エジプトのベニスエフ大学(BSU)などで行われた研究によって、約4000年前の古代エジプトの王女たちが、弓や短剣といった武器を実際に扱っていた可能性が示されました。


宮殿で優雅に暮らす「箱入りのお姫さま」――私たちがそう思い描いてきた王女たちの腕や手の骨には、弓を引き武器を握る動作と整合する、鍛え上げられた痕跡が刻まれていたというのです。


今回の論文の筆頭著者のハシェシュ氏も「王女たちは座して過ごす優雅な日々を送っていたのではなく、幼い頃から弓術や武術の訓練を積んでいたに違いありません」と述べています。


黄金や上質な亜麻布に包まれていたはずの王女たちは、なぜ戦士のような身体をしていたのでしょうか?


研究内容の詳細は2026年7月17日に『Frontiers in Environmental Archaeology』にて発表されました。




目次



  • 王女たちの骨から武器使用の痕跡を探る
  • 王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた
  • それは「戦い」のためだったのか?
  • 古代の王女は「箱入り娘」ではなかったかもしれない

王女たちの骨から武器使用の痕跡を探る


王女たちの骨から武器使用の痕跡を探る / Credit:Canva

古代エジプトの墓には、実にさまざまなものが副葬品として納められていました。


食べ物、衣服、宝飾品、そして武器。


これらは死者が「あの世」で快適に暮らせるようにという思想に基づいています。


副葬品は、大きく2種類に分けられます。


1つ目は、飾りや儀礼の道具、権力を示す品など、死後のために特別に作られた、実用性のないものです。


2つ目は、生前に実際に使っていた私物です。


たとえば有名なツタンカーメン王の墓からは、衣服や道具、武器など、明らかに日常で使われていた品々が数多く見つかっています。


ただ、すべての副葬品がこれほど明確に仕分けできるわけではありません。


そこで今回研究チームは、骨に着目しました。


私たちの筋肉や腱は、骨の決まった場所に付着しています。


そして、ある動作を長年にわたって繰り返し、その筋肉を強く使い続けると、その付着部のまわりの骨が発達して盛り上がってくるのです。


たとえばプロのテニス選手の利き腕とそうでない腕を比較した複数の研究では、研究によって差はありますが、利き腕の側で骨の量や太さが1〜2割ほど大きい例が報告されています。


また中世イングランドの弓兵を調べた例では、弓を引く動作を繰り返した結果、本来くっつくはずだった肩の骨がくっつかないまま大人になった、と考えられる変化(肩峰離断)がみられました。


肩甲骨の先端にあたる肩の骨は、子どもの頃は軟骨に近い状態で、ふつうは18歳ごろまでに骨へと変わって一体化します。


ところが、成長期に強い弓を毎日引き続けると、その部分に絶えず力がかかり、骨がくっつく前に「動き続ける」状態になってしまうのです。


言ってみれば、弓を引き続けた青春が、そのまま骨の形として固定されてしまったようなもの。


研究者たちは、この特徴を手がかりに、射手だった可能性の高い人々を推定する手がかりを得ました。


このように骨を調べれば、その人が生前に、どの部位に、どのような負荷が繰り返しかかっていたかを推定する手がかりになります。


研究チームは、この骨の変化を調べることで、副葬品が生前に本当に使われていたものなのかを見分けようとしました。


王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた


王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた / Credit: Hashesh et al., 2026, Frontiers in Environmental Archaeology

研究チームが調べたのは、6人の王族の遺骨です。


彼らは1890年代にダハシュールという遺跡で発掘されましたが、その後カイロのエジプト博物館の地下でながらく忘れ去られ、2020年の整理作業のなかで「再発見」されました。


まさに、博物館の地下に眠っていた王族たちです。


このうち4人は、ファラオ・アメンエムハト2世の娘たち、つまり王女姉妹だと考えられています。


研究チームは、骨のかたちを測って性別や亡くなった年齢を推定し、さらにX線も使って、病気やケガの跡、そして体の使い方の痕跡をていねいに調べていきました。


すると、優雅な王女のイメージとは結びつきにくい特徴が、次々と見つかったのです。


・短剣を握り続けた王女・イタ


まず注目されたのが、およそ28〜34歳で亡くなったと推定される王女イタです。


彼女の墓からは、金とラピスラズリ(青い宝石)で飾られた、みごとな短剣が見つかっていました。


そしてイタの骨を調べると、右腕の鎖骨、上腕骨、前腕骨、そして手の骨にわたる広い範囲で、筋肉の付着部が力強く発達していました。


とくに右手の指を曲げる筋肉(浅指屈筋)の付着部が強く発達していました。


左側は残っておらず左右の比較はできませんが、左手の小指側にも特徴的な筋付着部の発達が見られました。


研究では、これらの特徴が短剣やメイス(打撃武器)のような武器を繰り返し握る動作と整合的だと報告しています。


今回の論文の筆頭著者のハシェシュ氏も「イタの上半身には強く発達した筋付着部があり、メイスや短剣のような武器を習慣的に使っていたことが示唆されます」と述べています。


