した際に、大海人皇子(後の天武天皇)が額田王に大きく袖を振り合図をするさまを歌った和歌にあやかり名づけられました。オスイモリがその和服の袖のような縦に平たい尾を振り、また毛様突起をゆらゆらとゆらす様子は、「袖振る」にふさわしいように思います。
さらに2017年、今度はメスのオスへの誘引物質が突き止められます。排出腔に近い卵管付近の繊毛細胞でつくられ、総排出腔から水中に随時放出されて生殖期のオスイモリのみが鋤鼻(じょび)器官 (フェロモンの受容部位)で感知されることがわかりました。この物質も、ソデフリンと同様にペプチドで未知の天然物質でした。脊椎動物のメスではじめて発見されたこのフェロモンは「アイモリン(imorin)」と名づけられます。アイモとはimoの英語読みで、由来は額田王の歌への反歌として大海人皇子が詠んだとされる歌
紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば 人嬬(ひとづま)ゆゑに吾恋ひめやも(巻一・雑歌21)
の妹(いも)から取られました。妹とは、妻や恋人を指します。どちらのフェロモンもなかなかかわいい名づけですよね。諸説ありますが額田王は最初大海人皇子に愛され子を生み、後に天智天皇に召されたといわれ、このことからこの二首は、天智天皇を巻き込んだはらはらの三角関係の王朝不倫の歌であるとも言われる有名エピソードですね。
ヤモリには分子レベルで壁に張り付く指、闇でも色と形を捉える超高性能眼球など、ハイテク装備が備わっているすごい生き物である、と以前当コラムで紹介しましたが、イモリもそれに勝るとも劣らない能力があります。イモリの能力はハイテクも超えてもはや漫画のような超再生能力。原始的な無脊椎動物であるプラナリアなどが、体を細かく切断されても再生する能力があることは知られていますが、イモリには脊椎動物としては異例の再生能力を持つことが、およそ250年前から知られていました。もちろん人間などの哺乳類にも再生能力はあり、怪我は自身の細胞再生である程度は再生します。トカゲやヤモリの尻尾の自切や、指の部分的再生なども知られています。しかし、イモリの再生能力はそんなものではありません。通常の大怪我は、普通の脊椎動物なら傷跡は残るものです。これを瘢痕治癒(はんこんちゆ)といいます。傷跡を早期に塞ぎ繊維化することでリスクを回避するためですが、イモリの場合は一切の傷跡を残さず再生します(無瘢痕再生)。
そして尻尾ばかりか四肢が全てもげても、完全に骨も含めて再生します。しかも何度でも。眼球も再生できますし、そればかりか脳、心臓などの重要臓器も、生命そのものが絶たれることさえなければ再生できるのです。まさにイモリは、傷の治癒において無敵無双のエンペラータイムを持っている、ということになります。
筑波大学の千葉親文教授は、イモリのこの驚異の再生能力の仕組みを解明しました。千葉教授は、当初イモリに特有の遺伝子が作用していると考えて解析しましたが、さにあらず、イモリ特有の再生遺伝子など見つからず、それを担っていたのは全身を巡る赤血球でした。通常は全身に酸素を運ぶ役割しか持たない赤血球ですが、イモリの場合は特殊な赤血球Newtic1が、筋肉細胞の脱分化(ニュートラル化)に関わる因子や心臓再生の因子など、数々の因子を担っており、傷病欠落部の傷口付近に集中して発現、細胞再生の支持を出して、組織の完全な再生を促していたのです。イモリのゲノムは人の二十倍もある膨大なもの。千葉教授は、そのゲノム解析を進めることで、人間にもイモリの再生能力を発現させることが可能かどうかという課題に取り組み始めています。iPS細胞などによる再生医療の研究は日進月歩で進歩していますが、あるいはイモリの能力の研究が、今後ブレイクスルーをもたらすかもしれません。
参照
日本の動物 (江川正幸 旺文社)
イモリの再生と赤血球の不思議な関係 千葉親文