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この季節にキリスト教圏の国々で、教会やイベントなど人が集まる場で歌われる「クリスマス・キャロル」。キリストの誕生にまつわる逸話や場面が歌詞に表現されていることが特徴で、キャロルとは「喜びの歌、祝歌」を意味します。
キャロルの起源は、キリスト教以前のヨーロッパにおける冬至の儀式だったそう。冬至はクリスマスの時期と近いこともあり、キリスト教が広まるとクリスマスの祝祭と結びついていったといわれています。1517年に始まったマルティン・ルターの宗教改革により、クリスマスが民衆のための行事として広まっていきます。その頃から、もともと一般大衆の祝歌で世俗音楽だったキャロルが聖歌のひとつとして教会でも取り入れられるようになり、なくてはならないものとして受け継がれていくのです。
日本でもおなじみの「きよしこの夜」(Stille Nacht)、「クリスマスおめでとう」(We Wish You A Merry Christmas)は、代表的なクリスマス・キャロルです。一方、「アヴェ・マリア」(Ave maria)は、キリストでなく聖母マリアを讃える歌なので、厳密にはクリスマス・キャロルではなくクリスマス・ソングに分類されるそう。ちょっと意外ですね。今の時期によく耳にする「ジングルベル」、「ホワイト・クリスマス」、「赤鼻のトナカイ」も、クリスマス・ソング。これらの歌に共通するのはクリスマスの季節がテーマであること。クリスマス・キャロルは救世主であるキリストの誕生を祝う歌として、クリスマス・ソングとは区別されているのですね。
イギリスのヴィクトリア朝時代を代表する作家チャールズ・ディケンズ(1812年2月7日 〜1870年6月9日)による『クリスマス・キャロル』という有名な小説があります。1843年12月19日の発売直後から大ベストセラーとなり、170年を経た現在も読み継がれ繰り返し映画化もされていますね。物語の舞台はロンドン。主人公は、スクルージという強欲で冷酷な初老の商人。愛情や慈悲の心などとはまったく無縁な人物が、クリスマス・イブに3人の幽霊との出会いを通じて改心し、生まれ変わるさまを描いています。
この作品が世に出たヴィクトリア朝時代のイギリスは、産業革命の影響で社会の変革の時期にありました。急速な工業化、失業者の増加、長時間労働や児童労働といった問題が噴出し、資本家と労働者階級の貧富の差が拡大した時代でもありました。ディケンズも父親の借金のため12歳から工場で働きはじめ、努力を重ねて新聞記者となり生計を立てるようになります。このような自身の体験や、実際に取材を通して知った弱者の視点から小説を書くことで、ディケンズは世の中を変えようとしたのです。
『クリスマス・キャロル』が世に出た当時のイギリスのクリスマスは、労働者階級の人々は家族そろって聖夜を迎える習慣を残していた一方で、都市部ではそうした風習が廃れはじめていました。もちろん、慈善の施しも、クリスマスカードを送って感謝を伝えるといった習慣もありませんでした。現在のキリスト教圏の国々にあるような、慈愛が感じられるクリスマスの風景は『クリスマス・キャロル』がもたらしたものなのです。
この本を手にした人々は、改心したスクルージに習って自らの心と行いを改めようとしました。富を持つものは弱者への寄付を行い、「メリー・クリスマス」という挨拶が街中で交わされるようになります。はじめてのクリスマスカードが作られたのもこの時期とか。やがて街にはクリスマスを祝うツリーが飾られるようになり、階級を隔てることなく誰もが穏やかな雰囲気のなかで、他者に温かな気持ちを向ける季節へと変わっていきました。現在のクリスマスの風景は、ディケンズの小説によってつくられたといっても過言ではないのです。
『クリスマス・キャロル』を1952年に翻訳した村岡花子は、毎年クリスマスがめぐってくるごとにこの小説を読み返していたそうです。そして、「変わらぬ感激を受けるのは、著者ディケンズの愛情と善意がこの作品の中に躍動しているからであろう。」と記しています。
民衆による祝歌から生まれたクリスマス・キャロル。救世主キリストの誕生を祝う人々の喜びの歌には、ディケンズが小説のなかで描いた、クリスマスを共に祝い、すべての人々の幸せを祈るという慈愛の心が宿っています。祝歌の精神を人々の生活にしっかりと根付かせたディケンズは、小説を通じて社会の変革を実現しました。人々の心に温かい灯火をともした『クリスマス・キャロル』は、ディケンズから私たちへのクリスマスプレゼントなのかもしれません。
参考文献
ディケンズ著/村岡花子訳『クリスマス・キャロル』 新潮文庫