キャプテン渡辺、芸人の前にUWFインター入門「グレイシー道場破り安生さんから電話」/連載2
ピン芸人、キャプテン渡辺(49)が、25日に東京・杉並公会堂で単独ライブ「漫談スタイル3」(午後7時30分)を開催する。R-1ぐらんぷりで11、12年と2年連続で決勝進出。テレビ東京系「ウイニング競馬」でもおなじみだ。芸人を目指す前に、プロレス団体に入門していたキャプテンに聞いてみた。
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芸人の前にプロレスラーを目指した。高校を卒業した1994年(平6)、UWFインターナショナルに練習生として入団した。
「その時のエースは高田(延彦)さんですね。僕の1つ上がヤマケン、山本喧一さん。もう1つ上が桜庭(和志)さん。さらに1つ上が高山(善広)さん。さらに1つずつ上に金原(弘光)さん、垣原(賢人)さん、田村(潔司)さんですね。全然言ってなかったんですけど、極真空手4級だったんですよ、グリーン帯。静岡の高校生大会とかは出ていましたけど、そんなに強くはなかったです」
小学生の時は剣道、中学時代は野球。スポーツ少年ではあった。
「高校時代は、いわゆるヤンキー(不良)ではなかったんですけど、真面目かって言われるとね。やっぱりもう、プロレスがめちゃくちゃ好きだったんで。最初はね、長州力から入ったんですけど。アントニオ猪木はずっと知ってましたけど、やっぱりちょっと世代が違うんで見てないんですよ。ずっと長州力が好きで、新日(新日本プロレス)好きなんですけど、UWFも好きだったんです。で、最終的にやっぱり、あのキックがかっこいいなと。蹴りに憧れて、それで極真も始めたみたいなところもあるし、キックができるようになりたいと。アマレスという発想はなかったですね」
UWFインターには1年2カ月いた。
「入ってすぐにスパーリングで腕を折られたんですよ。金原さんにダブルリストでやられて折れて入院。その折れる手前ぐらいで、もうこれは無理だなと思って逃げたかったんですよ。でも、やめようって思った時に折れたんですね。骨折して入院したんですよ。で、入院を1カ月ぐらいして出てきたら、まだくっついてないから、練習がだいぶ楽になって、続けてたみたいな」
日本の格闘技史に残る、重大事件にも関わった。
「グレイシー道場破り事件(94年7月)って、あったじゃないですか。安生(洋二)さんがロスのグレイシーの道場破りに行って、ボコボコにされるんですけど。終わった後にロスから連絡して来たんですけど、『安生ですけど』という電話を僕が取りました。『やられちゃいました』みたいな。いやいや、僕には言わないですよ。宮戸優光さんとかいてね、UWFインターでめちゃくちゃ厳しかったんですよ」
UWFインターには1年以上いたが結局、退団した。
「新日本プロレスとの対抗戦が10月にあったんですけど、その時にはいませんでした。僕が夜逃げしたのは、まぁ朝逃げですけど、その年の8月なんですよ。だからもう、新日とやるっていうのも聞いてたし。でも、もうね死んでしまう、それどころじゃないと。僕は自分のことしか考えられない状況でやめて、大阪で専門学校に入りました」
(続く)【小谷野俊哉】
◆キャプテン渡辺(わたなべ)1975年(昭50)10月20日、静岡市生まれ。高校卒業後、プロレス団体のUWFインターナショナル入団。その後、タレント養成の専門学校を経て芸人に。01年(平13)にトリオ「バカラ」結成も04年に脱退。06年に出戻って「キラッキラーズ」に改名も10年に解散してピン芸人。11、12年にR-1ぐらんぷり決勝進出。182センチ。血液型A。