東京ロマンチカの鶴岡雅義さん死去 9月2日の93歳バースデーライブで現役引退を決意
「小樽のひとよ」「君は心の妻だから」などで知られるムード歌謡グループ、鶴岡雅義と東京ロマンチカのリーダーで作曲家の鶴岡雅義(つるおか・まさよし)さんが1日午前1時48分、肺炎のため都内の病院で死去した。93歳。5日、所属事務所が発表した。
葬儀は遺族の意向で近親者で行った。後日、しのぶ会を行う予定。
鶴岡さんの最後のステージは、93歳の誕生日の9月2日に調布市内で行ったバースデーライブだった。
鶴岡さんはこのステージで現役を引退し、作曲活動に専念することを決めていたという。
関係者は「(近い人から)『もう年齢的にステージに立つのはやめた方がいい』と言われていたようです」と明かした。
バースデーライブには、鶴岡さんに「夜霧のセレナーデ」などを作曲してもらったムード歌謡の後輩ユニットはやぶさがゲスト出演。鶴岡さんのレキントギターの伴奏で歌った。
メンバーのヤマト(33)は「当日は、いつもの先生と変わりなかった。ムード歌謡が大好きで、この世界に入ったので、僕にとっては神様でした」。
ヒカル(39)は「はやぶさにニュームード歌謡という新しいネーミングを考えてくれました。すごい方なのにそれをまったく見せない、温かい先生でした」と話した。
日本歌手協会の理事長で歌手の合田道人(64)は「(5月に死去した)菅原洋一さんと同じ年だったので、『菅原君の分まで頑張らないと』と言っていたのに…」と声を落とした。
12月1日からBSテレ東で放送される「日本歌手協会歌謡祭」で、追悼コーナーを設ける予定という。
1933年(昭8)に生まれた。幼少から流行歌を歌うませた子供だった。中学でギターを習い始めた。夢は「音楽家、画家、天文学者」だった。
50年代後半からラテン音楽がブームとなり、メキシコ出身のグループが弾いだったていたレキントギターに魅せられた。
クラシックギターより小さめで、高音が響くように作られていた。まだ日本にはなく、特注して作ってもらった。それを最後まで使っていたという。
座右の銘は「死ぬまで青春」。
かつて「日本人というのは古いというのを悪い言葉として使いますよね。『それ、古いんじゃない?』とか。でも、古い新しいは関係ないと思う。70歳になっても80歳になっても、自分で自分をお年寄りにしてはだめ」と話した。
17年10月に鶴岡雅義と東京ロマンチカのメインボーカルだった三条正人さん(享年74)が亡くなった際、鶴岡さんは「東京ロマンチカ(の初期のメンバー)は僕ひとりだけになってしまった…」と肩を落とした。
ムード歌謡を引っ張った最後のひとりが逝った。【笹森文彦】