MVPに選ばれたヤンキース松井秀喜(2009年11月4日撮影)

ワールドシリーズが開幕しました。それもヤンキース-ドジャースという伝統の頂上決戦。中でも最大の注目は、今年ア・リーグ本塁打王のアーロン・ジャッジと、ナ・リーグ本塁打王を獲得した大谷翔平投手のパワー対決です。大谷は第2戦で左肩を亜脱臼しましたが、試合後の会見でロバーツ監督は「打撃の影響は、左肩は右肩より左打ちの打者には影響が少ないだろう」と説明していました。

1903年にワールドシリーズが始まって以来、長い華やかな歴史ある大舞台では数々のホームランがありました。大谷に脱臼の影響が少ないことを願いながら、今日まで伝えられてきた、球史に残るホームランを時代ごとに紹介したいと思います。

まずは1932年シカゴのリグレーフィールドで行われたカブス-ヤンキースの第3戦、5回表ヤンキースのベーブ・ルースが打席で右手を上げ、中堅奥深くを指さしました。すると、そのセンター後方の観客席に打球をたたき込みました。これが今日伝わっている「予告ホームラン」です。

ところが、翌日の新聞にそれらしき話は全くありませんでした。相手のチャーリー・ルート投手は「俺を三振させるにはもう1球ストライクが必要だと言って指を突き出したら、たまたまあんなことになった」と言います。それでも、予告ホームランの方が、ルースの面目躍如だと思います。

60年ピッツバーグで行われたパイレーツ-ヤンキースの第7戦。9回表にヤンキースが9-9の同点に追い付き、延長戦になれば優勝すると思われました。しかし、その裏パイレーツの8番ビル・マゼロスキーが左翼フェンスを越えるホームラン。何と、史上初の第7戦サヨナラ本塁打という劇的な幕切れになりました。

75年ボストンのフェンウェイパークで行われたレッドソックス-レッズの第6戦。延長12回裏レッドソックスの4番カールトン・フィスクが左翼ポール直撃のサヨナラ弾。その時、時計の針は午前0時34分を指し、2日がかりの激闘に終止符が打たれました。これは「史上最高のゲーム」として語り継がれています。

77年ニューヨークのヤンキースタジアムで行われたヤンキース-ドジャースの第6戦。世界一を決める一戦でヤンキースの4番レジー・ジャクソンが3打席連続ホームラン。しかも、全て違う投手から全て初球をたたき、15年ぶりの王座奪回で名門復活。10月の大舞台に強い男の真骨頂を示し「ミスター・オクトーバー」と呼ばれました。

88年ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われたドジャース-アスレチックスの第1戦。ドジャースは3-4とリードを許し、9回裏も2死一塁で敗色濃厚でした。しかし、左足を痛めているカーク・ギブソンがトレーナー室から打席に直行してホームラン。何と、史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を放ち、そのまま世界一に輝きました。

91年ミネソタ州のメトロドームで行われたツインズ-ブレーブスの第6戦。延長11回、ツインズの人気者カービー・パケットが劇的なサヨナラ本塁打で逆王手をかけました。その瞬間に出た、全米中継で殿堂入りアナウンサーのジャック・バックの「See you tomorrow night!”(また明日の夜!)」という言い回しが人気を呼びました。

93年カナダのトロントで行われたブルージェイズ-フィリーズの第6戦。9回裏ブルージェイズが、4番ジョー・カーターの逆転サヨナラ3ランで2年連続世界一に輝きました。その試合を現地からNHKで実況森中直樹アナウンサー、解説星野仙一氏と放送。私にとって最も忘れられないホームランの1つとなりました。

2001年ニューヨークのヤンキースタジアムでのヤンキース-ダイヤモンドバックスの第4戦。9月11日に起きた米国同時多発テロ事件の影響で日程が大幅に遅れ、10月31日の第4戦、延長10回にヤンキースの1番デレク・ジーターがサヨナラ本塁打を打ちました。史上初めて日付が11月1日に変わり「ミスター・ノベンバー」と称されました。

そして、09年ニューヨークのヤンキースタジアムでヤンキース-フィリーズの第6戦。ヤンキースの5番松井秀喜外野手が、2回にペドロ・マルティネスから先制2ランを打ちました。さらに4打数3安打、シリーズ最多タイの6打点をマーク。6試合で打率6割1分5厘、3本塁打、8打点と活躍し、日本人初のMVPに輝きました。

はたして、今年のワールドシリーズでは大舞台に強く、無類の勝負強さを発揮する大谷が、球史に残るようなホームランを打ち、日本選手2人目のMVPに輝くかに注目しています。【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 09年WS、ヤンキース松井秀喜が日本人初MVPに輝く 球史に残るホームランを時代ごとに紹介