元阪神の小山正明さん死去、村山実とチームけん引 球界唯一のセ・パ100勝、「世紀の大トレード」
プロ野球の阪神、ロッテなどで主戦投手として活躍した小山正明さんが18日午前11時20分に心不全のため死去した。24日、阪神が発表した。90歳だった。小山さんは兵庫県高砂市出身。歴代ともに3位となる通算320勝、3159奪三振を記録した。葬儀は家族葬を執り行った。
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甲子園が生んだ希代の大投手が天国に旅立った。小山さんは高砂高(兵庫)から53年、テスト生として阪神に入団した。身長183センチの大型右腕で速球と優れた制球力を武器に頭角を現し、村山実とともに主戦投手としてチームをけん引した。
2月3日に死去した吉田義男さん(享年91)とともにタイガースを支えた。59年6月25日の天覧試合(巨人戦)にも先発し、昭和天皇の前で、長嶋、王と戦った。「精密機械」「針の穴を通すコントロール」と言われた制球力を武器に、62年は27勝11敗で阪神のセ・リーグ優勝に貢献し、同年には最高勝率と最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれた。
阪神では176勝を積み上げた64年に大毎(現ロッテ)の山内一弘との1対1の交換トレードで東京(同)へ移籍。両リーグを代表する大打者と大投手との移籍となり「世紀の大トレード」といわれた。
甲子園より狭い東京スタジアムを本拠にしたが、宝刀パームボールに磨きをかけ、移籍1年目に自己最多の年間30勝(最多勝)をマーク。ロッテに改称した後の70年にはパ・リーグでも100勝を達成し、プロ野球史上ただ1人の両リーグ100勝を刻んだ。
73年には大洋(現DeNA)に移籍し、同年限りで現役を引退。通算856試合に登板し、金田正一(400勝)、米田哲也(350勝)に次ぐ歴代3位の320勝(232敗)、歴代3位の3159奪三振を誇る。
引退後は阪神投手コーチを3度、西武、ダイエー(現ソフトバンク)のコーチなどを務め、プロ野球ファンには朝日放送、サンテレビなどでソフトな語り口の野球解説者としてなじみがあった。01年には野球殿堂入り。阪神が誇るレジェンドがまた鬼籍に入った。