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地球史における地質時代は、もっとも大きな区分として塁代(冥王代・始生代・原生代・顕生代)、塁代の一部をさらに細かく分けた代(古生代・中生代・新生代)、代を細分化した紀(デボン紀・ジュラ紀・白亜紀など)、さらに紀を細かく分けた世(暁新世・中新世・更新世など)、そしてその世を細分化した期、という階層によって115に分けられていて、「チバニアン」の命名が予定されている更新世中期は、この区分で言えば「期」にあたります。ですから、「ジュラ紀や白亜紀と並んでチバニアンが・・」というよくある説明は間違いではありませんが、厳密には誤解を招く表現で、ジュラ紀や白亜紀を持ち出すならばチバニアンは、「第四紀」に属する更新世中期のチバニアン、ということになります。
とはいえ、日本の地名が地質年代名に記されたことは未だかつてなく、ヨーロッパ中心主義の国際地質学会にあって、画期的なことは間違いありません。
当初も、イタリアの二つの地層、モンタルバーノ・イオーニコセクションとヴァレ・デ・マンケセクションとが選出されるのではないかという予測が強かったのですが、国立極地研究所と茨城大学の真摯で精緻な研究成果とアピールにより、見事覆して千葉セクションが国際標準地候補として選抜されました。
更新世中期を特徴づける地磁気逆転地層が、逆転する様子がほぼ完璧な形で観察できることが評価されたのです。
正式に決定されると、その地層にはゴールデンスパイクと呼ばれる基準値を示す鋲が打ち込まれることになります。
日本ではそれに先駆けて、地層の保護と保全を目的に、地元の市原市が1月、千葉セクションを国の天然記念物に登録することを申請しました。標準地層認定と天然記念物認定、相次いで決定、ということになるかもしれません。
千葉セクション-チバニアンを特徴づける地磁気逆転の痕跡。直接行ったことがない方も、地層に打ち込まれた緑と黄と赤で色分けされた鋲をご覧になったことがあるのではないでしょうか。
地磁気逆転( geomagnetic reversal)とは、文字通り地球の極地・南極と北極の担うS極N極が入れ替わってしまうことを言います。地磁気逆転現象は、地球の中心部のコアに存在する溶解鉄が攪拌されることにより起きるといわれ、今まで地球は何度も地磁気の逆転を起こしていて、ここ360万年の間にも、判明しているだけで11回の逆転が起きている、とされます。
地磁気逆転の理論が定説となったのは、つい近年の1950年代以降、古地磁気学が盛んになってからで、それに先立つ1906年のベルナール・ブルンによる磁気逆転岩石の発見、松山基範による1929年の世界初の地磁気逆転の理論を体系づけた論文は、ともに当初は無視されていました。
千葉セクション-チバニアンに痕跡が見られる更新世中期の地磁気逆転は、この二人の偉大な先達への敬意を表し、ブルン-松山境界(Brunhes–Matuyama reversal)と呼ばれ、地球史においてもっとも近年に起きた完全な地磁気逆転現象である、といわれています。そして近年、茨城大学と国立極地研究所による千葉セクションのブルン-松山境界付近の火山灰土の高感度高分解分析により、当初78万年前と想定されていたこの地磁気逆転は、1万年遅く、77万年前である、ということが判明しました。
46億年の地球の歴史から見れば1万年はたいしたことがないように思われますが、ブルン-松山境界の年代は他の地層の年代決定の基準にもなっていて、地球史の年代が場合によっては大幅に書き換わることもありえます。たとえば、恐竜の生きていた時代が今言われているよりも近い年代になる、なんてことも。
チバニアンという時代が、実は地球史全体に関わる重大なピースであることはまちがいありません。
そして、地磁気逆転と言う地球史に関わる大発見を提唱したのが松山基範という日本人であることからも、その名と関わる地層に日本の地名が名づけられるのは運命的なものがあったのかもしれません。
恐竜が生きていた時代と比べたらずっと近い時代とはいえ、約78万年~12万年前という遠い昔のチバニアン。一体当時はどんな世界だったのでしょうか。
この時代を特徴づけるのは、何と言っても、千葉セクションがその変動を顕著に観察できるということで評価された「地磁気逆転」の時代だったという事。そして、時代を通じて氷河期とそれがやや緩む間氷期を繰り返す寒い時代であった、と言うことです。
地磁気逆転が発生して磁極が移動する時期には、双極子成分が弱くなり、地磁気がはじいていた宇宙線、放射線などの大気圏への入射が増えて大気が電離を起こし、氷結核の増加によって水蒸気が凝固して雲が増えて、地球環境に寒冷をもたらす、といわれています。チバニアンの時代にも、やはり寒冷な気候となり、いわゆる「氷河期」が訪れました。
氷河期の最盛期には海水の氷結により、海抜は現在よりも100mもさがって、日本列島は大陸と地続きとなりました。それによって大陸からはマンモスやサーベルタイガー、ナウマン象などの絶滅動物がわたってきて、それを狩猟する人類も、動物たちを追って日本列島に渡ってきた、といわれます。火山活動は活発で植物は巨大な針葉樹が茂るツンドラ地帯のような植生。その中を原始的な鏃などをたずさえて、狩りや採集にいそしむ毛皮をまとった人々。いわゆる「原始時代」を絵に描いたような景色だったと思われます。
日本の多雨湿潤で酸性の土壌では、古い化石は残りにくいのですが、チバニアンは現生人類以外にもネアンデルタール人などの別種人類も生きていた時代。別種人類の化石はまだ日本から出土していませんが、きっと日本列島にもやってきていたことでしょう。
千葉県・房総半島には広汎にタービダイトと呼ばれる海底堆積地層が見られ、天然ガスと世界の1/3を生産するヨードを包含するその地層は世界的にも特異なもので、千葉セクションの近辺にも多く見られます。この冬の時期、温暖な房総にも関わらず付近は内陸気候でもあることから気温が下がり、養老川水系の秋ヶ瀬渓谷の崖から湧出する水分が氷結して見事なツララの懸崖が形成されます。「チバニアン」の氷河期には、こんなものではすまなかったでしょうが、その時代を想起させる美しい光景が見られます。ちょっと寒いですが、チバニアンの見学と合わせて、地球のロマンに触れてみてはいかがでしょうか。
国際年代層序表
チバニアンの地層を天然記念物に 千葉県市原市が文科相に申請
市原市田淵の地磁気逆転期地層のGSSPへの認定について
チバニアン