11月17日より、立冬の末候「金盞香(きんせんかさく)」となります。なお金盞香は略本暦での呼び名。元となった中国の宣明暦では「野鶏入水為蜃」で、「キジが海に入って大はまぐりになる」という不可思議な内容になっています。こうした不思議な記述は実は宣明暦にはかなりあって、略本暦ではこうした記載をより現実的な季節の事象に置き換える作業がなされているのですが、そうした中で第五十七候にあたる「金盞香」は、本来わかりやすい内容にもかかわらず、後代の解釈によって不可解な記述となっている事例です。


「金盞とは水仙のことです」えっ?それほんと?

「金盞香」は「きんせんかさく」もしくは「きんせんこうばし」と読み、言葉通り「金盞花が咲き香る」という意味です。

問題なのは、その金盞花とは何の花のことか、です。七十二候の解説として有名な俳句歳時記などでも、多くの(ほとんどの)解説ではこのキンセンカを「水仙」のことであると説明しています。理由の一つは日本各地に自生するおなじみのニホンスイセン(Narcissus tazetta var.chinensis)の別名が「金盞銀台(きんさんぎんだい)」であるから、ということのようです。ですがこれはあくまで水仙の花の様子を、白い花弁を白銀の盆、山吹色の副花弁を金の盃(盞)に見立てた別名です。水仙の花の別名は「金盞銀台」ではあっても「金盞」ではないのです。きんせん、ではなくきんさんであることにもご注意ください。

「金盞」という名のついた花はちゃんとあります。「金盞花」つまりキンセンカです。

キンセンカ(金盞花/Calendula officinalis L.)はキク科の一年草で、日本には室町期ごろに渡来したといわれています。極めて耐寒性があり、秋の終わりごろから咲き始め、翌年の春まで次々と咲き続けることから別名「冬知らず」ともいわれます。花色は鮮やかな濃黄色で、秋から咲く古来の一重咲きの宿根草は、まさにその名のとおり金盞=金の盃そのものです。また香りも高く、ヨーロッパでは花を食用のハーブとして用い、香水にもなっています。時期としても特徴としても、「金盞香」はどう考えてもキンセンカのことを言っているとしか思われません。なぜ、素直に「キンセンカが咲く」という意味で捉えないのでしょう。

そもそも何よりも水仙説に無理があるのは、ニホンスイセン=金盞銀台は11月には咲かないこと。水仙の開花が時事ニュースをにぎわせるのは1月から2月にかけての晩冬~春浅い早春です。そんなことは、さして花に詳しくない人でも知っている常識です。

ではなぜ金盞はキンセンカではなくて水仙だ、と言う説が流布し、多くの人に信じられてしまっているのか。

キンセンカはハーブとしても用いられます


貞享暦と宝暦・寛政暦。改暦と廃暦の歴史の中で見失われる創始者の真意

実は日本版「七十二候」の最初期バージョンである貞享暦(1685~1755)には水仙が登場しています。12月下旬にあたる大雪末候を「水仙開(すいせんひらく)」としているのです。ニホンスイセンの開花平年値は最も早い地域で12月10日前後、大半の地域で年末から年明けごろで、大雪末候ならばまさにドンピシャで何も違和感もありません。水仙を金盞などとは書かず、水仙と書いていることにもご注目ください。

また、七十二候全体の変遷を通じて、同じ花を別の名で言い換えている例はなく、この事実からも「水仙」と「金盞」が別の花であることは間違いないと思われます。

日本での最初の七十二候、貞享暦を作定したのは江戸時代前期の暦学者で囲碁棋士の渋川春海(AD1639~1715)。当時、中国から移入して使用されていた宣明暦は、約800年使用されたことから実際の天行と二日ほどのズレが生じ、また中国との里差(経度差)・気候風土・自然環境や生息生物の違いがあり、不都合が生じていました。こうして貞亨開暦(大和暦/やまとれき)が作成され、「本朝七十二候」が初めてお目見えしたのでした。

