真弓明信氏「優勝の話になると、真弓がコンバートをOKしてくれたからと…」吉田義男氏悼む
85年の日本一メンバーが3日に亡くなった吉田義男氏を悼んだ。1番打者として強力打線をけん引した真弓明信氏(71=日刊スポーツ評論家)はコンバートの思い出を振り返った。
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最近顔を見ていなかったから、心配はしていた。それでも元気だったから、ショックだよ。
85年に、監督を胴上げしたのは、今も鮮明に覚えている。その中でも一番の思い出に残っているのは、コンバートを言われた時だ。前の年は二塁を守っていたが、(監督に)就任した時に「外野をやってくれ」とね。自分の中では膝も悪くなっていたし、二つ返事だったけど、こんな条件をつけてね。「内野でケガ人が出たから戻れと言われても、すぐに戻れませんよ。そういう覚悟でなければ、行きたくない」。その後、優勝の話になると、「真弓がコンバートをOKしてくれたから」とよく話してくれた。よく印象に残っているよ。
攻撃か守りかというと攻撃型の監督だった。85年は俺が1番、2番は弘田(澄男)さん。「エンドランのチャンスがあれば、サインを出し合えよ」と言われていた。当時はベテランが多かったが、選手を信じて使っている。そう感じた。走者を送るところはバントで送って、1点を取りにいくという手堅い野球もやっていたけどね。(09年に)監督になった時には「自分の色を出して思い切ってやれ」と何度も励まされたよ。
ちょうど監督とは20歳違う。去年は一緒に回れなかったけど、ゴルフを元気にされていた。90歳になってもゴルフができる。そういう年の取り方をしたい、という俺たちの目標だった。本当に残念。タイガースの一番の貢献者だ。