トロッコ問題は頭の中だけの話ではなかった、本物のお金で検証
7人のグループの中で、あなたともう1人だけが1ドルずつもらい、残りの5人は何ももらっていません。
ここでスイッチを入れると、もう1人の1ドルが取り上げられ、5人に1ドルずつ配られます。
あなた自身の1ドルは、スイッチを入れても入れなくてもそのままです。
これは、1人を犠牲にして5人を救うかを問う有名な思考実験「トロッコ問題」を、お金に置き換えたものです。
ただし、誰も死なず、想像の話でもなく、動くお金は本物です。
ある研究チームは、この選択を実際に米国の大人たちに迫りました。
しかもその17か月前、同じ人たちには、考え方のくせや推論の力を測るテストを受けてもらっていました。
1年半近く前のテストの成績は、本物のお金を前にした選択と結びついているのでしょうか?
そして、「みんなの幸せを大事にする」と答える人は、本当にスイッチを入れるのでしょうか?
研究の詳細は、学術誌『Judgment and Decision Making』に掲載されました。
「人を突き落とす」思考実験に代わる、1ドルの選択
人の道徳的な判断については、20年ほど前から有力な説明があります。
心理学者ジョシュア・グリーンらが唱えた「二重過程モデル」です。
この説では、すばやい直感は「人を傷つけるな」のような決まりごとへ私たちを向かわせます。
一方で、ゆっくり考えると、より多くの人のためになる結果へ向かうとされます。
こうした多数のためになる選択は、「功利主義的」な選択と呼ばれます。
ところが、この説を支える証拠の多くは、現実離れした場面から集められてきました。
暴走するトロッコを止めるため、歩道橋から男性を突き落とすかを想像させる問題です。
もちろん、そんな場面に実際に出くわした人はいません。
さらに、「突き落とす」と答える人ほど、サイコパス傾向を測る尺度で点が高いことも報告されていました。
つまりその答えは、5人を思う気持ちではなく、人を傷つけることへの抵抗の弱さを映しているのかもしれません。
そこで別の研究者たちが考え出したのが、冒頭のお金版トロッコ問題です。
考案者たちのデータでは、1人から取って5人に配る選択は、サイコパス傾向とまったく結びついていませんでした。
お金版なら、誰の体も傷つけない現実の選択で、二重過程モデルを確かめられるのです。
スイッチを入れた人は、即決した?それとも時間をかけた?
今回の研究は、17か月後の調査の前に、調べる仮説と方法を公開してから行われました(事前登録)。
最初の調査では、米国の1,200人がいくつかのテストに答えています。
1つ目は、すぐ浮かぶ答えが実は間違いという、ひっかけ問題です。
有名な「バットとボール問題」(直感で答えると間違えやすい値段の計算問題)などを含む全5問で、正解の数が「立ち止まって考える力」の点数になります。
2つ目は、図形の並びから規則を見抜くパズル(レーヴンのマトリックス)で、推論の力を測ります。
使ったのは、3×3のマス目に並んだ図形のうち、欠けた1マスに当てはまる図形を選ぶ問題で、わずか3問でした。
3つ目は考え方の好みを尋ねる質問で、頭を使うのが好きか、直感を信じるか、証拠しだいで考えを変えるかを聞きました。
さらに、功利主義的な考えを測る定番の質問紙「オックスフォード功利主義尺度(OUS)」にも答えています。
「人を助けないのは、自分で人を傷つけるのと同じくらい悪い」といった項目が並ぶ質問紙です。
そして17か月後、このうち321人が、冒頭のスイッチの選択に本物のお金で臨みました。
これだけ間が空けば、参加者が研究のねらいを見抜いて答えを合わせる心配も小さくなります。
結果、参加者の約69%がスイッチを入れました。
10人いればおよそ7人が、見知らぬ相手のお金を取り上げてでも、多くの人に配る方を選んだのです。
では、どんな人がスイッチを入れていたのでしょうか?
