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アメリカのスタンフォード大学(Stanford University)で行われた研究により、長年に渡って謎とされてきた単細胞の繊毛虫ラクリマリア(L.olor)が伸びる仕組みが判明しました。
単細胞なのに体の一部を長くする生命は存在しますが、ラクリマリアはわずか7秒で細胞の一部分を首の様に体長の30倍まで伸ばし、また同じ速さで縮めることができます。
さらに長く伸ばした首を高速で振り回すこともできるのです。
このような大規模かつ高速の制御を単細胞で実現している生物は他には存在しません。
単細胞生物版の「ろくろ首」とも言えるラクリマリアはいったいどんな仕組みで首の制御を行っているのでしょうか?
研究内容の詳細は2024年6月7日に『Science』にて発表されました。
目次
顕微鏡が発明されて以来、人類は微生物たちの世界を観察するのに夢中になってきました。
ミドリムシ・ゾウリムシ・ケイソウ・アメーバ・細菌などの単細胞生物の世界は極めて多彩であり、その世界の中にも食う食われるの関係が構築されていました。
ですが「繊毛虫ラクリマリア(L.olor)」の首を伸ばす能力の異才さは群をぬいていました。
日本の伝統的な妖怪「ろくろ首」は首を長く伸ばせるユニークな姿が知られていますがラクリマリアはその、ろくろ首のように伸ばした首を使って捕食を行います。
通常のラクリマリアの全長は40μmほどですが、首を伸ばすと30秒ほどで体長が最大1500μm(1.5㎜)にも達します。
さらに最大値一歩手前の1210μm(1.21㎜)であればわずか7秒未満で伸長することができます。
この速度は首を引っ込めるときも同様であり、ひっこめた後はすぐに再伸長も可能です
身長170cmの人間に例えるならば、7秒で自由の女神の半分ほどまで首を伸ばせる計算になります。
これまでにも体の一部を伸ばす単細胞生物は知られていましたが、ラクリマリアほど長く伸び、伸長速度や収縮速度が速い種は存在しませんでした。
ラクリマリアが初めて発見されて以来、生物学者はラクリマリアがどんな仕組みで首を伸ばしているかを知ろうと試みてきましたが、それは謎のままでした。
そして20世紀になって細胞膜の理解が進むと、ラクリマリアの謎はさらに深まりました。
というのも細胞を包む細胞膜は柔軟に曲げるこができ、ある程度上下左右に引っ張っても伸びることができますが、体長の30倍となると不可能だとわかったからです。
つまりラクリマリアの首が体長の30倍も伸びるのは、ゴム人間が皮膚を伸ばすように「細胞膜そのものが伸びているわけではない」ということになります。
では何が伸びているのでしょうか?
ラクリマリア(L.olor)」の首はなぜあんなに伸びるのか?
謎を確めるためスタンフォード大学の研究者たちは顕微鏡と生体画像を組合わせてラクリマリアの外部構造と細胞内にある微小管と呼ばれる細胞骨格を調べました。
(※細胞骨格とは文字通り細胞の骨組みであり、細胞が特定の形をとれるように支えとして使っているフィラメント状の部品です)
するとラクリマリアの細胞膜が15のひだに折りたたまれており、各ひだは細胞をらせん状に巻き付くように配置していることが判明しました。
さらに各ひだには微小管と呼ばれる細胞骨格が巻き付いていました。
研究者たちはこの構造をみて最初「ヘビのとぐろ」あるいは「古い電話機のネジネジしたコード」のような仕組みがあるのではないかと考えました。
「ヘビのとぐろ」や「古い電話機のネジネジしたコード」も類似のらせん構造をしており、引っ張りに対して伸びることができます。
しかしラクリマリアを実際に引っ張ったり戻したりしても、そのような兆候はみられませんでした。
ですが研究チームが日本に旅行に行った際、紙で作られた折り畳み式の提灯をみたことが大きなヒントになりました。
ラクリマリアに見えたらせん構造は「ヘビのとぐろ」や「古い電話機のネジネジしたコード」ではなく、むしろ紙でできた提灯(ちょうちん)や伸縮性のあるプラスチックストローのギザギザ部分のように「細胞膜が折りたたまれた部分ではないか?」と気づいたのです。
ただ普通の提灯やストローのひだと違い、ラクリマリアのひだはらせん状にねじれるように配置され、微小管もねじれに沿って配置されていました。
次に研究者たちはラクリマリアのねじれたひだ構造をオリガミを使って調べてみることにしました。
オリガミに使われている紙は簡単に曲がるがゴムのようには伸びないという点で細胞膜と性質が一致しています。
結果、ラクリマリアに似せて作ったオリガミ細工を引っ張っると、上手く伸びることがわかりました。
この結果からラクリマリアの首の伸びの秘密は、ゴムのように細胞膜が伸びていたからではなく、工夫されたねじれ構造にあったことが示されたのです。
15枚のひだのそれぞれが平行に移動するにつれて細胞膜が整然と展開することで首が伸び、そしてこのプロセスを逆にすると首が短くなるわけです。
また、ひだの中にある微小管(青の部分)は、ひだの展開がランダムではなく整然と行われるようにガイドレールの役目を果たしていることがわかりました。
(※研究者たちはこの仕組みを「ラクリガミ」と名付けました。)
しかし伸びかたが判ったとして、いったいどんな力が「伸び」の原動力となっていたのでしょうか?
研究者たちは、細胞の表面全体を覆う繊毛のリズミカルな動きが力の源となっていると述べています。
繊毛は多くの単細胞生物の表面を覆っている短い毛のような部位であり、協調して動くことで単細胞生物が水中で移動できるようにしています。
この繊毛はひだ部分にも豊富に存在しています。
研究者たちは、繊毛が規則的に動くことで、ひだの1枚1枚が伸長方向や伸縮方向に向かってズレていくと述べています。
細胞膜は伸びない代わりに非常に曲がりやすいため、必要なエネルギーはごく僅かで済みます。
今回の研究により、長きに渡って謎とされてきたラクリマリアの首の構造が明らかになりました。
研究者たちは細胞膜の役割をするオリガミと微小管の役割をするテープさえあれば、誰でも今回の実験を再現できると述べています。
ラクリマリアの首を伸ばす仕組みは単純であり様々な場面に応用が考えられるため、チューブを狭い空間内へ差し込む手段や、がん細胞などに直接薬を届けるためのバイオロボットの設計などで役立つかもしれません。
参考文献
Tiny predator owes its shape-shifting ability to “origami-like” cellular architecture
https://www.eurekalert.org/news-releases/1046890?
元論文
Curved crease origami and topological singularities enable hyperextensibility of L. olor
https://doi.org/10.1126/science.adk5511
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。