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そのため、私たちの体の多くのパーツは数年で最初とは「別物」になっているのです。
大量の放射線を間近で浴びた人は1カ月ほどで、体全体が溶けたようになってしまうという話を聞いたことがあるかもしれません。これは放射線の影響で新しい細胞が作られなくなったことで、古い細胞が死んでも細胞が入れ替わらないことで起きる症状です。
そんな通常は数カ月程度しか寿命がない細胞たちの中で、卵子は数十年近く健康な状態を保ち続けます。これは他の細胞たちから見れば、ほとんど不老と言える耐久性でしょう。
では卵子どのようにして卵巣内で長期間休眠状態を保ち、健康なままでいられるのでしょうか?
そこで今回、ケンブリッジ大学の研究者たちはマウスを使った実験で、卵母細胞が長寿になれる仕組みを「タンパク質の寿命」という観点から調べることにしました。
タンパク質は細胞の建材であると同時に、生命活動を維持するための稼働部品でもあります。
部品が破損しない機械ほど長く可動できるように、タンパク質が長寿であれば、細胞も長寿になる傾向があります。
体のほとんどを占める通常の細胞の場合、古いタンパク質は常に新しいものに置き換えられ、数日でリサイクルされてしまいます。
皮膚や血液の細胞の寿命が数カ月であるため、内部のタンパク質には数年もの耐久性は必要ないからです。
しかし全てのタンパク質が短命なわけではありません。
例えば眼の水晶体、関節の軟骨、脳に存在するタンパク質の中には、何十年も安定して存在し続けるものも知られています。
実験で使われたマウスの寿命は短いため、卵母細胞はそれほど長く生きる必要はありません。
しかしマウスの体内で卵母細胞は少なくとも1年以上維持されており、これはタンパク質の平均寿命よりもはるかに長くなっています。
卵母細胞の長寿の秘訣が、タンパク質自体の寿命の長さにあるのでしょうか?
またもし卵母細胞のタンパク質が長寿だとしたら、それらのタンパク質は他と違う機能を担っているのでしょうか?
長生きな卵母細胞のタンパク質も長生きなのか、それとも他の細胞のように数カ月で更新され続けているのか?
謎を解明すべく、研究者たちはメスマウスに炭素の放射性同位体が含まれたエサを与えました。
この放射性同位体は炭素13と呼ばれ通常の炭素と比べて中性子が多いため重くなっていますが、通常の炭素と同様に体内に取り込まれます。
このときメスマウスが妊娠していると、胎児の体内にある卵母細胞にも重たい炭素が取り込まれます。
赤ちゃんマウスが誕生すると、研究者たちはすぐにエサをより一般的な軽い炭素を含むものに切り替えました。
もし赤ちゃんマウスの体内の卵母細胞がずっと同じタンパク質を使い続けているならば、卵母細胞の中のタンパク質にも重い炭素が残り続けるはずです。
一方、卵母細胞のタンパク質が通常の細胞のように素早く更新され続けているなら、卵母細胞の中から重い炭素はすぐに失われ、軽い炭素に置き換わるでしょう。
研究者たちは赤ちゃんマウスの成長を見守り、最も子供を産みやすい生後8週齢の卵母細胞を取り出して調べてみました。
すると卵母細胞内のタンパク質の約10%が、子宮内にいるときに生成されたものを使い続けていることが判明しました。
また同じ時期に発表された別の研究では、生後11カ月にわたってこの10%のタンパク質が維持されていることが示されました。
10%というと少なく感じるかもしれませんが、通常の細胞に比べるとこの数値は際立って高いと言えます。
また、10%のタンパク質が残り続けているという事実をもとに計算を行うと、卵母細胞内部ではタンパク質の分解と生産のサイクルが通常の細胞よりも極めて遅いという結果が得られました。
このようなタンパク質の安定性は、卵母細胞を長期保存する上で大きな利点となります。
さらに、一部のタンパク質は他のタンパク質よりも長く残りやすいことも明らかになりました。
例えば卵子表面にある精子が侵入するのを補助するタンパク質は、長期保存されたままでした。
ただ、卵母細胞であっても加齢の影響から完全に逃れることはできません。
研究者たちは「卵巣から長生きのタンパク質が徐々に失われることは、ある年齢を超えると生殖能力が低下する理由を説明するのに役立つだろう」と述べています。
長生きのタンパク質は食品などに含まれる保存料のような役割を果たしているため、それが失われると細胞の老化が一気に進む可能性があるからです。
加えて研究では、若いころの卵母細胞にはミトコンドリアの活性を抑える仕組みが強く働いていることが示されました。
ミトコンドリアは酸素呼吸によってエネルギーを生み出す一方で、副産物として活性酸素種(高エネルギー分子)を作り出し、これらは細胞やDNAの損傷原因となります。
しかし加齢とともに、卵母細胞のミトコンドリアの活性を抑える仕組みが弱くなり、卵母細胞で活発な酸素呼吸が始まることが示されました。
再び食品で例えるならば、ミトコンドリアの活性を抑える仕組みは食品のパッケージに入っている酸素吸収剤や湿気吸収剤の役割を果たしていると言えるでしょう。
そのため、研究者たちは卵母細胞内部に残っている長寿命のタンパク質の量やミトコンドリアの活性レベルを調べることで、卵母細胞の保存状態を知ることができると述べています。
もし保存状態の情報をもとに卵母細胞を選別できるようになれば、不妊治療の効率を大幅に向上させられるでしょう。
また卵母細胞の長寿の仕組みを上手く通常の細胞に取り入れられることができれば、人類の寿命を大幅にのばせるかもしれません。
元論文
The maintenance of oocytes in the mammalian ovary involves extreme protein longevity
https://doi.org/10.1038/s41556-024-01442-7
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。