日本シリーズ第5戦 阪神対西武 8回から登板したリリーフ・エース中西清起(右)は、2イニングを無失点に抑え、阪神・吉田義男監督の出迎えを受けながら、ウイニングボールをスタンドに投げ込む(1985年10月撮影)

85年の阪神日本一メンバーが3日に亡くなった吉田義男氏を悼んだ。胴上げ投手になった中西清起氏(62)は恩師の大胆起用を語った。

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私にとって、恩人という一言では表現できない監督だ。

1年目は惨たんたる成績でね。次の年は、85年の吉田さんの監督復帰1年目。バックスクリーン3連発の巨人戦は、9回にクロマティと原さんが本塁打を打って、逆3連発かという場面でね。中畑さんの打席で、出番を言い渡された。吉田さんは「清水の舞台から飛び降りる気持ちだった」と振り返っていたけど、使う側も度胸がいったと思う。ブルペンから緊張して、足が震えていたよ。でも3人で抑えて、プロ初セーブ。リリーバーとして生きる道を作ってくれた。「3連発というが、あそこで中西が抑えてくれなかったら、それもなかった。あれで今シーズンの戦い方が見えた」とよく言ってくれたな。

攻撃こそ最大の防御という考えの人だった。攻めて、攻めて…。ディフェンスでも攻める気持ちを絶対に忘れるな、と。直接マウンドに来る監督で、ピンチで交代かと思っていたら、「お前、最後までいくんやからな!」とよくゲキを飛ばされた。ストッパーの起用もそうだし、思い切った決断のできる監督だった。

指導者としても解説者としてもいろいろと教わった。「そろそろユニホームをきなあかん」と、球団にもプッシュしてくれたと思う。去年、イベントに一緒に出演した時には、滑舌もいいし、記憶力もいい。よく食べるから、元気だなと思っていた。今年はタイガースも90周年で、もっともっと元気な姿を見られると思っていた。プロ野球人生は、吉田さんなくして語れない。残念です。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【悼む】吉田義男さんの大胆起用、中西清起氏語る「逆3連発かという場面でね」