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永井荷風は、明治から昭和期まで活躍した人気作家。『あめりか物語』『ふらんす物語』『すみだ川』などの作品が森鴎外にも認められ、慶応大学教授として迎え入れられて『三田文学』を創刊しています。また、洋行帰りのダンディな姿で銀座に出没し、文化人や演劇関係者とも大いに交流するなど、活躍が続きます。
一方で、二度の結婚と離婚を経た荷風は、大学の職も辞して、麻布の「偏奇館」と名付けた洋館に移り住みます。独居、隠棲、散策の日々は、日記『断腸亭日乗』や、小説『濹東綺譚 (ぼくとうきたん) 』などの傑作に結集。大逆事件への衝撃もあり、荷風は自らを「戯作者」と自虐的に称する一方で、江戸文化への憧憬を深めて行きます。
銀座、深川、浅草、向島など夜の町や下町をひとり歩きしつつ、余情溢れる文体で色街の女性を描写し、近代日本への鋭い批判精神を記した荷風。「偏奇」の美学を、生涯貫き通しました。『断腸亭日乗』は、現代風に言えば、人気ブログの先駆け。荷風の人生は、現代の都市生活スタイルの先取りだったという見方もできますね。
俳名「荷風」を筆名にしたほど、荷風の俳句へのこだわりは高かったようです。反自然主義文学の中心的存在だった荷風は、俳句でも、街や人の描写が光ります。自然の風景そのものを詠むのではなく、街や人を通じて季節感を表現する技法は、今風に言うと「クール」。そんな荷風の、四季の俳句を紹介します。
【春之部】
・羽子板や裏絵さびしき夜の梅
・初東風や富士見る町の茶屋つゞき
・まだ咲かぬ梅をながめて一人かな
・永き日やつばたれ下る古帽子
・色町や真昼しづかに猫の恋
・春の船名所ゆびさすきせる哉
最後の句には、「市川左團次丈煙草入れの筒に」と添えられています。荷風は、清元や尺八、落語を稽古し、歌舞伎作者の修業も行い、二世市川左團次とは、濃密な親交がありました。歌舞伎の見得も彷彿とさせる一句です。
「永き日やつばたれ下る古帽子」には、「自画像」とあります。毎日の散歩姿でしょうか。
【夏之部】
・深川や低き家並のさつき空
・住みあきし我家ながらも青簾
・薮越しに動く白帆や雲の峯
・葉桜や人に知られぬ昼あそび
・紫陽花や身を持ちくづす庵の主
・物干に富士や拝まむ北斎忌
艶かしい句が続きます。荷風は北斎の一生に憧れたかもしれませんね。
【秋之部】
・人のもの質に置きけり暮の秋
・庭下駄の重きあゆみや露の萩
・秋雨や夕餉の箸の手くらがり
・昼月や木ずゑに残る柿一ツ
・半襟も蔦のもみぢや窓の秋
・柚子の香や秋もふけ行く夜の膳
・春信の紅絵ふりたり窓の秋
庭下駄、半襟、箸、夜の膳。荷風にかかると、小物の陰翳が色づきます。そして荷風は、鈴木春信の浮世絵を特に好んだようです。まだ本格的な錦絵研究が成されていなかった明治末期に、荷風は春信の芸術的価値を唱えていました。
【冬之部】
・箱庭も浮世におなじ木の葉かな
・襟まきやしのぶ浮世の裏通
・下駄買うて箪笥の上や年の暮
孤高の荷風も、年末に新しい下駄を用意して新年を待つ高揚感は、市井の人々と同じだったと見えますね。
最後に、荷風忌を季語として詠んだ句をご紹介します。
独り身の自由が淋し荷風の忌
<山田具代>
聖女とて魔女とて女人荷風の忌
<篠原 彬子>
荷風忌や蕎麦食ひ老のひとり酒
<富岡掬池路>
荷風忌の雲の移り気見てゐたり
<吉岡高詩>
荷風のひとり暮らしとひとり歩きに、多少の淋しさと共に共感を抱く現代人の姿が見えます。変化の著しい東京で、荷風の歩いた光景は、もう微かにしか見つからないかもしれません。それでも、街を歩き、その光景をカメラに写してブログで発信することで、私たちも荷風と同じ空や川を眺め、荷風と同じ精神を重ねているのかもしれません。
【句の引用と参考文献】
永井荷風 (著) 『荷風全集〈第11巻〉』(岩波書店)
永井荷風 (著) 『荷風全集〈第29巻〉』(岩波書店)
近藤富枝 (著、監修、監修)『荷風流 東京ひとり歩き』(JTBパブリッシング)
川本 三郎 (著) 湯川 説子 (著)『図説 永井荷風 』(河出書房新社)
『新日本大歳時記 カラー版 春』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 春』(講談社)