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上の図では、白いモヤモヤとしたものが時間経過とともに徐々に広がっていく様子が見て取れます。
最初は初期配置された円型のポイントとX型のポイントの2つだけが見えます。
しかし最終段階では、人間の目でもわかるような明確なパターンとラインを持っていることがわかります。
上側のものは大きな環状構造と各ポイントから外部に向けて放射状に伸びるラインを形成し、下側のものは中心部に明瞭なX構造を形成し、外部へ続くラインは最も外側の4つのポイントを起点に広がっていくのが見えます。
このような明確なパターンを持つ構造を描けるのは、地球生命の中でもごく限られた存在だけです。
実際、小さな子供に円型とX型のポイントが描かれた紙と鉛筆を渡して線を描かせても、ここまで整然としたものは作れないでしょう。
しかし自然界に生息する菌類には、それが可能な種が存在するのです。
この白い物体の正体は、木材などを栄養源に生活するチャカワタケ(Phanerochaete velutina)と言われる菌類の一種です。
なぜ脳も目もない菌類が、意図を持ったかのような構造を作れたのでしょうか?
私たち人間の複雑な認知能力は、脳に存在する神経細胞のニューラルネットワークに依存しています。
人間が何かを記憶したり学習したりすると、ネットワークが変化して新たな接続が形成され、ネットワークを流れる電気の流れが変化します。
このネットワークの変化によって、私たちは楽器を演奏するスキルや外国語の習得が可能になります。
この事実は、ネットワーク構造は記憶や認知能力を生み出す母体となっていることを示しています。
ネットワークの個人差は、人間の性格や思想の違いすら生み出すことすら可能です。
ロボトミー手術が人間の人格を破壊してしまうのも、脳のネットワークを物理的に破壊してしまうからだと言えるでしょう。
人間は脳内のネットワークを維持することで記憶やスキルを維持し、ネットワークを進化させることで知識や技能を向上させていきます。
さらに近年の急速な脳科学の進歩により、人間の特定の認知能力が、脳内に存在するどのネットワークに対応しているかも明らかになってきました。
たとえば人間の脳内には図形を認識するためのネットワーク群が存在しており、三角形を認識するときと四角形を認識するときには別々のネットワークが活性化していることが判明しています。
この結果は、人間の脳内には三角形を認識するネットワークと四角形を認識するネットワークの両方が存在していることを示しています。
では脳と同じようにネットワークを作る菌類はどうなのでしょうか?
アメリカナラタケと呼ばれる菌は地下に9平方キロメートル(3㎞×3㎞)、およそサッカー場1300個分に及ぶ巨大なネットワークを築く種も存在します。
この菌は最大で8500年にわたり生きて成長を続けていると考えられており、地球で最も大きな生命とされています。
そこで今回、東北大学の研究者たちは、ネットワーク構造を作る能力がある菌類に図形を認識する能力があるかどうかを調べることにしました。
菌類も図形を認識できるのか?
認識できているとしても、人間はどうやってそれを確かめるのか?
新たな研究ではこの難題を解決する手段として、非常にユニークな方法をとりました。
実験ではまず木材をエサにする菌類(チャカワタケ)とエサとなる9個の木片が用意され、チャカワタケを木片に塗り付けました。
次にチャカワタケ付きの木片を上の図のように円型とX型に配置し、116日間にかけて培養を行いました。
すると先にも図で死したように、菌糸が成長して最終的には異なる形状のネットワーク構造を形成することがわかりました。
円型とX型をベースにしたネットワーク構造には、素人目にも大きな違いが存在しているのがわかります。
そこで研究者たちは、エサとして使用している木片の減少量や、木材と菌糸束の接続数などを調べてみました。
(菌糸束:数十本から数百本の菌糸が束になったもの。単純に束になっているものの他に表皮部分や通路部分に役割がわかれているものもあります。図では一番右の太い線になっている部分です)
同じ菌に対して同じ量のエサを与えた場合、普通なら同じ結果になりそうなものです。
しかし実際は、菌糸束が多く接続しているエサほと分解が進んでいることが判明。
さらに円型の菌たちはX型の菌たちよりもエサを多く分解していることもわかりました。
この結果は、図形の形状の違いが、菌たちのネットワークの活性に違いを生んでいることを示します。
研究者たちは「図形の違いによって脳で活性化する神経ネットワークが違う」現象は「図形の違いによって菌のネットワーク活性が異なる」現象と似ている可能性があると述べています。
またそのように解釈すれば「菌類の菌糸体は図形を識別できると言える」と結論しています。
では、菌類のネットワークがより複雑化してゆけば、AIのように高度な情報処理ができたり、人間のような意識が持てるのでしょうか?
これまでの研究により、菌類の細胞表面に存在するイオンの通り道(イオンチャンネル)が、菌糸内での電気信号の伝達を行っており、菌類が学習するための神経回路のように機能している可能性が報告されています。
そのため菌類のネットワークの複雑さが一定の閾値を超えれば、理論的には、脳のように機能することも可能なハズです。
この点について研究者たちは、実験結果は菌たちが意識を持っていることを示してはいないと述べています。
というのも、認知が行われるプロセスは意識のプロセスとは独立して機能しているからです。
図形の認識のような機能は、意識が働いていようが働いていまいが自動的に行われることが知られています。
ただ菌類の認知機能を理解することができれば、脳を持たない生物たちの原始的な知能を知るにあたり大きな手助けになるでしょう。
研究者たちは菌類の知的行動のメカニズムを解明できれば、菌類を使った生物コンピューターの開発につながる可能性があると述べています。
もしかしたら未来のコンピューターには、シリコンや金属でできた電子部品の他に、ゲルパックに保存されたバイオコンピューターも一緒に搭載されているかもしれません。
参考文献
脳や目を持たないのに菌類は図形を識別しているのかもしれない
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2024/09/press20240925-02-fungi.html
元論文
Spatial resource arrangement influences both network structures and activity of fungal mycelia: A form of pattern recognition?
https://doi.org/10.1016/j.funeco.2024.101387
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部