若くして亡くなった王女の手は、ただ飾りに触れるだけの手ではなかったようです。


・矢のヌブヘテプ


そして、研究チームが「特に明確な例」として繰り返し強調しているのが、40〜44歳ごろに亡くなったと推定される王女ヌブヘテプです。


彼女の墓には、驚くほど良好な状態で保存された矢が納められていました。


そして骨の方にも、前腕の骨間膜(2本の前腕骨を繋ぐ膜)や方形回内筋(手のひらを下に向ける筋肉)の付着部、さらに右手の指を動かす筋肉群が、顕著に発達していました。


なかでもとくに注目されたのが、手のひらの骨(第2中手骨)に見られた特徴的な「湾曲」です。


研究チームはこれを、弓を安定させて引く動作に必要な、持続的で強い力がかかり続けた結果としての変形、すなわち「弓を引く者の手(archer’s grip)」だと解釈しています。


矢という副葬品と、弓を引く者の手。


このふたつが重なったヌブヘテプは、今回の研究のなかでも、副葬品と骨の痕跡が最もきれいに一致した例だといえます。


・傷を負ったイタウェレト


王女イタウェレトの骨もまた、活動的な人生を物語っています。


肩まわりや胸部の筋肉の付着部が発達しており、弓を引く動作と整合的だと報告されています。


しかし彼女の骨が印象的なのは、それだけではありません。


治癒した肋骨の骨折と、足の骨(中足骨)の疲労骨折の痕が残っていたのです。


研究チームは、これらの傷が転倒や打撃など、活動的な生活にともなう事故によるものだろうと考えています。


注目すべきは、どちらの骨折もきれいに治っているということです。


感染や癒合不良の形跡がありません。


古代エジプトには「エドウィン・スミス外科パピルス」と呼ばれる、骨折の整復や創傷処置を記した医学文書が知られています。


イタウェレトの骨の治り方は、当時すでに骨折を治療する知識があったことをうかがわせる、と著者らは見ています。


ハシェシュ氏は「これらの傷は、狩猟や軍事訓練、あるいは他の身体的に厳しい活動にともなう事故、転落、強い打撲などによって負ったものだと考えられます。注目すべきは、いずれもよく治癒していること。当時としては高度な医療を受けられたことを示しています」と述べています。


・弓使いか、病か――判断が割れるケンメト


一方で、すべての王女が同じパターンを示したわけではない、という点も大切です。


35〜45歳で亡くなったと推定される王女ケンメトの骨にも、弓の使用と関連する前腕の筋付着部の発達は見られました。


ただ彼女には骨粗鬆症の疑いがあり、手のひらの骨の湾曲も、ビタミンD欠乏のような代謝性疾患で生じた可能性が指摘されています。


そのため現状では、弓射の痕跡なのか、病気の結果なのかを切り分けることが難しいと言えるでしょう。


弓射と断定せず、病気の可能性も併記している点は、この研究の手堅さを示しています。


・「借り物の墓に眠る王」ホル


6体のうち、ただ一人の男性が王ホル(ホル・アウイブラ)です。


じつは彼は、王女たちのずっと後の時代、初期第13王朝の王でした。


この第13王朝は、100年余りのあいだに数多くの王が次々と入れ替わった、混乱の時代です(王の数え方には諸説あります)。


ホルの在位も、そのなかでわずか2年ほどだったと考えられています。


自分のピラミッドを建てる時間すらなく、彼はアメンエムハト3世のピラミッド複合体の中にある竪穴墓を再利用する形で葬られました。


いわば借り物の墓に眠る、短命で無名の王だったのです。


そのホルの骨もまた、実際に「使う者」の痕跡を示していました。


研究チームによれば、彼の左右の腕には筋肉の発達に明確な差があり、右の肩の関節にはくぼみ状の変化も見られました。


これらは武術や、それに類する動作と整合的だといいます。


もう一つ、ホルの骨は子ども時代の苦労まで記録していました。


眼窩(目のくぼみ)の天井部分に、栄養不足や病気が原因で生じる小さな穴状の変化(cribra orbitalia)が見つかったのです。


これは、幼い頃に栄養不足や感染などの身体的ストレスを経験した名残と考えられます。


王家に生まれても、幼い頃には身体的な苦労があったのかもしれません。


(※個体408とされた王女も類似の弓を使い込んだ時に現れる骨の変化がみられました)


これらの所見を総合して、ハシェシュ氏らは「上肢に見られる顕著な発達は、弓の弦を引いたり武器を安定させるといった、反復的で高強度の動作と相関しています。これは、女性の墓にある弓、矢、メイスの存在を直接説明するものです。それらは単なる象徴的な贈り物ではなく、彼女たちが実際に使った道具だったのです」と述べています。


また武器の扱いを始めた時期についても「幼い頃から訓練を始めていたに違いない」と述べています。


それは「戦い」のためだったのか?


