伝説の編集者・森永博志さん死去「死後数日がたっていました」おい森永邦彦氏が報告
雑誌「POPEYE」「月刊PLAYBOY」などを手がけた編集者で作家の森永博志さんが死去したことを、おいでファッションデザイナーの森永邦彦氏が23日、自身のインスタグラムで報告した。
邦彦氏は「〈伯父の森永博志の死去について〉生まれて初めて喪主を務めます。年の差30の伯父が横浜・伊勢佐木町で突然亡くなったからです。森永博志。享年75。告別式は4月24日(木)都内のお寺で営まれます」と告知。
続けて「昨晩、伊勢佐木町の自宅で亡くなっているのが見つかりました。死後数日がたっていました。身元を示すものはなく、行きつけの喫茶店の情報を手掛かりに身元確認を求める連絡が警察からありました。伯父は誰からも看取られることなく、逝きました。孤独死でした。いや、正確を期すなら孤立死でした。伯父は孤独では決してありませんでした」と記した。
作家としてベストセラー「ドロップアウトのえらいひと」「原宿ゴールドラッシュ」などの作品で知られ、人間らしく自由に生きるアーティストらを愛した博志さんは、自らもさまざまな形でドロップアウトを進んで経験していたといい「失踪癖がありました。ローリング・ストーンズの楽曲を聴き衝撃を受け、高校3年生で森永家から家出し、音信不通になりました。肉体労働者として転々としたあと、20代半ばで編集者になり、30代半ばで作家に。それでも伯父は森永家との連絡を絶ち続けました。僕の前に姿を現したのは、失踪から30年以上がたってからです。伯父がいるらしいと知ったのは20歳のころでした」と邦彦氏。
その“失踪癖”は名編集者、作家としての地位を築いた後も続けていたという。
邦彦氏は「昨春に伯父からもらった走り書きのメモがあります。『邦ちゃんへ/元気です。今は、修行の、次元アップで、完全に、脱俗中。では。』。最後の連絡でした。ドロップアウトの言葉は『脱俗』に変わっていました。どこかで自らの最期を予期していたのかもしれません。伯父らしく、終の住処を突然移し、どこにいるかも誰にも告げぬまま、誰の目にも触れずに、一人でさっとこの世を後にして旅立っていきました」とつづり、さらに続けた。
「出世も、地位も、資産も、名声も、何ひとつなかったかもしれません。それでも伯父のまわりには、絶えず人が集まり、友と仲間がいました。これから向かう世界にも、伯父を迎える多くの友がいることでしょう。伯父がどこの世界にいても、不良少年のままの友情を分かち合い、自由に、軽やかに、生き続けてくれることを、心から願います。博志おじさん、森永家にいてくれて、どうもありがとう。大声では言えなかったけれど、本当に大好きでした」と追悼した。