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ところで、まず確認しておくべきは、ここでの「菖蒲」は何を指すか、ということです。なぜならご存知の方も多いように、日本では「菖蒲」という表記で「しょうぶ」「あやめ」の二種類があり、「しょうぶ」というとそれは、端午の節句に魔よけの飾りや菖蒲湯などにするショウブ科のショウブ(白菖 Acorus calamus)を意味します。このショウブの花期は初夏の5月から6月初めころなので、6月終盤のこの時期とはややずれます。よって、「菖蒲華」の菖蒲は「あやめ」のほうで、かつ梅雨の最中の6月から7月にかけてが最盛期のハナショウブ(Iris ensata var. ensata ハナアヤメとも)のことである、とわかります。ちなみに古代から中世にかけてはショウブを「あやめ(あやめぐさ)」と呼びならわしていたのですが、ハナショウブの栽培が盛んになり、菖蒲園が作られるようになる18世紀ごろ、カキツバタ(燕子草・杜若 Iris laevigata)、ハナショウブ類などアヤメ科アヤメ属の植物を「あやめ」と呼ぶようになりました。ちょうど宝暦年間にあたり、「分竜雨」が「菖蒲華」に取り替えられたことと一致します。
ハナショウブは、記録の明らかなところでは、室町時代の公卿で古典学者の一条兼良(1402~1481)の「尺素往来(せきそおうらい)」にその名があり、その頃には人により栽培されていたようです。開墾地に自生しているノハナショウブの中で、特に花の姿が美しい株を掘り取って農家が庭先などに植えてきたことから次第に優れた花をつけるようになり、やがてそれがハナショウブの原型「長井古種」になった、と推測されています。
戦国期から江戸時代にはハナショウブが武士たちに愛されるようになり、平和な江戸時代を通じて次第にその品種改良が盛んになってゆきました。
江戸の花見が盛んとなった享保年間(1716~1735)には、現在まで続く江戸川区堀切の堀切菖蒲園(当時の名は「小高園」)が開園していますし、この菖蒲園で18世紀後半、「菖翁」とも呼ばれる旗本・松平定朝左金次が、現代のハナショウブの品種の元となる品種の数々を作出しました。
菖蒲園に行くと、立て札に品種名とともに「江戸系」「肥後系」「伊勢系」などと記されているのを見たことがあるのではないでしょうか。
江戸系は、庭園に群生させ、座敷や床几などから眺めて鑑賞するのに適した、群生したさまがさわやかで美しく、また花の脈が遠めでもよく見えるようなすっきりとした花色と、少し高い位置からも花を楽しめるように下片があまり垂れ下がらず、横に広がった形が多いのが特徴。対して肥後系は、江戸のハナショウブを持ち帰った肥後藩主が独自に品種開発したもので、江戸系と対照的に室内で鉢植えで楽しむのが主流。一輪でも堂々と映える大型の花が多く、花弁には細かな筋が入り乱れて間近でそれを見るとことのほか美しいといわれます。そして伊勢系は、江戸中期に伊勢松坂の吉井定五郎により独自に品種改良され、下片が垂下し、花柱が切れ込み、フリル型の「蜘蛛手」になるのが特徴です。
アヤメ属の園芸品種は世界各地にありますが、ハナショウブはその中でも洗練度や多様性、美しさなどで群を抜く、最高傑作と言ってもよいでしょう。
さてハナショウブというと必ず話題にされるのが「いずれアヤメかカキツバタ」という成語から、引き合いに出される「ハナショウブとカキツバタ、アヤメのちがいと見分け方」です。太平記での源頼政の「五月雨に 沢辺のまこも 水越えて いずれ菖蒲(あやめ)と 引きぞわづらう」(大雨で沢沿いの草がみな水に漬かってしまい、どれが菖蒲か選ぼうにもわかりません)という和歌から、それが変化してどれも同じように見目麗しく区別がつけがたいことを「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という成語になりました。ですがこれは、花のアヤメと「綾」という言葉が道理や筋道、条理を意味することのブルミーニングになっていることが面白みで受け継がれてきたもの。アヤメとカキツバタとハナショウブの見分け方なんて知ったところで何の役にも立ちません。カキツバタと園芸品種のハナショウブの原種であるノハナショウブ(Iris ensata var. spantanea )はかなり似ていますが、先述した通りどれもアヤメ属なのですから、似ていて当然ですし、ハナショウブやカキツバタを「アヤメ」と言っても何も間違いではありません。山百合を指差して「百合」といったら、「百合ではない、山百合だ」というような話なのです。
それに、仮に三種の違いを知ったところで何しろアヤメ属は北半球の温帯地域に220種、日本にも原生野生種が8種、外来種や園芸改良品種を加えると、似ている花はきりがないほどになってしまいます。
