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兵庫県福崎町で伝承される河童をモチーフにした、“ゆるくないゆるキャラ”こと河童の「ガジロウ」。
同町役場職員だった小川知男さんによって生み出され、リアルを追求した個性的ないで立ちは大きな話題を提供。生誕の地である福崎は、「妖怪のまち」として町おこしに成功しました。
しかし2021年9月、小川さんは急逝しました。そこで没後1年を迎えるタイミングで、有志が中心となり小川さんの残した功績をたたえるイベント「OGAFES」が開催されました。
とはいえ、趣旨としては「偲ぶ」ではなく、企画マンであった小川さんへの挑戦。小川さんの企画に負けじとアイデアを出し合い、「みんなが楽しめるイベント」として企画されました。このため開催内容も、出場者65歳以上からのレースや、コスプレイベントまでまさにごった煮状態。当日のイベント内容を密着してお届けします。
2022年9月24日。まもなく10月に差し掛かろうとするタイミングでも、依然として残暑厳しい三連休中日。
筆者は幼少の頃からこの地を知る人間ですが、福崎は元々、民俗学者・柳田國男生誕の地であることと、郷土料理の「もちむぎ麺」がほんのり話題になる程度の町でした。
そこで生を受けたのがガジロウ。2014年2月14日に、本日の会場である辻川山公園で生を受けました。魚の方の錦鯉が優雅に泳ぐ園内のため池にて、突如湧き上がってくるのが「ガジロウ」。毎日9時~17時の間(6月~9月は18時まで)、0分からはじまり15分間隔で浮かんできます。この日も、いつもと変わらずに浮き上がってくれました。
ガジロウは、福崎町役場の職員で造形師でもあった小川さんが考案し、特殊造形師の河津一守さんがデザインした造形。一方、柳田氏の著書「故郷七十年」にて紹介された、福崎では河童のことを「ガタロ(河太郎)」と呼んでいたという記述に着想を得たキャラでもあり、福崎の歴史を具現化した一面も有しています。
一度見たらそうそう忘れられない個性的ないで立ちは、地元関西のニュース番組を皮切りに様々なメディアに紹介され、気づけば福崎は「妖怪のまち」としての町おこしに成功しました。
13時のイベント開始に合わせて、少し早めに現地到着した筆者。会場で真っ先に目に入ったのは、バイクのような乗り物「POLCAR」でした。
近くに行って確認してみると、どうやら四輪車のようです。
実はこれ、福崎町に本社を置く部品メーカー「福伸(ふくしん)電機」が開発した電動カート「ポルカー」。いわゆる地場産品です。近年大きな社会問題になっている「高齢者の免許返納問題」対策で開発された乗り物です。このため、想定ユーザーは「65歳以上」。
本日の「OGAFES」では、事前に参加申し込みをした住民たちによるレース大会「POLCAR GP」がメインイベントになります。
車両として「電動車いす」に分類されるポルカーは、最高速度が6キロのため区分としては「歩行者」として扱われます。なのでヘルメットも不要。しかしこれはどう見ても乗り物です。実際の乗り心地も気になるところ。
「『歩く速度』って実際どんなもんやろう?」まじまじとマシンを見ていた筆者に対し、その場にいた福伸電機社員の方が「乗ってみますか?」と声をかけてきました。福伸電機側としては実際に試してもらいたい、というねらいもこの日のイベントにはあったそうです。ただし、子どもに関しては、安全面を考慮してNGとのことでした。
お言葉に甘えて試走してみた筆者。運転方法はいたって簡単。「電動モビリティ」なので、まずはキーを回して電源オン。そこから右にあるレバーを握れば動きます。2つ設置されたつまみで、1から6(単位はキロ)に設定された速度と前進・バックの調整を行います。今回はヒトが歩く平均速度といわれる「4キロ」に設定。
