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ヤコブス・デ・ウォラギネが1267年ごろに著したキリスト教の聖人伝「黄金伝説(レゲンダ・アウレアLegenda aurea )」には多くの聖人による竜退治の逸話が記されています。
カッパドキアの首府ラシア付近に、毒を吐き散らし、周囲を荒らしまわる巨大なドラゴンがいました。人々はその怒りを静めるため羊を生け贄にささげていましたが、羊も底をつき人間の娘たちを捧げげなくてはならなくなりました。やがて遂に王の娘がいけにえのくじにあたってしまいます。いよいよ王女がドラゴンに差し出されようというとき、白い馬に跨がった一人の若い騎士が通りかかりました。騎士はわけを聞き、ドラゴン退治を買って出ました。騎士はドラゴンに立ち向かうと、生け捕りにして都まで持ち帰り、人々に「キリスト教徒になると約束するなら、このドラゴンを殺してあげましょう」と改宗を条件に申し出ました。人々はそれを受け入れ、騎士はドラゴンを殺します。溢れ出したドラゴンの血は真っ赤な薔薇に変化し、騎士はその薔薇を助け出した王女に贈った、といわれます。典型的な竜退治伝説のルーティーンで、日本のスサノオの八岐大蛇退治ともよく似ているこの伝説、ここで登場する若い騎士がゲオルギオス、すなわちサン・ジョルディでした。
ゲオルギオスは、イングランド、グルジア、カタロニアなどの国・自治州、モスクワ、ジェノヴァなど都市の守護聖人。生地は3世紀ごろのトルコのカッパドキアとも、イスラエルのロードともいわれ、ローマ帝国の軍人であった父の後をついで軍人になったと伝えられます。先述したとおり、ドラゴン退治の武勇伝として知られますが、後年、キリスト教徒に弾圧を加えたローマ皇帝ディオクレティアヌスによる「「最後の大迫害」の時代に改宗を迫られて拒絶し、斬首されたと伝わります。
これにより、殉教聖人として名を残し、13~14世紀ごろから「セント・ジョージ・クロス(St.George's Cross)」 として、そのシンボルがイングランドの国旗に採用されるほど、ヨーロッパキリスト教文化圏にとってはとにかくすごい偉人なのです。
スペインのカタルーニャ地方は、長らくローマ帝国やフランク人などのヨーロッパ民族の統治下にありましたが、8世紀初頭からイスラム教徒のベルベル人(ムーア人)に支配されます。
しかしフランク王国を中心としたキリスト教国家が次第に覇権を取戻し、10世紀ごろにはカタルーニャ君主国の原型が、12世紀にはカタルーニャ君主国の実質的な統一支配(アラゴン-カタルーニャ連合王国)が成立します。その後の十字軍の派遣などのキリスト教圏からイスラム文化圏への侵攻の時代にかけて、次第に竜退治の伝説を持つサン・ジョルディが、イスラム(彼らの中ではドラゴン)を「退治」するカタルーニャの守護聖人として信仰されるようになっていったと考えられます。
14世紀には地中海の実権をほぼ握るほどの大国に成長したカタルーニャ帝国ですが、15世紀後半には大航海時代が訪れ、ヨーロッパの経済・軍事の中心が地中海から大西洋にシフトしたことにより、カタルーニャは次第に衰え、地中海の覇権もオスマン帝国に奪われることになります。そしてスペイン、フランスに領国を割譲統治される時代に。19世紀までの間は主にスペインに統治されながら、フランス、イタリア、イギリスなどとの戦争・紛争の戦場として苦難の時代を送ることになります。
20世紀は一時的な経済復興などはあったものの、スペインのリベラ軍事独裁政権下では公共の場でのカタルーニャ語使用や民俗舞踊サルダーナの禁止、民族旗の排除などの弾圧、さらにはスペイン内戦で実権を握ったフランコ政権による自治憲章の廃止やカタルーニャ語の全面禁止などの実質的なジェノサイド(民族絶滅政策)が行われました。
「サン・ジョルディの日」が、「本を贈りあう」日となったのは、この1939年から1975年の、カタルーニャにとって悪夢のような時代に生まれた風習でした。カタルーニャの人々は、禁止されたカタロニア語の本をひそかに贈りあい、民族の団結と民族語と文化の存続を誓って潜伏し続けたのでした。
フランコの死によってカタルーニャの弾圧は実質終わり、それ以降はスペインの経済活動や観光の拠点として重要度を増し、「サン・ジョルディの日」はユネスコ(国際連合・教育科学文化機関)によって1995年「世界本の日」に制定され、日本でもこの日を2001年から「子ども読書の日」に制定しています。
さて、サン・ジョルディは、イギリスでは聖ジョージ(Saint George, St. George)と呼ばれて国の守護聖人としてあがめられています。その名はイギリス海軍の戦艦にも使用され、今も戦いや軍人の守護神としてのイメージも健在。
ドラゴン退治といえばもうひとり、有名なのは大天使ミカエルです。こちらはモン・サン・ミシェルなどが有名なとおり、フランスでの信仰が厚いようです。ミカエルは、英語ではマイケル(Michael)、ドイツ語ではミハエル/ミヒャエル(Michael)、スペイン語・ポルトガル語ではミゲル(Miguel)、ロシア語ではミハイル(Mikhail)などとなりますが、このもっとも有名な二人のドラゴンスレイヤーがつい近年、仲良く握手する出来事があった、なんていうと「えっ?」と思われますか?
1989年12月、長く続いた米ソ冷戦が、ソビエト連邦共産党書記長ゴルバチョフとアメリカ合衆国大統領ブッシュとの首脳会議「マルタ会談」によって終結しました。このゴルバチョフ氏のフルネームはミハイル・セルゲイヴィチ・ゴルバチョフ。ファーストネームはミハイル(ミカエル)。ブッシュ氏のフルネームはジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ。ファーストネームはジョージ。
冷戦の終結は日本を含めた先進諸国では歓迎賛嘆され、その後ベルリンの壁の崩壊などのメモリアルな出来事が起きました。公然では語られてはいませんがこの二人が並び立って握手する姿を、キリスト教圏の人々は「竜退治のミカエルとジョージが握手した」姿、とも受け取られていたのです。
そして実際、マルタ会談からわずか一年経った頃に、あの湾岸戦争、アメリカによるイラクへの空爆攻撃が行われたのです。
自由の象徴・本と、平和の象徴・花を互いに贈りあうサン・ジョルディの日。
この古くて新しい記念日の発祥の地であるカタルーニャ地方も、現在スペインからの分離独立への道筋を模索し揺れ動いています。今後EU全体の流動化とともに、また新しい枠組みの時代がやってくるかもしれません。
そのとき、サン・ジョルディの日はどうなっているでしょう。変わらず人々が互いに贈り物を贈りあう風習が続いているといいですね。
参照・世界の民族 平凡社