たとえば中国原産のイチハツ(Iris tectorum)。花の姿はハナショウブよりもアヤメに似ているし、生育地も草原などの乾燥地、健壮で病気にかからず、土止めのために土手に植えられたり、縁起と装飾をかねてかやぶき屋根に飢えられたりしました。アヤメの中でもっとも早く咲き始めるので「一番初め」=一初=イチハツとなりました。このイチハツと、西洋のアヤメの園芸品種の代表格・ジャーマンアイリスの紫色の種は見た目もよく似ていて、「いずれイチハツ、ジャーマンか?」と言ってもいいくらい。ジャーマンアイリスはヨーロッパ原産のイリス・ゲルマニカ(Iris germanica)などを中心として品種改良されたもの。外花被片が発達して、犬のビーグルの耳のようなのと、その外花被片の付け根にブラシ状の髭(とさか)があるためにBearded Iris (ひげアイリス)ともいわれ、欧米ではこちらの呼び名のほうが主流のようです。
アヤメ(Iris sanguinea)と一口に言っても寒冷温帯に分布して、分布域ではもっとも大きいヒオウギアヤメ、四国、瀬戸内海付近に分布するエヒメアヤメ、ヨーロッパに分布するコアヤメなど、さまざま。球根植物で、花のかわいいダッチアイリス(Iris × hollandica)といった園芸品種もよく道端で見かけますし、私たちの周りは、さまざまなアヤメの花でいっぱいです。
虹の花=イリス(iris ギリシャ神話の虹の女神)の名を与えられるほど、花色は鮮やかで変化に富み、まさに虹の七色を表現しているといわれます。
ちなみにアヤメ科には多くの園芸品種、たとえばフリージア、グラジオラス、サフラン、イクシアなどが属し、まさに華やかな一族ですね。
さて、ハナショウブもかつてはそう呼ばれた「アヤメ」という名の語源とは。アヤメ(そしてかつてはショウブが)がなぜアヤメといわれるのかがはっきりしないこと。結局これがショウブ科とアヤメ科の取り違えや勘違い、さらには「ハナショウブとアヤメはちがうんだ薀蓄」の原因になっているように思われます。現在よく聞かれる説は次の通りです。
(1)アヤメ属のアヤメの下弁基部の虎斑に網目模様があり、これを「綾目」とした。
(2)ショウブやハナショウブの剣状の葉が折り重なるさまが、美しい綾=条目を織り成しているさま、また「葉に縦理(たてすじ)並行せり。」(大言海)から、文目(あやめ)とついた。
(3)奈良時代の宮中には、大陸から渡来した機織などの技に長じた漢女(あやめ)と称する女官がいて、中でも見目麗しい者をえりすぐり宮中での華やかな行事の進行役(今で言えばイベントコンパニオンでしょうか)となり「菖蒲の蔵人」と呼ばれて憧れの的に。延喜式に記される「大舎人式」では、五月五日、漢女の蔵人が「漢女草(あやめぐさ)を進む」と貴人の各戸を訪問してショウブを配ったとか。ここから、ショウブをアヤメグサと称するように。
花や葉の様子から「綾(文)の目」とする考えと、「漢女」から転じたものとする説。しかし、谷川士清氏は「和訓栞」で『菖蒲は貞観儀式に漢女草と見へたり。本字なるべし。」とし、
「日本語源」(賀茂百機 1943年)では「倭名抄『阿也女久佐』、貞観儀式に『漢女草』と書けるが本字なるべし」と、菖蒲の本字は「漢女草」であり、綾目/文目は間違いであるとしています。また「女」の「め」と「目」の「め」は表記上混同されない法則があり、どうやら「漢女」説が正しいようです。
これらの語源説のどれもが決定的に欠けているのは「ではショウブがアヤメで、やがてその名がアヤメ属に移ったのだとして、それ以前のアヤメ属は何と呼ばれてたの?」という疑問も答えもすっぽり抜け落ちていることです。
東北地方には、アヤメの花を「カッコバナ」「ショードメ」「タウエバナ」などと呼ぶ古い方言がありました。これは田植えの頃の初夏に田んぼの近くでよく見られるアヤメの花を、ちょうどその頃鳴き始めるカッコウや、田植えの女たち「早乙女(さおとめ)」になぞらえた(ショードメはサオトメの訛化)もの。文化の同心円説(中央政府の都市から、同心円状に先進文化が伝播し、遠い地域ほど古い文化が残る)によれば、東北地方のこの呼び名、早乙女(ショードメ)や、また早乙女の別名ともされたカッコウにあやかった郭公花(カッコバナ)こそ、アヤメと呼ばれる以前のアヤメ属の名だったのではないでしょうか。そして、早乙「女」であるからこそ、アヤ「女」という名に置き換えられることもすんなりといったのではないでしょうか。素朴な村娘が、洗練されたイベントコンパニオンに出世した、とでもいえばいいかもしれません。
「アヤメ」という名前もいいですが、「サオトメ」という名もまた、日本の原風景を感じさせてかわいい名前ではないでしょうか。
参考文献
植物の世界 (朝日新聞社)
日本の花 (現代教養文庫 松田修)
参考サイト
アヤメの語源 日本初の稚児尼 である「漢女」(あやめ)に 由来 和泉晃一040122040529
水郷佐原あやめパーク
「えど友~お江戸の花競べ~堀切に「江戸花菖蒲」のルーツを訪ねる」