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日本の暦は、6世紀頃から中国暦を使用していました。重陽も中国から伝わり、平安時代には宮中行事として、観菊の宴が催されたそうです。中国での重陽は山岳信仰の言い伝えや時代の流れを経て、茱萸を身につけ高いところに登り、菊酒を飲むことで災厄をはらい、菊を鑑賞して不老長寿を願う行事となりました。唐の詩人、杜甫や王維にも重陽を詠んだ詩があります。王維のものをご紹介しましょう。
・九月九日憶山東兄弟 王維
独 在 異 郷 為 異 客
毎 逢 佳 節 倍 思 親
遥 知 兄 弟 登 高 処
遍 挿 茱 萸 少 一 人
・九月九日 山東の兄弟を憶(おも)う 王維
独り異郷に在りて異客(よそ者)と為り
佳節に逢うごとにますます親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
遍(あまね)く茱萸を挿して一人を少(か)くを
自分は異郷でよそ者だ。節句の佳き日にはいっそう家族が恋しい。親や兄弟がいつものように揃って丘に登り茱萸を挿しているであろう姿が、ありありとわかる。けれどもそこに一人が足りないのだ。‥と孤独な境遇を述べていますが、王維が科挙の勉強のため郷里を離れていた17歳の作と知ると、親近感が湧きますね。一連の重陽の行事は、きっと庶民の楽しみでもあったのでしょう。
日本では貞享元年(1684)から日本独自の太陰太陽暦が用いられるようになりましたが、陰暦の九月は、農民にとって大切な収穫の時期。重陽の影響か、日本では三度の九日を供日ととらえ、みくにち茄子と言って、茄子を食べると寒さに困らぬとしたり、氏神祭を行う地方があります。九州で秋の祭りを「くんち」という場合が多いことも、重陽との関係が指摘されているようです。重陽の節句に栗ごはんを食べる習わしもあり、「栗の節句」とも呼ばれています。ご紹介するのは、そんな風習豊かな江戸時代の句です。
・菊の香にくらがり登る節句かな 芭蕉
・八重菊も今日九日の匂ひかな 乙由
・朝露や菊の節句は町中も 太祇
・けふの菊中稲の飯のうまみかな 才麿
・心から栗に味ある節句かな 鬼貫
明治5年(1872) 以後、現行の太陽暦が用いられるようになってから、重陽の節供は次第に忘れられていきました。陰暦の九月は太陽暦の10月ですから、残暑で汗ばむことの多い9月初頭では、秋の花の菊を愛でることが、実感が湧きにくいものになったかもしれません。
同じ重陽にまつわる俳句でも、江戸時代と明治以降では、行事と作者との距離感の差が垣間見えますね。江戸時代の句は、日常生活や秋の実りに密接しています。明治以降は重陽の行事には距離をもちつつ秋の気配を重ねたり、高きに登ることを登山やハイキングと結びつけて、自然への想いとして詠んだりしています。
・重陽や椀の蒔絵のことごとし 長谷川 かな女
・菊の日の渚づたひに来る子かな 大峯あきら
・菊の日の陽明り残る磯の空 古畑丁津緒
・高きに登る日月星晨皆西へ 高浜虚子
・天下茶屋の雲の高きに登りけり 上田五千石
・登高や浪ゆたかなる瀬戸晴れて 村山古郷
・下りくるは信貴の僧のみ登高す 亀井糸游
・登高や一曲見せて千曲川 鷹羽狩行
お酒が出てくるとどの時代にもほっこり感が漂うのは、古今東西共通の、幸せなひと時を表現しているからでしょうか。ちなみに、「温め酒」も九月九日に関する季語です。陰暦のこの日が寒暖の境目とされ、酒を温めて飲むと病気にかからないと言われていました。
・草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉
・菊の酒醒めて高きに登りけり 蘭更
・木曾谷の養生訓に菊の酒 加藤耕子
・火美し酒美しやあたためむ 山口青邨
・菊の酒あたゝめくれしこゝろざし 星野立子
季節の変わり目は、何かと人恋しいもの。家族や友と改めて節日の由来に思いを馳せ、健康や長寿を願う祝宴を交わすのも、秋の楽しいひと時となることでしょう。
<詩・句の引用と参考文献>
『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社)
『第三版 俳句歳時記〈秋の部〉』(角川書店)
村上哲見(著)『唐詩』(講談社)