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そんな4月はじめごろから、近年全国各地でよく見られるようになる外来生物があります。その名もナガミヒナゲシ。名前は知らなくてもほとんどの人がごらんになっているはずの雑草です。昨年、この植物をめぐって、ある騒動が起きました。
約一年前の昨年の春、ある外来植物が大々的な駆除キャンペーンの対象となりました。「在来種を脅かす危険な雑草・ナガミヒナゲシに気をつけて!」という呼びかけが話題となり、全国的なニュースになる騒動となったのです。その呼びかけによると、ナガミヒナゲシは他の植物の成長を阻害する強力な多感作用(アレロパシー)物質を分泌して、在来の植物や農作物、園芸種に大きな害を与える「危険外来生物だ」というものでした。しかし、そもそも「危険外来生物」という呼び名は外来生物法(2005年施行)には存在しない用語であり、危険性を過大に煽っている、という反論が専門家からなされて論争に。こういう騒動、実は以前にもありました。今や全国の野原に自生する外来種セイタカアワダチソウは、やはり強力なアレロパシー成分で日本在来のススキやアシ、ガマを駆逐し、このままでは絶滅させてしまう、と悪者扱いされたのです。今、ナガミヒナゲシがそうした攻撃の槍玉にあがっているのです。
ナガミヒナゲシ(長実雛芥子/長実雛罌粟 Papaver dubium)は、ヨーロッパ、中東、北アフリカの地中海地方沿岸原産のケシ科の越年性の一年草。三月末ごろから咲きはじめ、五月いっぱい咲きつぎます。同じくヨーロッパ原産のヒナゲシ(Papaver rhoeas)によく似た花をつけます。ヒナゲシの花色が真紅に近い色なのに対し、ナガミヒナゲシは優しい暖色系のルビーオレンジで、ほっそり、楚々とした姿は日本人の好みに合うようです。和名の「ナガミ」は長実で、実鞘が細長い形になることからつけられました。北・南米大陸やオーストラリアなどにも分布の範囲を広げ、日本には1960年ごろに東京で自生が確認された後、さらに1990年代に貿易の積荷に混じって移入し、温暖化と都市型乾燥環境拡大により繁殖地を広げ、特に2000年代に入ると爆発的に全国各地の路傍や荒地、空き地やあぜ道などに普通に見かけるようになりました。筆者もかなり前からナガミヒナゲシをあちこちで見かけていて、葉のかたちが丹精で美しく、特に早春の頃の地に伏したロゼットは、印章のようできれいだなあ、と思ってながめていました。六月ごろに結実しますが、一つの鞘の中に1500以上の細かな種(芥子粒)がおさめられていて、風や生き物、自動車のタイヤなどについて拡散します。
この旺盛な繁殖力と、農業環境技術研究所による検査で判明したアレロパシー物質の強さで、「このままでは日本の在来野生種が絶滅し、農作物にも大きな被害が出る!」と昨年の春ごろに盛んにメディアや自治体広報が宣伝したために、「危険な進入外来種」というイメージがついて一気に嫌われ植物になってしまいました。中には、この花が大好きだった子供が、そうしたニュースを見て以来怖がるようになってしまった、なんていうちょっと悲しいエピソードも。
しかし、アレロパシー作用はいわゆる多くの雑草に見られる性質で、このアレロパシー作用が、他の雑草を適宜衰退させる効果もありますし、もしそれが他の植物を根絶やしにしてしまうほど強い場合、それを分泌する植物そのものの繁殖すら妨げてしまいます。植物の持つ多感作用で何かの種が絶滅してしまう、というようなことはまずないのです。実際ナガミヒナゲシを見ていますと、花自体が非常に目立つために多いように思えますが、他の雑草、キュウリグサやハコベ、ホトケノザやトキワハゼ、カタバミなどのおなじみの雑草と仲良く共存しています。コンクリートやアスファルトの隙間から生え出てたくましく花を咲かせているためにとんでもない生命力と思われがちですが、ほとんどの強い雑草も同じように厳しい環境で花を咲かせています。
確かに生態系は大事ですし、生物の多様性、地域固有種の保存は大切な問題です。でも、その地域固有性や生態系をかく乱し、容赦なく破壊しているのは間違いなく私たち人間です。外来生物の侵入を防いで固有種を守る、などというのは、もはや贅沢な絵空事でしかありません。人間が出来るのは環境破壊をしないよう心がけ、生物の環境収容能力を落とさないように務めること。ナガミヒナゲシを邪魔者扱いするのではなく、外来種と在来種が共存しながら繁栄できるように計らうことが、生物たちへの人間の責任ですし、また人類の次世代への責任でもあります。
さて、新元号の「令和」。古代律令国家の「令」と同時に、筆者にとっては当コラムの七十二候でたびたび触れることのある禮記月令の「令」を連想します。月令とは、月ごとの気象・生物・天体などの自然現象のさまざまなふるまい、その写し鏡である政治の儀礼やしきたりについて記したもので、宣明暦七十二候のさまざまな表現のほとんどはここから引用されています。
そして、「令和」の出典となったのは、万葉集に所収された「梅花の宴」の序文。漢籍に深い造詣を持った歌人、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で催された歌会です。
