世界で最も飲まれる糖尿病薬は腸を「糖の浪費家」にしていた
アメリカのノースウェスタン大学(NU)で行われたマウス実験によって、糖尿病治療薬メトホルミンが血糖値を下げている主な舞台は、長く信じられてきた肝臓ではなく「腸」であることが示されました。
この薬は腸の内側をおおう細胞にたまり、その細胞のエネルギー生産を鈍らせます。
エネルギーが足りなくなった細胞は、血液中の糖をかき集めて燃やし始めます。
研究を率いたナブディープ・チャンデル氏は「メトホルミンは事実上、腸が血流から糖を吸い出すのを助けている」と述べています。
では、世界中で何百万人もが毎日飲んでいる薬の効きどころが、なぜ今になってようやく突き止められたのでしょうか。
研究内容の詳細は2026年5月8日に『Nature Metabolism』にて発表されました。
目次
- 肝臓ではなく腸で効いていた
- 腸が「糖の浪費家」になるまで
肝臓ではなく腸で効いていた
メトホルミンは2型糖尿病の治療で長く第一選択として使われてきた薬で、値段も安く、世界中で何百万人もの患者が毎日飲んでいます。
それでいて、効き目の中心がどこにあるのかという肝心の部分は、決着がついていませんでした。
有力だったのは肝臓説です。
肝臓は、食事をしていないあいだも血液に糖を送り出している供給元です。
メトホルミンはこの供給を絞ることで血糖値を下げている、と考えられてきました。
薬が肝臓の細胞で何をしているのかも、早くから予測が行われていました。
細胞の中には、酸素を使ってエネルギーを作り出す小さな器官(ミトコンドリア)があります。
メトホルミンはこのミトコンドリアの働きを鈍らせる、というのがその筋書きです。
そのため「メトホルミンは一種のミトコンドリア毒として機能する」という言い方をされることもあります。
ただ、この筋書きには数字の合わないところがありました。
ミトコンドリアを実際に鈍らせるには、かなり濃い薬が必要になります。
ところが実際の効果は、肝臓にその濃さが届く前のかなり薄い段階で発揮されていました。
こうなると「肝臓で効く説」は怪しくなってきます。
一方、腸は違いました。
飲み込まれたメトホルミンは腸の細胞に取り込まれ、そこでの濃さは血液中の最大300倍、肝臓の10〜100倍に達します。
ふつうに飲む量で、薬がミトコンドリアを鈍らせるほど濃くなる場所は、体の中で腸だけです。
腸を疑わせる手がかりは、薬を飲んだ人の血液からも出ていました。
服用の前後で血液中の成分を比べたとき、最も大きく減っていたのはシトルリンという物質です。
血液を巡るシトルリンは、小腸の細胞のミトコンドリアだけが作り出しています。
その工程が鈍ればシトルリンも減ります。
つまりこの減り方は、薬が小腸で働いている印です。
とはいえ、濃さのズレと血液の変化だけでは、腸が主役だと言い切ることはできません。
そこで研究チームが用意したのが、腸だけが薬をすり抜けるマウスでした。
メトホルミンが手をかけるのは、ミトコンドリアの中で最初に働く部品(ミトコンドリア複合体I)です。
ここが止まると、その先のエネルギー生産の流れも一緒に止まります。
研究チームは、この部品と同じ仕事をこなしながらメトホルミンには邪魔されない酵素を、酵母から借りてきました。
それを腸の細胞にだけ組み込むと、薬が本来の部品を止めても、借りものの酵素が横から仕事を引き継いで流れは止まりません。
腸の細胞にとってだけ薬が空振りする体を、狙って作り出したわけです。
このマウスにメトホルミンを与えると、血中シトルリンはほとんど減らず、血糖値を下げる働きも大きく損なわれました。
この結果は、メトホルミンが腸で血糖値を下げる効果を発揮していたことを示します。
では、メトホルミンに部品を止められた腸の細胞では、いったい何が起きているのでしょうか。
腸が「糖の浪費家」になるまで
答えは、細胞が糖から受け取れるエネルギーの取り分にありました。
ミトコンドリアが働いていれば、細胞は糖1個からエネルギーをおよそ30個ぶん取り出せます。
そこが鈍ると、細胞は糖を手早く分解するもうひとつの低効率の回路に切り替えます。
