「宇宙の原料」水素原子を、LEDの光でフラスコの中に作り出すことに成功
夜空を見上げたとき、そこに見えるもののほとんどは、実は水素です。
水素は周期表の1番目の元素で、宇宙でずば抜けて多い物質です。
星の燃料であり、何十億年もかけて重い元素が作られてきた、宇宙の原料でもあります。
太陽も、その中心で水素の原子どうしをくっつけ続ける炉のようなものです。
かつては、ほかのすべての元素は水素が足し合わさってできている、という説(ウィリアム・プラウトの仮説)まで唱えられました(この説はのちに否定されています)。
ところが、この水素の原子を1個ずつばらばらの形で扱うことは、化学の実験室では100年以上ほとんどできませんでした。
物理学では最もよく調べられてきた原子なのに、物を作る化学者には手の届かない存在だったのです。
では今回、研究チームはこの原子をどうやってフラスコの中に呼び出したのでしょうか?
研究の詳細は、2026年8月25日付で学術誌『Journal of the American Chemical Society』に掲載されました。
宇宙一ありふれた原子が、実験室で扱いにくかった理由
まず、ボンベに詰められた水素ガスは、水素の原子が2個つながった分子です。
電子が1個多い水素のイオンや、原子の芯にあたる陽子とも違います。
今回の主役は、1個の陽子のまわりを1個の電子が回るだけの、ひとりぼっちの水素原子です。
この電子には相方がいないため、水素原子は宇宙で最も小さな「ラジカル」です。
ラジカルは、化学で最も基本的な「反応しやすい粒子」ですが、水素原子を作るにはあまりに過酷な条件が必要でした。
最初に水素原子を一時的に作ったのは、1912年、アメリカの化学者アーヴィング・ラングミュアです。
彼はタングステンの線の上で水素ガスを1,700℃を超えるまで熱し、原子に引き裂きました。
この原子が冷たい金属の表面で再びくっつくと、温度は3,400〜4,000℃に達しました。
その熱は、金属の中で最も熱に強いタングステンさえ溶接できるほどでした。
この方法は数十年にわたり、最も強力な工業用の溶接法の一つとして使われました。
1922年には、紫外線を当てた水銀の原子が、水素分子をばらばらにする方法(水銀光増感)も見つかります。
ただ、これには規制の厳しい有毒な水銀の蒸気と、特別な紫外線ランプが必要でした。
1991年には米イェール大学のロバート・クラブトリーが、この方法で作った水素原子を物作りに使えると示しました。
プラスチックの原料になる物質で、炭素どうしの二重結合を壊せたのです。
ただし、クラブトリーは同じ1991年に、それまでに考え出された水素原子の作り方は、どれも物作りの方法としては実用に耐えないとも結論づけていました。
水銀や過酷な条件に頼らず、ふつうの実験室で水素原子を使いこなす方法は、まだなかったのです。
3%の失敗から始まった、「ある薬品」との出会い
研究チームが手本にしたのは、アンモニアに水素原子が1個余分についた、とても短命な粒子(アンモニウムラジカル)でした。
この粒子は「リュードベリ・ラジカル」と呼ばれる仲間の一種で、1兆分の1秒単位の一瞬で、アンモニアと水素原子に分かれてしまいます。
つまり、この粒子をうまく作れれば、それが壊れるときに水素原子が出てくるはずです。
チームは、アンモニアと、硫黄を含む薬品のチオフェノールを組み合わせる作戦を立てました。
両者が組になって光を吸い、チオフェノールからアンモニアの側へ電子が移れば、目当ての粒子ができると考えたのです。
水素原子は、炭素どうしの二重結合を持つ物質(アルケン)とよく反応し、そこに水素を付け加えます。
そのため、アルケンに水素が付いた物ができるかどうかで、作戦の成否が分かります。
ところが、アンモニアで試すと、目当ての物質はわずか3%しかできませんでした。
材料の分子100個あたり、目当ての物質が3個ほどしかできなかった計算です。
チームは、一度使われたチオフェノールが元の形に戻りにくいことが原因ではないかと考えました。
元に戻るには、相手から水素を1個引き抜く必要があります。
ところがアンモニアの水素は、がっちり結びついていて抜けにくいのです。
そこでチームが代わりに選んだのが、同じく窒素と水素からなり、水素をずっと引き抜きやすい「ヒドラジン」でした。
条件を細かく調整し直した結果、目当ての物質ができる割合(収率)は88%に跳ね上がりました。
薬品の入れ替えと条件の調整で、ほぼ失敗だった反応が、材料の大半を目当ての物に変える反応になったのです。
