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調査に当たってはまず、音響の力で浮かせた単独の水滴を観察するというユニークな手法を用いました。
音波を使った特殊な「アコースティック・リフテーション装置」を使うことで、水滴を宙に留めたまま大きさや変形のタイミングを自在にコントロールし、そこで発生する微小な火花(マイクロ放電)を高感度のカメラや光センサーで直接検出できるのです。
さらに、スプレー状に噴霧した水を高速で飛ばす実験も併行して行い、そこにさまざまなガスを混合して質量分析計(MS)へ送り込みました。
こうして、どのような化学種が新たに生じるかをリアルタイムで解析したのです。
実験では、水滴が分裂するとき、想像以上に強い電場が生じることが確認されました。
例えば、直径の異なる水滴どうしが接近する際には、わずかな距離でもきわめて高い電位差が発生し、目に見えるほどの微光を放つ“マイクロライトニング”が観測されました。
質量分析の結果、この放電によって周囲のガス分子がイオン化されるだけでなく、炭素と窒素が結合した有機分子(アミノ酸や塩基など)が新たに作られていることが示されたのです。
さらに、水をH₂OではなくD₂O(重水)に置き換えると、生成される分子に重水由来の成分が取り込まれていることもわかり、水滴との相互作用が確かに反応に関わっていることを裏づけました。
以上の結果は、雷のように大きな放電を必要とせず、ありふれた水しぶきの衝突だけで生命の基盤となる分子が生まれる可能性を示しています。
滝や波しぶき、さらには日常的に見られる霧や水の噴霧など、地球上あらゆる場所で無数に起こりうる水滴の分裂現象が、実は長い地球の歴史の中で“有機物の創出工場”として機能していたかもしれないのです。
この事実は、これまで雷放電に頼るシナリオだけでは説明しきれなかった「生命の材料が地球上にどのように広まったのか」を理解する新しい視点をもたらす、きわめて重要な発見だといえます。
今回の研究は、私たちの周囲でごく当たり前に起きているはずの水滴の分裂が、意外にも強力な化学反応のエネルギー源になりうることを示唆しています。
これまで、初期地球の大気中にあった無機分子がアミノ酸や核酸塩基といった「生命の材料」へと変化するには、巨大なエネルギー源(雷など)が必須だと考えられてきました。
しかし実際には、稲妻のような派手な放電はそれほど頻繁には起こりません。
マイクロ放電という小さな現象が、むしろ滝や波しぶき、あるいは雨や霧など、日常レベルで至るところに存在する水滴の衝突を通じて大気中の分子をイオン化し、炭素と窒素の結合をつくり出していた可能性が浮かび上がるのです。
水しぶきが飛び散る現場は地球規模で数えきれないほどあり、雷のように一瞬で高エネルギーを放つ現象より、はるかに広範囲かつ頻度も高いといえます。
つまり、マイクロライトニングが雷放電と同様の化学進化を引き起こしていたとすれば、その総量で見ると稲妻よりも大きな貢献をしたかもしれません。
さらに、水滴同士や水と空気との接触は初期地球だけでなく、いまの地球環境や他の惑星でも普遍的に起こりうるため、生命の起源だけでなく広範な化学反応プロセスの解明に役立ちそうです。
今回の結果からは、生命誕生のシナリオとして従来の「雷がなければ有機物生成は難しい」という仮説を補完する新しい視点が得られます。
自然界にあふれる無数の水滴が合体・分裂をくり返していたとすれば、そのたびに小さな“雷”が発生し、有機分子が合成されていた可能性があるのです。
もちろん、生命を形づくる全プロセスを説明するには、海底の熱水噴出口や隕石衝突など、他の要因も検討する必要があります。
しかし、マイクロ放電という身近な現象がもたらす高エネルギー反応が、地球規模でじわじわと連続的に働いていたと考えると、「どのようにして初期の地球に有機物が広がったのか」という長年の謎に新しい答えの候補を与えてくれるでしょう。
さらにこの現象は、現在の技術開発や環境修復などの分野への応用にもつながるかもしれません。
いま目の前で飛び交う小さな水滴が、生命の物語を紡ぐ大きな力を秘めていると思うと、科学の世界はまだまだ新たな驚きで満ちているように感じられます。
元論文
Spraying of water microdroplets forms luminescence and causes chemical reactions in surrounding gas
https://doi.org/10.1126/sciadv.adt8979
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部