82歳ささきいさお奇跡の復帰「まだ神様は俺を見捨ててなかった」1月気絶し延命措置の書類も記入
間質性肺炎急性増悪で自宅静養していた歌手ささきいさお(82)が24日、都内で芸能活動復帰会見を行った。「まだ神様は俺のことを見捨てていなかった。俺は運がいいんだと思った」と振り返った。
1月23日昼ごろ、都内の仕事場に地下鉄で向かっていた時、九段下駅前で気絶した。気づくと次の飯田橋駅まで乗り越していた。自力で自宅に戻り倒れ込んだ。夫人がすぐに救急車を呼んだ。間質性肺炎急性増悪と診断され緊急入院。集中治療室(ICU)で、3日間治療を受けた。
同病気は感染症などをきっかけに、肺の間質と呼ばれる部分に炎症や損傷が起こり、呼吸不全などの症状が急激に進行する。医師に「高齢者がなってはいけない病気」と言われた。
ささきは通常、90%以上の酸素量が50%にまで低下し酸欠状態だった。医師は夫人に厳しい状態を伝え、「延命措置」に関する書類を書かされた。
3日間、ICUで高濃度の酸素吸入、ステロイド注射など懸命の治療が続けられた。幻覚や意識障害が起きるせん妄症状も出たが、4日目に一般病棟に移れた。ささきは「ずっと歌ってきたので、肺の病気には抵抗力があったのでは。(医師に)奇跡的な回復と言われた」と話した。
2月末に退院したが、医師の指示で自宅静養を続けていた。
4月5日に所属する長良グループ主催の「第22回夜桜演歌まつり」が行われたが欠席。「1日でも早く回復して元気な姿で皆さまにまたお会いできるよう、頑張っておりますので、その節はよろしくお願いします」という肉声のメッセージが会場で流された。
そのメッセージ後、グッチ裕三、田川寿美、水森かおりら仲間がささきの代表曲でアニメの主題歌「宇宙戦艦ヤマト」を歌い、会場の観客らとともにエールを送った。ささきは「事務所のみんなが俺のことを愛してくれているんだなと思った」と神妙に話した。
60年に和製エルビス・プレスリーの触れ込みで、ロカビリー歌手としてデビューした。俳優や声優としても活躍した。その後「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999(スリーナイン)」の主題歌が大ヒットし、アニソン界の大王と呼ばれるようになった。
22年12月に「マジンガーZ」で知られるアニソンの帝王・水木一郎さん(享年74)が亡くなった。初期のアニソンを一緒に支えた盟友だった。23年2月には「ヤマト」「999」を生んだ漫画家、松本零士さん(同85)が逝った。
今年は65周年で早々に活動を休止したが、ささきは「水木が亡くなった時、奥さんから、これからも水木のことをステージで話してほしいと願われた。自分の歌だけでなく、水木や子門真人らアニソン仲間の歌をこれからも歌っていきたい」と誓った。
今月27日に東京・大田区のZepp Hanedaで開催される「スーパーロボット魂 2025東京~stage terra~」で現場復帰する予定。
7月16日にはアニメ、特撮ソングをメインに65曲を厳選した「デビュー65周年記念 ベストアルバム」(仮題)を発売する。同20日には「65周年記念イベント」をZepp Hanedaで開催する。
ささきは「(声が出なかったり)恥をさらすようなら、引退しようとも思うが、リハーサルで声が出て自信ができた。今までのようにはいかないと思いますが、65年間はずっと綱渡りで生きてきたので、どこまで頑張れるかやってみます」と話した。【笹森文彦】
◆間質性肺炎急性増悪(かんしつせいはいえんきゅうせいぞうあく)風邪やインフルエンザ罹患(りかん)などをきっかけに、間質性肺炎の症状が急激に悪化すること。間質性肺炎は、肺胞の外側の壁部分「間質」に炎症がおこり、肺が硬くなって血中に酸素を取り込みにくくなる。悪化すると肺の機能が著しく低下し、空咳が増えたり息苦しさが増したりする。呼吸不全を起こすこともある。