チームはさらに、アルコールやエステルなど、さまざまな部分を持つアルケンでも試しました。
その結果、多くのアルケンで高い収率で水素を付け加えられました。
ただし、一部の種類のアルケンでは収率が下がりました。
ハロゲンを含む物質(ハロゲン化物)を還元する反応にも使え、金属を使わずに穏やかな条件で進むのも特徴です。
実験には、においへの工夫もありました。
チオフェノールはひどい悪臭を放つため、反応液の中でチオフェノールに変わる別の原料を入れ、その場で作らせたのです。
反応しなかった分は主に元の材料のまま残っており、物質の収支もよく合っていました。
光とヒドラジンとチオフェノールを組み合わせれば、アルケンに水素を高い効率で付け加えられることが分かったのです。
フラスコの中に、本当に水素原子はいたのか
ただし、反応がうまくいっただけでは、本当に水素原子が働いたとは言い切れません。
物作りの化学では、水素原子が反応に関わっていると考えること自体が、めったにないからです。
そこでチームは、水素原子が現れた「現場」を直接押さえようとしました。
使ったのは、水素原子などを捕まえて長持ちする形に変える分子(DMPO)です。
捕まった粒子は、相方のいない電子を感じ取る測定(電子スピン共鳴、EPR)で見分けられます。
チームはヒドラジンとチオフェノール、DMPOなどをアルゴンガスの中で混ぜ、室温で5分間、LEDの光を当てました。
すると、水素原子を捕まえたDMPOに特有の信号が現れ、その形は過去の報告ともよく一致しました。
ヒドラジンの水素を重い水素(重水素)に置き換えると、水素原子に加えて重水素原子を捕まえた信号も現れました。
これは、出てきた原子の出どころがヒドラジンにあることをうかがわせる結果です。
反対に、材料のどれか1つでも抜くと、この信号は消えました。
では、水素原子はどんな粒子を経て生まれたのでしょうか。
チームが有力視したのは、ヒドラジンに水素が1個余分についた、短命な粒子です。
コンピューターでの計算(DFT)では、この粒子が壊れて水素原子を出す変化は、エネルギーの「下り坂」で進みやすいと出ました。
一方、ヒドラジンから水素が1個抜けた別の粒子では、同じ変化は「上り坂」で進みにくいと分かりました。
この考えを支える前例が、原子炉にありました。
原子炉の冷却水には、腐食を防ぐためにヒドラジンが加えられています。
そこでは、放射線(ガンマ線)を浴びた水から生じた電子が、陽子が1個付いたヒドラジン(ヒドラジニウムイオン)と反応して、同じ短命な粒子ができます。
そして、この粒子が壊れて水素原子を出すことが知られていたのです。
こうした証拠をあわせ、チームは次のような流れを提案しています。
ヒドラジンとチオフェノールの組が光を吸うと、まず先ほどの短命な粒子ができます。
それが壊れて生まれた水素原子が、すぐにアルケンと反応するという流れです。
仲間のアンモニウムラジカルの寿命は1兆分の13秒ほどしかありません。そのため、この短命な粒子がそのままアルケンと反応するとは考えにくいとされます。
反応が進むと、ヒドラジンの一部は最終的に窒素ガスに変わり、容器の中の圧力が高まります。
ただし、チオフェノールからできる別の組の間で電子がやり取りされる経路も、まだ否定しきれていません。
チームはその可能性は低いとみていますが、仕組みはあくまで「提案」の段階です。
応用についても、化学や生物学の幅広い分野で「使える可能性がある」と述べるにとどまります。
それでもこの研究は、高温や有毒な水銀に頼らずに水素原子を作り、物作りに使えることを示しました。
かつてタングステンを溶接するほどの熱とともにあった水素原子が、いまはLEDに照らされたフラスコの中で生まれているのです。
写真で見る宇宙の水素と、地上の水素原子づくり
参考文献
The hydrogen atom: The raw material of the universe barely exists on Earth—now we've made it in a flask (Phys.org)
https://phys.org/news/2026-10-hydrogen-atom-raw-material-universe.html
元論文
A Synthetic Method to Hydrogen Radicals
https://doi.org/10.1021/jacs.6c07870
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部