役職である大宰帥(だざいのそち)から「帥の老(そちのおきな)」と歌人たちに慕われた大伴旅人。壬申の乱で大功のあった名門大伴家の宗主として、壮年時には征隼人時節大将軍に赴任、隼人族(九州に大小あったといわれる、南方系海洋民とも交雑していたと考えられる少数部族。神話では熊襲とも言われました)反乱の平定に当たり、律令国家の成立に貢献しました。平城京の実質的支配者・藤原不比等の死後、長屋王と不比等の四人の息子たちとの政争から離れ、遠い大宰府に赴任した神亀4(727)年以降、筑紫歌壇を形成、万葉集に数多くの歌を残しました。ちなみに息子は、あの百人一首の有名歌「かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」を詠んだ大伴家持。旅人の歌人としての出発は晩年近くになってからですが、漢籍(中国古典)への深い造詣のある一流の知識人で、自邸で開催した「梅花の宴」なる歌の会に三十二人の歌人が集います。その序文の一部が新元号「令和」の出典となりました。
「梅花の歌三十二首并に序」
天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申ぶ。時に初春令月、気淑く風和らぎ、梅鏡前の粉を披き、蘭珮後の香を薫す。加以(しかのみならず)曙の嶺雲を移し、松羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾く。夕の岫(くき)霧を結び、鳥殻に封めらえて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋にし、地を座(しきゐ)にし、膝をちかづけかづきを飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自らひしきままにし、快然として自ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以ちてか情(こころ)をのべむ。詩には落梅の篇を紀せり。古(いにしへ)今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊か短詠を成すべし。(巻五・雑歌815~852)
参加者の一人である山上憶良筆によるであろうと思われるこの美しい序文で歌われているのは、筑紫の片隅の早春の風景。梅とともに咲く蘭とは、シュンランでしょうか、ヒメフタバランでしょうか。春霞がたなびき、松は薄物をまとったよう、春に羽化したシジミチョウかシロチョウが飛び、高空には北へと帰る雁の群れの姿が見える。この大きな空の下、何もかまえることなく、皆で一つの家族のように心を開いて過ごし歌おうではないか。昔も今も、この世界は何も変わらないのだから。憶良の才が、旅人の感性と人柄に共鳴して引き出されたとも思われる、雄大なスケールと生命への慈しみや親愛に満ちた序文です。
旅人は、隼人の反乱(720年/養老4年)の鎮圧を指揮し、隼人の兵士1400人を殺害もしくは捕虜としています。元来穏やかで優しい性格であったらしい旅人にとって、これは致し方ない戦争とはいえ、心に深く刺さった棘でもありました。大和政権に恭順した隼人族が朝貢の際舞わされる「隼人舞」は、神話上の祖であるとされる海幸彦(ホデリノミコト/火照命)が山幸彦の宝具により溺死するさまを面白おかしく演じた屈辱的なもので、このことも旅人は心を痛めていたようです。律令国家に隼人族をさっさと組み入れ、徴税しようとする中央政権に対し、旅人は「朝貢させるだけでよい」と提言し、本格的な同化政策に80年にわたる猶予をもたらしました。
隼人(はやひと)の瀬戸の巌(いわお)も年魚(あゆ)走る吉野の瀧になほ及かずけり (万葉集・巻六雑歌960)
この歌は、現在の鹿児島県長島町と阿久根市の間の海峡である黒之瀬戸で謳われたもので、万葉集歌中、最南端の地の歌であるといわれます。隼人の反乱平定の時期なのか、太宰帥赴任の時期なのかは定かではありませんが、遠い南九州の地で元気よくはねる鮎を見て故郷吉野の鮎を思い浮かべ、望郷の念に駆られつつも、この異民族の地もまたそこに暮らす人々にとっての故郷であるということに思いを致しています。
この代にし楽しくあらば来む生(よ)には蟲に鳥にも吾はなりなむ (万葉集巻三・雑歌348)
「酒を讃むる歌」十三首のうちの一首で、「酒がのめんなら来世は虫でも鳥でもいいや」というだらしない意味に取られがちですが、旅人のように日常的に酒をたしなむのは、当時の日本人にはなじみのない習慣で、酒は大事な政治の席や儀式などで飲まれる儀礼的なものでした。中国の知識人の習慣に通じていた旅人は、中国の知識人が世捨て人や仙人のように酔いどれて楽しんでいたことを知っていて、あえてこのような歌を読んでいます。そしてここには、中央政権内の血みどろの政治抗争や、自らが指揮した隼人討伐で心ならずも討ち果たしてしまった隼人の人々、人間の世のむごさ、残酷さへの批判が背景にあります。現代ドラマに「私は貝になりたい」という名作がありますが、この歌には、「憎しみあい、いがみ合わない楽しい世ならば、虫でも鳥でも私は生まれ変わりたいよ。さあ、争うのはやめて酒でも飲んで楽しもうよ」という思いがこめられています。
旅人の詠む歌のようにおおらかに、新しく始まる「令和」が、ちっぽけな路傍の花であるナガミヒナゲシを目の敵にするような偏狭な世の中ではなく、人間にとっても他の生き物たちにとっても、相和す楽しい時代であってほしい、と切に願います。
参照
万葉集上巻 (佐佐木信綱編 岩波文庫)
農業環境技術研究所 >刊行物 >研究成果情報 >平成21年度 (第26集)
環境省・外来生物法