この回路が糖1個から取り出せるのは2個ぶんだけです。
1個あたりの取り分が15分の1になれば、同じだけのエネルギーを得るのに必要な糖の数は跳ね上がります。
つまりメトホルミンを受け取った腸の細胞は、糖の使い方が下手になったせいで、かえって糖をどんどん消費するようになるわけです。
こうして腸は、余った糖を吸い取るスポンジに変わります。
そのスポンジぶりは、画像でも確かめられました。
糖をさかんに使っている場所が光って見えるPET検査では、メトホルミンを飲ませた普通のマウスの腸がくっきりと光りました。
メトホルミンが効いて、腸が大量の糖を取り込んで効率の悪いエネルギー生産を行っている証拠です。
腸だけが薬をすり抜けるマウスでは、その光は現れません。
薬が効く場所が別部品になったせいで、高効率のエネルギー生産で済むからです。
一方で、肝臓や筋肉の明るさは、どちらのマウスでも変わりませんでした。
興味深いことに、この現象自体は以前から病院側が知っていた点です。
メトホルミンを飲んでいる人がこの検査を受けると、腸が明るく写ります。
そこに腫瘍が紛れてしまうため、検査の前に薬をいったん止めるのが標準的な対応になっているほどです。
ですが今回の研究では、画像を濁す厄介事として扱われてきたその明るさこそ、薬が腸で糖の放出を抑えていたことを示す像だった可能性がみえてきました。
また腸のスポンジ化は、薬ではないものにも起きていました。
ベルベリンという植物由来の成分で、いまは血糖対策のサプリメントとして売られています。
体重が減ることでも知られる糖尿病薬オゼンピックになぞらえて、SNSでは「天然のオゼンピック」と呼ばれる人気ぶりです。
ベルベリンはオウレンやキハダに含まれる成分で、日本でも黄連(オウレン)や黄柏(オウバク)といった生薬、あるいは下痢を抑える薬の成分として使われてきました。
研究者がこのベルベリンを酔うとしたところ、メトホルミンとは化学構造がまるで違うのに、代役つきのマウスでは、ベルベリンが血糖値を下げる働きは完全に消えました。
ベルベリンは全身にはほとんど吸収されず、腸に居座り続ける成分です。
効き目を腸に丸ごと預けていたからこそ、腸を守るだけで効果も丸ごと消えたわけです。
ただしチャンデル氏は「メトホルミンには数十年の臨床の裏づけがあるが、ベルベリンのようなサプリははるかに検証が手薄だ」と述べ、サプリで置き換えることには慎重です。
腸が舞台だという見方は、飲み方の話にもつながります。
飲み水に薬を溶かして少しずつ与え続けたマウスでは、血糖値は下がりませんでした。
一方、1回分をまとめて飲ませたマウスでは、しっかり下がりました。
薄く長く飲ませたのでは、腸の細胞は必要な濃さに届かなかったとみられます。
では、まとめて飲むことを続ければ効き目は積み上がるのかというと、そうではありませんでした。
2週間毎日飲ませたマウスで薬が抜けきるのを待って測り直すと、下がりはもう残っておらず、メトホルミンの効き目は貯金できないことが分かりました。
そのため論文は、食事の直前や食事中に飲むことに利点があると指摘しています。
この飲み方は、もともと胃腸の副作用を抑えるために勧められてきたものですが、今回の結果から「効果を引き出す飲み方」としても捉えられるようになるでしょう。
もっとも、仕組みをここまで直接確かめたのは、オスのマウスを使った実験です。
人でも同じ筋書きがそのまま成り立つのかどうかは、これから確かめられることになります。
それでも今回の研究により、メトホルミンの主な活躍場所がみえてきたことで、これからの新薬開発において重要な一歩となるでしょう。
元論文
Metformin inhibits mitochondrial complex I in intestinal epithelium to promote glycaemic control
https://doi.org/10.1038/s42255-026-01530-y
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部