17か月前のひっかけ問題によく正解していた人ほど、スイッチを入れやすい傾向がありました。
正解が1問増えるごとに、多数のためになる選択をする見込み(オッズ)は約19%高くなっていたのです。
これは事前登録していた本命の検証で、効果は控えめながら、確かに見られました。
ところが、選択とさらに強く結びついていた物差しが2つありました。
図形パズルの成績と、「証拠があれば考えを変える」という姿勢です。
3つを1つの分析にまとめて入れると、図形パズルと考えを変える姿勢は、はっきりした結びつきを保ちました。
一方、図形パズルの成績と、考えを変える姿勢の影響を差し引くと、ひっかけ問題の点数だけでは、選択をはっきりとは言い当てられませんでした。
つまり選択と結びついていたのは、ひっかけに気づく習慣だけでなく、考え抜く力と、考え抜こうとする構えでもあったようです。ただし、この2つの結果は前もって計画していなかった分析によるもので、慎重に見る必要があります。
しかも、スイッチを入れた人は、決めるまでの時間が短いどころか、むしろ長くかかっていました。
衝動的にお金を取り上げたのではなく、考えた末の選択だった様子がうかがえます。
細かな但し書きはつくものの、二重過程モデルの見立ては本物のお金の場面でも支持されたことになります。
質問紙の点数と行動のずれ、そして信仰という分かれ道
では、功利主義的な考えを測るはずの質問紙はどうだったのでしょうか。
OUSには、「誰の幸せも等しく大事にする」部分と、「多数のためなら害も許す」部分があります。
ところが、どちらの点数も、実際にスイッチを入れたかどうかとの間に、有意な(偶然とは言いにくい)結びつきは認められませんでした。
さらに、この質問紙の点数は、直感で考えるのを好む人ほど高い傾向がありました。
逆に、じっくり考えるのを好む人ほど、点数は低めだったのです。
参加者は、研究者が示したいくつかの判断の理由が、自分の選択にどれだけ当てはまるかも答えています。「誰の幸せも大事にする」部分の点数は、そのほぼすべての理由について、当てはまると答える度合いと結びついていました。
その中には、決まりごとを重んじる理由まで含まれていました。
著者の一人は、これは功利主義の物差しが本来示すべき姿とほぼ正反対だと指摘しています。
質問紙が役に立たないわけではありませんが、「みんなを大事に思う」と言うことと、実際に誰かの1ドルを取り上げることは別物です。
逆の向きのずれもありました。考える力の物差しは実際の選択と結びついていたのに、「多数のためになるから選んだ」と自分の理由を評価する度合いとは、有意な結びつきが見られなかったのです。
道徳についての自己申告は、実際の行動と照らし合わせて確かめる必要があります。今回、この質問紙はその確認を通らなかったのです。
もう一つ、著者が最も興味深いと考える結果があります。
ただしこれは事前に計画していなかった分析で、結論ではなく手がかりとして見るべきものです。
参加者の約半数はキリスト教の信者で、残りのほとんどは無神論者か不可知論者(神がいるかどうかは分からないとする立場の人)でした。
信者はスイッチを入れる割合がやや低めでした。これは、道徳的ジレンマでは信者ほど決まりごとに基づく選択を好むという、これまでの報告と一致します。
注目すべきは、考える力と選択の結びつきが、信仰によって変わっていたことです。
信仰をもたない人では、ひっかけ問題によく正解する人ほど、はるかにスイッチを入れやすい傾向がありました。
一方、信者では、考える力の違いが選択にほとんど、あるいはまったく表れませんでした。
著者は、じっくり考えることは「真実を出す機械」ではないと述べています。
それは、その人が身につけてきた「よい考え方」の基準に沿って働く道具だというのです。
信仰をもたない人では、その基準は証拠と結果を天秤にかけることである場合が多いでしょう。
一方、神の命令を道徳の源と見る人では、考えるほど「人の物を取るな」という決まりが固まることもありえます。
論文でも、熟慮は結論を吟味するより、もともと好む結論を補強するのに使われうると書かれています。
なお今回調べたのは、米国の大人を対象にした、1ドルを賭けた1種類の課題だけです。
示されたのは因果ではなく結びつきです。信仰をめぐる結果も、改めて直接確かめる必要があります。
それでも、「みんなを大事にする」と答えた点数より、17か月前の図形パズルの点数のほうが、1ドルを動かす手を言い当てていたのです。
写真で見る線路の切り替えレバーと1ドル札
参考文献
The Trolley Problem, but With Real Money (Psychology Today)
https://www.psychologytoday.com/us/blog/moral-intuitions/202610/the-trolley-problem-but-with-real-money
元論文
Cognitive reflection predicts utilitarian behavior in the monetary moral dilemma after 17 months
https://doi.org/10.1017/jdm.2026.10051
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部