60年追い求められた「幻の分子」、安定した形での取り出しに成功
ホウ素と酸素が、3組の手でがっちりつながった分子があります。
化学では、このようなつながりを「三重結合」と呼びます。
この分子(オキソボラン)を、世界中の化学者が少なくとも1960年代の初めから作ろうとしてきました。
ところが、極端な条件の下で一瞬とらえたり、反応の跡から存在を推し量ったりするのがやっとでした。
安定した形で取り出し、じっくり調べられた例は、これまでありませんでした。
なぜこの分子は、それほど手に負えなかったのでしょうか。
そして、60年あまりの宿題は、どうやって片づいたのでしょうか。
手がかりは、博士課程の学生2人がそれぞれ別に気づいた、オレンジ色や黄色の見慣れない固体にありました。
研究の詳細は、独ヴュルツブルク大学らにより、2026年10月27日付で学術誌『Nature Chemistry』に掲載されました。
ホウ素は「三重のつながり」が苦手
ホウ素という元素は、そもそも三重結合を作るのを好みません。
ドイツのヴュルツブルク大学のホルガー・ブラウンシュバイク教授は、この難しさに挑んできました。
ホウ素を含む三重結合の分子作りに取り組んで、もう15年以上になります。
チームは2012年、ホウ素どうしが三重結合でつながった分子を、初めて報告しました。
2025年には、ホウ素と炭素が三重結合でつながった、電気的に中性の分子も初めて報告しています。
大学の発表によると、ホウ素が、周期表のpブロックと呼ばれる元素のまとまりの最初の行の元素と作る三重結合のうち、残っていた課題は有機オキソボラン(ホウ素と酸素の三重結合を持つ化合物)ただ1つでした。
オキソボランは、数十年にわたって、世界の無機化学者や有機化学者が狙ってきた的です。
気体の状態や、とても冷やした固体の中に閉じ込めた状態なら、とらえることはできました。
反応の途中でできたことを示す証拠や、三重結合を少し弱めた仲間の分子も作られています。
たとえば、別の分子を寄り添わせて支えた分子です。また、白金とつないで安定させた分子も作られ、こちらは計算から三重結合を持つとみられていました。
しかし、支えのない素のオキソボランを、液体や固体の中で見つけたり取り出したりするのは難しいままでした。
ブラウンシュバイク教授は「分野のほぼ全員が、オキソボランをあきらめていました」と話します。
不安定すぎて取り出せない、と考えられていたからです。
取り出せないはずの分子、3分かき混ぜてどれだけ取れた?
転機は、博士課程の学生ルーカス・ルブチクさんとクリスティアン・マルクルさんの実験でした。
2人が使ったのは、ホウ素を2つ持つ、反応しやすい分子(ジボラクムレン)です。
これを、有機化学ではごく普通の試薬であるケトン(炭素に酸素が二重につながった部分を持つ化合物)の仲間と混ぜました。
ホウ素どうしが強く結びついた分子は、二酸化炭素などの、炭素と酸素のつながりを切る傾向が知られていました。
一方、アセトンと混ぜた例では、そうした切断ではなく、別の形の反応が起きていました。
そこでチームは、反応しにくい部分を持つ相手で、ふるまいを確かめることにしました。
選ばれたのは、ベンゾフェノンなど2種類のケトンと、アミドという仲間のジメチルホルムアミドです。
これらを、室温で多めに加えました。
チームは、ケトンの炭素と酸素のつながりが切れる反応を、当然のように予想していました。
ところが、できていたのは、長年追い求められてきたオキソボランだったのです。
3つの反応のどれでも、オキソボランが50%を超える収率で取り出せました。
収率とは、理屈の上でできる量のうち、実際に取り出せた量の割合です。
もっとありそうな生成物がほかにいくつも考えられる中で、オキソボランが主な生成物になったのです。
できた3つのオキソボランは、オレンジ色や黄色の固体でした。
しかも室温で、結晶の固体として安定していました。
2人はそれぞれ別の反応で、この見慣れない色の固体に気づいていました。
ルブチクさんは「ジボラクムレンがあんな反応をするとは、思ってもいませんでした」と振り返ります。
さらに、いくつもの単純な相手と反応したことも、予想外だったといいます。
そして、マルクルさんが自分の化合物を持ってきたとき、「何かをつかんだと分かった」と話しています。
中でも手軽さが際立つのが、ジメチルホルムアミドとの反応です。
