はじめに

2019年9月、東京虎ノ門にリニューアルオープンした「The Okura Tokyo」。2015年に閉館した「ホテルオークラ東京 本館」から何を引き継ぎ、どう変わったのか。建設ラッシュに沸く周辺の見どころと共にひも解いてみましょう。

Text&Photo倉方俊輔(建築史家)

多くの人々を驚かせた見事な再現

2015年春「ホテルオークラ東京」の本館が同年8月末に閉館され、建て替え工事に入ると発表されました。すぐに国内外から反対の声が上がり、保存を呼びかけるムーブメントに火がつきました。特に惜しまれたのが、日本の伝統と現代性を融合させたメインロビーです。本館は何人かの共同で設計されましたが、メインロビーを担当したのは建築家の谷口吉郎氏。「東宮御所」、「帝国劇場」など多くの作品で第二次世界大戦後の建築界をリードし、文化勲章も受賞した大家です。 △「The Okura Tokyo」メインロビー

そのメインロビーが「The Okura Tokyo」で見事に再現されたことは、多くの人々を驚かせました。高い天井に、ゆったりと横に長いスペース。上品な市松文様の絨毯に背の低いテーブルが置かれ、それぞれ椅子で囲まれています。正面には雪見障子と麻の葉文様の組子が配されて、外の光をやわらかに取り込むスクリーンになっています。
△外光をやわらかく変える麻の葉文様

メインロビーの手前に「中二階(メザニン)」を設け、スペースをおだやかに間仕切っているのも効果的です。天井の高い洋風の造りと繊細な和風の趣きとを、簡潔なモダニズムのデザインで取り結んだ、かつての空間が復活したかのようです。

△中二階(メザニン)

とはいえ、従来とまったく同じ設計ではありません。天井はより高く造られており、手すりの形などは現在の法律に合うように変更されています。最も違っているのはその位置で、以前はエントランスロビーの正面にありましたが、再現された今回のメインロビーは入って右手に設けられています。それでも、細やかなデザインによって開放的に寛げる雰囲気は引き継がれています。

父の手法を引き継ぎ新たな展開を見せた設計

この再現ロビーを設計したのは谷口吉郎氏の長男、谷口吉生氏です。「ニューヨーク近代美術館(MoMA)新館」、「東京国立博物館法隆寺宝物館」、「葛西臨海水族園」など美しい傑作で知られます。父親は日本を代表する建築家、息子は世界を代表する建築家と言えるでしょう。父の設計を尊重し、変わらない印象を人々に与えながら、その手法をあふれ出すように展開したところに「The Okura Tokyo」の見応えがあるのです。

△エントランスロビーから

たとえば先ほどの「中二階」に関しては、以前はメインロビーで完結していましたが、新たにエントランスロビーにまで引き伸ばされました。この高さの床が効いていることは、入口の上部に設けられた「オークラサロン」でよくわかります。エントランスロビー側からは人のシルエットが透かし見え、サロンからは外の風景が見渡せます。 △オークラサロンからの眺め
△外観に用いられたスクリーン

内と外の程よい関係には、細いアルミパイプをすだれ状に並べたスクリーンも効果を発揮しています。和風とモダニズムを融合した父親の手法を受け継ぎながら、いっそうシャープです。スクリーンが外観の印象を決めているのも従来の設計以上の展開です。

ホテルの外にも注目。六角形と「大倉集古館」

さらに継承と展開を象徴しているのが、いたるところに見られる「六角形」でしょう。メインロビーの照明器具や組子にも潜む六角形は、谷口吉郎氏が好み、他の作品にも登場する形です。これがホテル内のさまざまな場所で応用されています。

△コーヒーを煎れようとすると、ソーサーの下にも六角形 △オークラヘリテージウイングから望むオークラスクエア

最大の六角形は、前面広場「オークラスクエア」に見つかります。新たに正方形の水盤が設けられ、六角形の緑地が、41階建ての「オークラプレステージタワー」、17階建ての「オークラヘリテージウイング」、そして「ホテルオークラ東京」開館以前からここに位置する私立美術館「大倉集古館」(1927年)を関係づけています。

谷口吉生氏はロビーの再現だけでなく、こうした外部空間までデザインすることを条件に設計を引き受けたと言われます。その結果、過去を繰り込みながら、それに留まることのない新しい建築「The Okura Tokyo」に生まれ変わったのです。そこには機能だけでも、形の面白さだけでもなく、計算された「間」によって、内外が気持ちよく透過する空間を生み出す、谷口吉生氏の手腕が発揮されています。
△建物正面に2つ見受けられる六角形

「大倉集古館」の壁にも、六角形を見ることができます。こちらは谷口吉郎氏の大学時代の恩師である伊東忠太氏の設計です。
△フォトスポットとしても人気の銅像

中国風の六角窓の前に、「大倉集古館」の設計を依頼した大倉喜八郎氏の銅像が座っています。彼の息子の大倉喜七郎氏が"世界に通用するホテル"の設計を谷口吉郎氏らに依頼したことで「ホテルオークラ」は生まれました。さらに、谷口吉郎氏の息子である吉生氏が大倉集古館の改修設計を担当と、ここには人物の物語が積み重なっているのです。


◆The Okura Tokyo/大倉集古館
住所:東京都港区虎ノ門2丁目
めくるめく曲線に出合える「三会堂ビル」にも立ち寄って

めくるめく曲線に出合える「三会堂ビル」にも立ち寄って

△立体的な格子柄が特徴的

周辺でぜひ足を運んでもらいたいのが、ホテルから霊南坂を下ると見えてくる「三会堂ビル」(1967年)です。再開発によって周辺がひらけて、特徴的な外観がいっそう目立っていますが、内部はそれ以上です。

△壁面タイルが造り出す曲線

地下の食堂街に続く階段をはじめ、完成した当時の雰囲気が温存された、めくるめく曲面が待っています。設計は佐藤兄弟建築設計事務所、日々谷公会堂などを設計した佐藤功一氏の息子たちの作品です。
△壁をくりぬいたようなエレベーターと、タイルの構成を生かした時計

明快に更新されたホテルの造りとはまた異なり、建設当時のものづくりを50年以上ひっそりと伝える風情があります。

◆三会堂ビル
住所:東京都港区赤坂1丁目9-13

おわりに

「三会堂ビル」の隣には芸術院会員となった吉村順三氏の「日本財団ビル」(1962年)、向かいには「駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場」を手がけた村田政真氏の「共同通信会館」(1966年)があります。1964年の東京オリンピック前後に建てられた一流のビルが残る貴重なエリア。こちらもぜひ合わせて訪ねてみてください。

◆倉方俊輔(くらかた・しゅんすけ)
1971年東京都生まれ。大阪市立大学准教授。日本近現代の建築史の研究と並行して、建築の価値を社会に広く伝える活動を行なっている。著書に『東京レトロ建築さんぽ』(エクスナレッジ)、『東京建築 みる・ある・かたる』(京阪神エルマガジン社)、『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)など、メディア出演に「新 美の巨人たち」「マツコの知らない世界」ほか多数。日本最大の建築公開イベントである「イケフェス大阪」実行委員、品川区で建築公開を実施する「東京建築アクセスポイント」理事などを務める。

情報提供元:旅色プラス
記事名:「建築史家・倉方さんとひも解く東京。ホテル「The Okura Tokyo」と周辺建築