さてどんなもんかな……うおっ、意外と速いぞこれ。バイクにもいえますが「体感速度」は、実際試してみないと分からないものですね。最高速度の「6キロ」だと、かなりのスピード感ではないでしょうか。
さて、レース開始が迫ってまいりました。
本レースは2組の予選を実施し、上位2人が決勝ラウンドに進むという方式。そして「出場レーサー」は65歳以上の高齢者ですが、多くは75歳以上の後期高齢者でした。よっこらせと、出場選手たちがそれぞれのポルカーに乗り込みます。
全員の乗車を確認した後、スタートの合図が鳴りました……って遅い!先ほど筆者が試走したのと同じ「4キロ」に設定された中でのレースのため、非常にゆったりしたペースで展開されます。体感速度は速いものの、傍から見れば「歩行者」であることには変わりありませんでした。
そのようなスピード感なので、レース中でも選手たちに“密着取材”できました。筆者を含めた取材陣が、ポジション確保のため奔走しますが、あいにくの夏日のため、額に汗がしたたります。暑い……。
公園の坂を登り、グラウンド前・もちむぎのやかた・そして辻川山公園を周回するコースで競われた本レース。4周すればゴールというルールで、2周目と3周目終了後には、チェックポイントがありました。
第1ポイントは「血圧測定」。本レースの出場者は65歳以上の高齢者たちで、いくら電動車いすとはいえ、この炎天下だとぶっ通しというわけにもいきません。看護師の方による血圧測定が行われました。なお、測定の結果「170」を超えると、下がるまで「一時退場」の措置が取られます。実際に出場選手の1人が中断を余儀なくされました。
第2の関門が「もちむぎ麺の実食」。ラストスパートの前に、郷土料理でエネルギーチャージとは乙なものです。
2度の予選を経ての決勝レース。同様のレギュレーションで実施されましたが、道中各選手に乗り心地を聞いてみると、「玩具みたいやな!(笑)」「ちょっとゆっくり過ぎるね」「ええなこれ、兄ちゃんどうやって持って帰れるか知ってるか?」など、様々なご意見が寄せられました。
最終的な結果は、82歳の男性が優勝。2位が84歳の女性でした。インタビューでは、お二方ともハキハキした声で対応。お二方とも80代とは感じさせない若々しさです。
「高齢者ドライバー」が奮闘している中、会場を彩ったのは様々なコスチュームを身に纏ったコスプレイヤーでした。「妖怪のまち」が開催地ということもあってか、妖怪をモチーフにしたレイヤーたちが各々の決めポーズを披露。
筆者同様にポルカーにまたがり、試走を楽しんでいる妖怪も。
レース終了後には、福崎のお隣・加西市のゆるキャラ「健美(ケミィ)」と、選手としても出場したダンスチームによるパフォーマンスが行われました。流れた曲は、ラッパー・MCミチさんの楽曲「FEEL」。健美の「テーマ曲」として使用されています。
この健美は、ガジロウと同じく河津一守氏がデザイン。食虫植物「サラセニア」をモチーフとし、辻川山公園から“出向”したという色んな意味でリアルなキャラ設定。少々インパクト強めの風貌ですが、人の心と身体の悪い部分を吸い取ってくれるという、大変ご利益のあるキャラでもあります。
考案者は阿部裕彦さん。加西市の市職員を務め、そして本日の「OGAFES」の主催者です。
小川さんとは中学高校時代の同級生という間柄。健美の他にも障がい者支援などで精力的に活動しており、「地方公務員が本当にすごい!と思う地方公務員アワード」では、2019年に小川さんと揃って「すごい!地方公務員」に選ばれています。
ところで、ここまでやや存在が希薄な「ガジロウ」でしたが、イベントも終盤に入ったタイミングで絶大な存在感を発揮します。他の「妖怪」たちに負けじとポルカーに乗り込み、華麗なドライビングテクニックを披露。
その際、背中の甲羅が邪魔に感じたようで、同行者の福崎町職員に外してもらっていました……ってそれ外せるんかい!