材料の溶液にジメチルホルムアミドを加え、かき混ぜたのはわずか3分でした。
その後、揮発する成分を飛ばし、別の溶媒で溶かし出して冷やすと、黄色い結晶が得られました。
収率は77%で、理屈の上でできる量の大半を取り出せました。
カップ麺ができるほどの時間の反応で、60年あまり追い求められながら安定した形では取り出せなかった分子が手に入ったことになります。
最短級のつながり、なぜ壊れないのか
では、できた分子は本当に、ホウ素と酸素の三重結合を持っていたのでしょうか。
チームは、結晶にX線を当てて原子の並びを読み取る方法で、つながり方を確かめました。
ホウ素と酸素の距離は、1.208〜1.217Å(オングストローム)でした。
1Åは、1センチの1億分の1という小さな長さです。
これは、これまで最も短いとみられていた白金入りの分子(1.210Å)と、ほぼ同じ長さでした。
しかも、ホウ素と酸素は174〜179.5度と、ほぼ一直線に並んでいました。
つながりの強さは、結合の「震え」からも確かめられました。
原子どうしのつながりは、ばねのように伸び縮みして震えています。
ホウ素には重さの違う仲間(ホウ素10とホウ素11)があり、震えの信号が対になって出るのがオキソボランの目印です。
赤外線を当てて調べると、3つの分子すべてで、この対の信号が見つかりました。
震えの速さを示す値は、電子を差し出す分子を寄り添わせて支えた仲間より、14〜16%ほど高くなりました。
白金入りの分子と比べてもやや高く、全体として、より強いつながりであることを示していました。
チームは、ケトンから作った2つの分子のつながりを、おそらく史上最も強いものだとみています。
ただしこれは、安定して取り出せた化合物の中での話です。
約マイナス263℃(10K)で一瞬とらえた短命なオキソボランは、もう少し速く震えていました。
また、ジメチルホルムアミドから作った分子は、3つの中で結合が最も長く、計算上の三重結合らしさもやや弱めでした。
計算は、インドのテズプル大学のアシュウィニ・K・フカン教授のチームが支えました。
計算では、三重のつながりは電気の偏りが大きく(イオン的)、電子はホウ素より酸素の側に多く寄っていました。
一方で、2つのホウ素の間は、ほぼ1本のつながりで結ばれているだけでした。
では、なぜこの分子は壊れずに残っていられるのでしょうか。
オキソボランのまわりは、とくに大きな部品で囲って守られているわけではありません。
チームは計算から、最も有力な理由は電子の面にあると考えています。
鍵は、オキソボランの隣についた、ホウ素を含む部品(ボリレニル基)ならではの性質だといいます。
この部品が、白金入りの分子で白金の側が担っていた支えの役を、同じくらいうまく果たしているようなのです。
この部品は電子をとても豊富に持っていて、オキソボランのホウ素がおびるプラスの電気を弱めます。
そのぶん、ほかの分子に攻められにくくなっていると考えられます。
計算で描いたでき方では、まずケトンの酸素がホウ素の1つに近づき、炭素と酸素のつながりが2つのホウ素の間で割れます。
最後に、酸素を受け取ったホウ素から、もとからついていた支えの部品が外れる、という筋書きです。
作れたのは3つですが、チームはこの方法から、新しいオキソボランが数多く生まれる可能性があるとみています。
さらに、周期表のほかの元素でも捕まえにくい分子を作れないか、方法をどこまで広げられるかを試しています。
60年あまり追い求められてきた分子は、ありふれた試薬を使えば、速いものでは3分のかき混ぜで、取り出して調べられる黄色い結晶になったのです。
写真で見る、結晶をX線で調べる装置
参考文献
A 60-year search is over: Chemists isolate long-elusive molecules with boron-oxygen triple bonds (Phys.org)
https://phys.org/news/2026-10-year-chemists-isolate-elusive-molecules.html
元論文
Synthesis and isolation of stable oxoboranes
https://doi.org/10.1038/s41557-026-02272-w
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部