Credit:Canva

仮に王女たちが本当に弓を引いていたとして、その目的は何だったのでしょうか。


長いエジプト史のなかで、軍事的才能を持った女性がいたことは確かです。


いちばん有名なのが第17〜18王朝の王妃アハホテプです。


カルナクの碑文では、アハホテプ1世(前1560〜1530年頃)が「エジプトをまとめ、軍を世話し、守り、逃亡兵を連れ戻し、南部を平定し、反逆者を退けた」と称えられています。


ただ古代エジプトの文献に、王族女性が武器を使ったことを直接示す例は多くありません。


また古代エジプトにおいて女性は一般に非戦闘員とされていました。


戦場に立つ王女、という姿は物語としては魅力的ですが、王女たちの骨の痕跡を、そのまま最前線で戦っていた証と考えるのは無理があるでしょう。


ここでもう一つの手がかりになるのが、戦い以外の弓の使い道です。


アメリカ・アイオワ大学のエジプト学者ニコラス・ブラウン氏は、古代エジプトの「セド祭」という王位更新の儀礼に注目しています。


この祭りでは、王女が東西南北の四方へ矢を射る役割を担うことがあったというのです。


弓は、戦いの道具であると同時に、神聖な儀礼の道具でもありました。


だとすれば、王女たちが弓を引いていたのは、戦うためではなく、狩りや、こうした儀式に備えるためだったのかもしれません。


研究チーム自身も、王女たちと武器の関係を「武術あるいは儀礼的な活動のためと思われる」と結論づけています。


ただその備えが骨に残るほどのものだとしたら、王女たちの武器の習熟レベルは決して低いものではなかったでしょう。


古代の王女は「箱入り娘」ではなかったかもしれない


Credit:Canva

今回の研究により、王女たちは宮殿で座っているだけの受動的な存在ではなかった可能性が見えてきました。


金の短剣を握っていたかもしれない手。


弓を引く動作を思わせる、湾曲した手の骨。


治って固まった骨折の痕。


それらは、王女たちが「箱入りのお姫さま」という後世のイメージには収まりきらない、活動的で、時に危険をともなう人生を生きていた可能性をみせてくれます。


ハシェシュ氏は「考古学者たちは長い間、王女たちの宝飾品や装飾品を保存することに力を注いできました。しかし、彼女たちの人間としての姿は忘れられてきたのです。私たちの研究は、それを変えようとするものです」と述べています。


考古学では宝飾品の保存が重視される一方で、それを身につけていた本人の姿は忘れられてきましたが、その人間としての姿を取り戻すことに、この研究の目的は置かれています。


もちろん、彼女たちが本当に戦士だったのか、狩人だったのか、儀礼の担い手だったのか、最終的な答えはまだ確定していません。


上肢が武器使用に一致する変化を起こしているのは、確かに重要な分析結果です。


しかし極端なことを言えば、近接武器や弓の使用とよく似た、別の日常的な反復動作が関係していた可能性も、完全には否定できません。


それでも、この研究が持つ意義は小さくありません。


王女たちの武器をめぐる議論は、これまで副葬品というモノの側からしか語れませんでした。


その議論に、骨という新たな手がかりを持ち込んだこと自体が、大きな一歩なのです。


研究チームは今後、DNA分析や、骨に含まれる元素から食生活や出自をたどる同位体分析を進める予定だといいます。


それが実現すれば、王女たちの血縁関係や食生活、生まれ育った土地について、より確かなことがわかってくるはずです。


古代の世界を解き明かす最も雄弁な手がかりは、ときに、きらびやかな墓の宝物ではなく、そこに眠る人々自身の体にこそ宿っているのかもしれません。


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参考文献

Ancient Egyptian princesses born 4,000 years ago were skilled archers, new study shows
https://www.frontiersin.org/news/2026/07/17/ancient-egyptian-princesses-4-000-years-ago-skilled-archers-frontiers-environmental-archaeology

元論文

Bioarchaeological reassessment of Dahshur royal skeletal remains from the Late Middle Kingdom (c. 1850–1700 BCE)
https://doi.org/10.3389/fearc.2026.1844402

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 古代エジプトの「5人の王女」は武器の達人だった可能性が示された