ちなみに健美は、チャームポイントのしっぽがあるため、試走はしていません。
「軽装」になったこともあり、コースの一部を走ってみたガジロウ。すると、老若男女様々なギャラリーたちが次々に「ガジロウ!」と駆け寄ってきていました。とことんリアルを追求した造形もあり、一部は恐怖で号泣する子たちもいたのですが、人があつまるその存在はまさに「郷土の英雄」。彼が福崎にとっての「シンボル」なのでしょう。
生誕から7年半の時間をかけ、「親」がコツコツと積み上げた結果、福崎は、枕詞に「妖怪のまち」を獲得。JR福崎駅前ではガジロウが15分毎に出てくるモニュメントで訪れる人を出迎え、町内のいたるところには、様々な妖怪が着座している「妖怪ベンチ」が置かれ、さらに多くの人をこの町に集め続けています。
というわけで、本イベントは盛況のうちにお開き……でしたが、夜にちょっとした「余興」が開かれました。
会場は辻川山公園から少し離れた入浴施設「文殊荘(もんじゅそう)」。日中「POLCAR GP」を盛り上げたコスプレイヤーたちによるダンスイベントというものでした。
屋外では、人里離れた高台にある立地を生かし、プロジェクションマッピングによって様々な妖怪が投影されています。
地面にも妖怪たちが出現。「夜は文殊荘で運動会」かな?
館内では、阿部さんがDJ兼ダンサーとしても活躍。いよいよ本当のお開きというところで、筆者は阿部さんに色々と話を聞きました。
私がとりわけ気になったのは、「なぜあのような構成にしたのか」ということ。盛況ではあったものの、小川さんを偲ぶという観点から見ると、内容が“離れている”ようにも感じたためです。
余談ですが、「OGAFES」前日の9月23日には、JR福崎駅前で「FUKUFES」と題したダンス大会が開催されました。老若男女総勢20組超のチームがそれぞれのダンスパフォーマンスを披露したイベントには、途中衆議院議員の今井絵理子氏がVTRで祝辞を述べるなど、曇天にも負けじと熱気を放っていました。
「自分が出来ることで、『福崎』と『ガジロウ』を盛り上げたかったからです。小川さんは、誰もが思いつかないことをやってしまう突き抜けた人でした。なので、いつも彼とは違うやり方で勝負していましたね。それはこの日もそうです」
阿部さんの返答に、筆者はハッとさせられました。先ほど私が感じた「疑問」というのは、「ガジロウはこうあるべきだ」という先入観が含まれたもの。言い換えれば「小川知男」という幻影を追いかけているということ。
この世を去って1年が経つタイミングで、「こういうことをしたら喜ぶだろう」との想いでイベントを開催しても、それは「劣化コピー」にしかすぎません。それよりも、遺された人が自分なりの表現で実施する方が、結果として生前の功績を偲ぶことにも繋がるように思います。
あまりに突然の訃報で、町おこしの旗振り役を失った喪失感・衝撃は、周囲にも痛いほど伝わっていました。小川さんとは生前に、取材を機に交流が生まれた筆者も、同様の印象を持ちましたし、「早すぎた」という思いは未だ消え去ってはいません。一時は「もうガジロウは厳しいんじゃないか」という空気が漂っていたほどです。
だからこそ、「灯は絶対に消したらアカン」と立ち上がったのが阿部さんでした。それに、様々な人間が呼応して実現したのが「OGAFES」。
しかし、本イベントはあくまで通過点。どのイベントにもいえる話ではありますが、重要なのは「やった後」になります。
「FUKUFES」「OGAFES」では、小川さんの後を継ぎ、ガジロウを担当している福崎町職員の方も参加していました。小川さん亡き後も様々な取り組みをされていましたが、今後それを強化していくとのことです。今回、ポルカーを提供した福伸電機も、一定の手ごたえを感じていました。
親から独り立ちした「ガジロウ2.0」がどういう変貌を遂げるのか。引き続き、注目していきたいと思います。
(向山純平)