ところが70年後、ふたたび改暦が行なわれます。このとき制定された宝暦暦(1755~1798)では、「水仙開」が「鮭魚群(けつぎょむらがる)」に置き換えられるという変更がおこなわれます。同時に、立冬の末侯は貞享暦の「霎乃降(こさめすなわちふる)」から「金盞香(きんせんこうばし)」に置き換えられています。

略本暦(明治初期)の廃止以降、私たちは先祖の残した七十二候の正確な読み方も意味もよくわからなくなってしまいました。貞享暦を作った渋川春海は水仙を、宝暦暦作成に携わった誰か(土御門泰邦?)はキンセンカを、適切な時期の暦に組み込みました。しかし後年の略本暦以降の作成者は水仙が好みだったのかもしれません。もとの貞享の七十二候にあった水仙が消えたのを惜しんだのか、金盞を水仙と強引に結びつけた解釈がこのときに侵入したのではないでしょうか。

私たち現代人にとっても、キンセンカ(ポットマリーゴールド)はイメージが洋風であること。主産地である温暖な南房総の花畑で早春からGWごろに咲き誇っている景色などが多くの人の印象にあるため、キンセンカ=春の花、というイメージが強く、実際秋まきで春から初夏に花をよく見ること。などの理由から、「洋花のキンセンカは日本の歳時記にふさわしくない」「もしかしたら水仙が11月に咲くってこともあるのかも。」「大体、水仙は香りが強いけどキンセンカはにおわない(それは間違いで先述したとおりキンセンカは強く良い香りがします)。」などと勘違いと無理な解釈を重ねて、強引に水仙ということにしてしまったのではないでしょうか。

ただ、これはあくまで筆者の考えですので、絶対正しいと断言できるわけではもちろんありません。読まれた方が判断してくだされば、と考えます。

スイセンとキンセンカ。どちらも美しく可憐な花ですが、野生化したスイセンが房総半島、伊豆半島、紀伊半島、淡路島、高知県などの暖地の海岸に群生を作っていることと、キンセンカの栽培地とが重なっているところが多いことは、何だかちょっと不思議な縁も感じますし、それもまた混乱や誤解に一役買っているかもしれませんね。

二ホンスイセン


立冬末侯は宣明暦も奇想天外!

ところで、中国の宣明暦の立冬の末侯「野鶏入水為蜃(やけいみずにいりおおはまぐりとなる)」も、荒唐無稽、奇想天外すぎて、果たしてこれが暦の基準として役立つのか、と疑問に感じるレベルです。「蜃」とは以前にも書きましたが蜃気楼を起こすとされる巨大な蛤、もしくは海の底に住む竜ともいわれています。蜃気楼にしろ虹にしろ、かつての中国では自然現象は得体の知れない生物「蟲」の起こす現象とされていたので、もちろんこれも大真面目で書かれていることです。宣明暦には他にも不思議な記述があり、たとえば寒露の次候は「雀入大水為蛤(すずめたいすいにいりこはまぐりとなる)」というものもあります。

「礼記」などの古典には、燕やコウモリも海に入り貝になる、という記述があり、鳥類が貝になるパターンがわりと多いようですね。海の彼方へと去っていく渡り鳥たちの不思議を、海の生き物に化身するためと考えたのでしょうか。

そういえば日本の唱歌「浜千鳥」も、

青い月夜の 浜辺には

親を探して 鳴く鳥が

波の国から 生まれでる

と、鳥が波の国(海中)から生れてくると美しく表現したものもあり、民族や時代を問わずよく似たイマジネーションを喚起させるのかもしれませんね。

このような不思議な記述も、自然の大気の巡りを仮託したのだと考えれば、表現はおとぎ話めいていても、あながち間違いともいえず、金盞花をめぐる時代による花のイメージの歴史の貴重な痕跡を見せてくれることといい、七十二候というテキストの面白さ、奥深さです。

(参考:七十二候(冬)一覧)

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 紅葉の晩秋に咲き香る「金盞」。それって何の花?七十二候「金盞香(きんせんかさく)」