中世の「ミイラの薬」が細胞をインフルエンザから守る可能性
古代エジプトのミイラは、かつて薬として売り買いされていました。
中世から近世にかけて、医者たちはミイラを削ったものを、万能薬として処方していたのです。
古代エジプト人が遺体の保存に使った材料に、病人の健康を取り戻す力があると信じられていたからです。
今の感覚では、ただの迷信に聞こえるかもしれません。
では、この奇妙な薬には、実際に何が含まれていたのでしょうか。
そして、体を守るような働きは、本当に少しも無かったのでしょうか。
研究の詳細は、2026年10月26日付で学術誌『Proceedings of the National Academy of Sciences』に掲載されました。
ミイラが薬として売られた時代
この薬は「ムミア・ウェラ・アエギュプティアカ(Mumia vera aegyptiaca)」と呼ばれていました。
エジプトのミイラが世界の交易に乗ると、アラブとヨーロッパの医学で広く使われるようになりました。
当時の文献によると、傷や呼吸の不調から、まひやてんかんまで、幅広い病気に使われたといいます。
人気はますます高まり、古代のミイラの取引が大いに盛り上がりました。
その勢いは、16世紀にエジプト側がミイラの輸出を禁じるまで続きました。
それでも、もうけの大きい商売だったため、悪質な商人は偽物にまで手を出します。
新しい遺体を乾かして、古代のミイラの薬として売ったのです。
これほど広く使われた薬なのに、中身が何で、体にどう働くのかは、よく分かっていませんでした。
手がかりとして注目されていたのは、マツやにのような針葉樹の樹脂に含まれる成分です。
この成分(7-オキソデヒドロアビエチン酸)は有効成分の候補とされ、薬効のもとだと考える研究者もいました。
そこで今回の研究チームは、古い文献と博物館に残る実物の両方から、この薬の正体に迫りました。
文献は、エジプト学と薬の歴史の両面から、41点を読み解きました。
実物は、大学や薬学の博物館が所蔵する24点を分析しています。
昔のミイラ薬の製品のほか、ミイラの体の一部や、防腐処理に使った材料の残りかすがあります。
包帯や、ミイラになった頭蓋骨2つも含まれていました。
分析では、試料に含まれる物質をまとめて洗い出し、品どうしで比べる方法(メタボロミクス)を使いました。
物質の名前を見分ける作業には、機械学習の助けも借りています。
さらに、取り出した成分が細胞にどう働くかも試しました。
樹脂のほかに、一部の品から出た意外な植物の痕跡は?
分析でまず分かったのは、同じ「ミイラ薬」の名を持つ品でも、中身がかなりばらばらだったことです。
それでも、品をまたいでくり返し現れる、成分の特徴もありました。
それは、長い年月を経た針葉樹の樹脂とよく合う特徴でした。
樹脂の成分が酸化して変化した物質(酸化したアビエタン型ジテルペノイド)も見つかっています。
より意外だったのは、いくつかの試料から、アロエに関係する成分が見つかったことです。
アロインやアロエレジンという物質に関係する化合物です。
研究チームによると、古代エジプトの防腐材を分析した研究で、こうした成分が報告されたことはこれまで無いといいます。
この結果は、一部の試料にアロエの仲間からしみ出た液が含まれていたことを支持するものです。
つまり、ミイラ作りにアロエが使われていた可能性が出てきたのです。
この発見は、古い言葉の謎にもつながりました。
紀元前2千年紀、つまり今から3000年以上前のエジプト語に、意味の分からない単語がありました。
研究チームが成分の分析と文献の記述を突き合わせたところ、新たな読み方が浮かびました。
この単語は、アロエか、アロエから作った物を指していた可能性があるのです。
分析は、博物館の収蔵品どうしのつながりも浮かび上がらせました。
収蔵品の中に、目立たない粉の試料がありました。
成分を比べたところ、この粉は、ある特定のミイラの頭部と結びつきました。
粉と頭部のつながりは、それまで収蔵の記録では確かめられていなかったものです。
ミイラ薬とミイラ作りの材料は、針葉樹の樹脂とよく合う特徴をくり返し示しつつ、一部の試料からはアロエに関係する成分まで見つかる、思いのほか複雑なものだったのです。
インフルエンザに感染した細胞は守られた
では、この薬に、体を守る働きはあったのでしょうか。
研究チームは、細胞を使ってこれを確かめました。
使ったのは、イヌの腎臓から取った細胞(MDCK細胞)です。
この細胞を4種類のインフルエンザウイルスに感染させ、昔のミイラ薬から取り出した液(抽出物)を加えました。
インフルエンザウイルスに感染すると、細胞は傷んで壊れていきます。
ところが、抽出物に触れた細胞は、何も加えなかった細胞に比べて、生き延びる時間が長くなりました。
控えめながら、ミイラ薬は細胞をウイルスの害から守ったのです。
毎年の流行期に出回りやすいH1N1型とH3N2型のウイルスでも、効き目が見られました。
次に気になるのは、何がこの働きを生んだのかです。
研究チームは、有効成分の候補とされてきた、あの針葉樹の樹脂の成分に注目しました。
ミイラ薬の主な成分であるこの物質だけを取り出し、同じように試したのです。
ところが、この成分だけでは、細胞を守る働きは見られませんでした。
ミイラ薬の働きは、樹脂の成分から来ているのではないのかもしれません。
研究チームによると、働きのもとになった成分は、まだ分かっていません。
量の少ない成分か、いくつもの成分が組み合わさった働きの可能性があるといいます。
また研究チームは、この結果が昔の医療の正しさを直接示すものではないと強調しています。
中世や近世の文献では、インフルエンザはミイラ薬を使う病気として挙げられていなかったからです。
今回確かめられたのは、あくまで培養した細胞での働きです。
何百年も前に医者が処方していたミイラの薬が、時を越えて、インフルエンザにかかった細胞をわずかに長く生かしたのです。
写真で見るミイラ薬とミイラ作りにかかわるもの
参考文献
Ancient Medical Remedy Made From Egyptian Mummies May Actually Protect Cells Against Flu Viruses (IFLScience)
https://www.iflscience.com/ancient-medical-remedy-made-from-egyptian-mummies-may-actually-protect-cells-against-flu-viruses-85058
元論文
New molecular and historical evidence on ancient Egyptian embalming
https://doi.org/10.1073/pnas.2624362123
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部