11月も終わりに近づき、いよいよ冬。寒い日には部屋で音楽を聴くのもいいかもしれません。

きょうご紹介したいのは、ロックバンド「クイーン」のボーカリストであり、唯一無二の存在感を放ったフレディ・マーキュリーです。1991年11月24日、イギリスロンドン・ケンジントンの自宅で息を引き取りました。

死因はエイズによる気管支肺炎。亡くなる1日前に、エイズに感染していることを発表し、その翌日には帰らぬ人となりました。45歳という若さでした。

圧倒的存在感により、死後25年経った今も、命日には世界各地でさまざまなイベントが行われるなど、死してなお、そのカリスマ性はきら星のごとく輝いています。

このシルエットを見るだけで、あの素晴らしい歌声と音楽性を思い起こす人も多いことでしょう


音域は4オクターブ

フレディ・マーキュリーと言えば、マイクスタンドを振り上げる独特のパフォーマンス、上半身あらわな奇抜な衣装、観衆を引き込むドラマティックな歌声とサウンド…。実際、フレディの音域は4オクターブもあったとか。

パフォーマンスもサウンドも、すべてが独特ゆえ、好き嫌いを超えて、多くの人々を釘付けにしました。

とくに1985年に行われたライヴエイドでのパフォーマンスは、伝説となっています。

「ボヘミアン・ラプソディ」「キラー・クイーン」「伝説のチャンピオン」…。

どのようなジャンルの曲調であってもクイーンはクイーン…。これらの楽曲を作詞・作曲したフレディ自身はどのような人物だったのでしょう。


インドで幼少期を過ごす

フレディが生まれたのは、東アフリカ・タンザニアにあるイギリス領のザンジバル島。本名は、ファルーク・バルサラといい、両親はペルシャ系インド人で、敬虔なパールシー教徒(インド在住のゾロアスター教信者)でした。幼少期の大半をインドで過ごし、ザンジバルに戻りますが、17歳のときに革命が起こり、家族共々イギリスに移住します。意外にも、イギリスで暮らすようになったのは、青年になってからなのです。フレディ自身は、自分のルーツや宗教について積極的に語ることはなかったと言います。


複雑さがカリスマ性に

フレディと言えばセクシャルな面も、常に話題になりました。

〜Mama,just killed a man〜という衝撃的な歌詞の「ボヘミアン・ラプソディ」は、フレディがバイセクシャルである自分を受け入れていくというメッセージが隠されていると解釈する評論家もいます。(本人は歌詞について説明することを否定しています。またバイセクシャルであることを公言しませんでした)。両親がパールシーであったため、カミングアウトできなかったとも言われています。

生まれも、性も、まさにボヘミアン的であり宗教的にもマイノリティーにあったフレディの複雑さが、さまざまな曲として昇華されたのかもしれません。

ちなみに、フレディの葬儀はゾロアスター教の司祭によって、執り行われたと言われています。


東京・八重洲でCD試聴会も

クイーンは、キャッチーな曲も多く残しています。たとえば、サッカーなどの大きな大会で流れる「伝説のチャンピオン」。こうした曲は、スポーツ番組の定番となっており、世界中の人が今でもフレディの艶のある歌声を耳にしているでしょう。

また、クイーンのドラマーであり、ロジャー・テイラーが作詞作曲した「レディオ・ガ・ガ」は、現代の歌姫レディー・ガガの名前の由来になっており、今に至るまで大きな影響を与えています。

ことしはフレディが生きていれば70歳の節目の年。今月、クイーンによるBBC放送のスタジオライブ音源がCD化されました。11月24日−25日に東京・八重洲のオンキヨーのショールームに献花台が用意され、CD試聴会などが予定されます。

アルバム総売り上げ枚数は世界歴代5位。3億枚以上を売り上げている、永遠の存在フレディ・マーキュリー。

彼が亡くなった今日という日に、その優れた音楽に、いま一度触れてみてはいかがでしょう。

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 11月24日は、フレディ・マーキュリーの命日。没後25年、なお輝く不滅のアーティスト