ロータリーエンジンは原理的に熱効率を上げるには難しいという宿命がある。だからいまは姿を消しているわけだが、モーターのように回るフィールは一度味わったら病みつきになる。RX-8に300kmほど乗って、次期ロータリーエンジン搭載車のあり方をモータリングライターの世良耕太氏が考えた。
TEXT &PHOTO◎世良耕太(SERA Kota)
ロータリーエンジンがあってこそのRX-8
マツダRX-8に載っているエンジンが「ロータリーでなかったとしたら」と想像してみた。レシプロエンジンが載っていたとしたら(そもそもパッケージングが成立しないが)、魅力は半減したことだろう。ロータリーエンジンがあってこそのRX-8だ。エンジン始動時からロータリーエンジンの主張が始まる。
スターティングトルクも充分にあり、アクセルを煽ることなくクラッチを戻すだけでスムーズに発進する。高い回転数まで引っ張って次の段に受け渡す必要はなく、ショートシフト気味に次の段につないでも、ストレスなく加速する。しかも、レスポンスがいい。アクセルペダルを踏み込めば、即座に加速感という答えを返してくれるし、そのまま踏み続けていると、官能的なサウンドを発しながら伸びやかに加速していく。8500rpmから始まるレッドゾーンはダテではなく、高回転まで滑らかに回るし、リニアに力を発生する。レシプロエンジンにはない「味」だし、スポーツ走行との相性がいい。
それは承知していても、この世からなくしてしまうのは余りにも惜しい。マツダのクルマづくりの本質が「運転する楽しさをより多くの人に提供すること」とするなら、ロータリーエンジンはなくしてはならないと、切に願う。発電専用のエンジンとして復活させるなど、有名歌手をAIで復活させるようなもので、冒涜ですらあると個人的には思う(ファンはそういう復活を望んでいるのか? 運転して楽しいか?)。
もちろん、最新の技術を駆使して燃費性能と排ガス性能を高め、法規制をクリアするだけの性能を確保する必要はある。それ以上はコストとのバランスで、同じコストを別のエンジンに費やしたほうが企業平均燃費は向上するなら、その方面に費やすべきだと思う。運転する楽しさと引き換えに払う代償は、ロータリーエンジンを愛するユーザーが負担すればいい。それでも、ロータリーエンジンが「ない」世の中よりは、「ある」世の中のほうが幸せだ。
※次回は、「RENESISに至る技術課題と改善手法」をお送りします。お楽しみに。