7月12日のリポートを最後に、続報がプッツリ途絶えて申し訳ありません。実はもうとっくに帰国しています。我らがボルボ122Sアマゾンも無事(とは言えないちょっとしたアクシデントを乗り越えて)北京まで走破し、その後中国天津から海路横浜へ戻り、日本の道路を再び走り出している。他の参加車もすべて北京にゴール、そのうち半数弱はロシア経由でベルリンに取って返し、およそ2万5000kmを走り切った。主催者のひとり、フレッドが自慢していたように、一台の脱落者もなかった。改めて7月上旬のイラン入国時に時計を巻き戻し、お付き合いいただければ幸いです。

REPORT&PHOTO◎高平高輝(TAKAHIRA Koki)

第1回 いざ出発!第2回 イスタンブールはやっぱりカオスだった!

自転車旅の豪傑もいる

 トルクメニスタンのマリーからウズベキスタンとの国境を目指して走っている途中で、自転車旅行の集団に追いついた。ちょっと並走して声をかけたら、我々と同じく北京まで走るという。さらにその先では、やはり自転車でトルコからキルギスまで行くというベルギー人カップルにも出会った。とんでもないでしょ? 炎天下、砂漠の中、果てしなく遠い目的地目指して人力で走るその強力な意思に感服する。それに比べたら私たちは、古いとはいっても車でただ走っているだけ、暑いとか過酷とか言ってられないじゃないですか。

 

 それにしても、考えてみれば6月末にオランダを出発してから一度も雨に降られていない。それどころか、トルコからこっちは、もう毎日がカンカン照り。イランに入ってからは特に暑さが強烈で、ジワジワと体力を奪っていった。

手続きに2時間あまりかかったものの、心配したほど厳重なチェックも受けずトルコからイランに無事入国(無論イランの旅行エージェントの協力あり)。

イラン側から遠くにアララット山を望む。

 もちろん我らがアマゾンにはエアコンなどついていない。イランでは車内に取り付けた玩具みたいな温度計は時に50℃を超えていたが、後で聞いたら実際に外気温は55℃ぐらいになっていたという。夏の日本では耐えられないほど暑い、と思っていた熱気のこもるアマゾンの室内も、このぐらいになると中のほうがまだ耐えられる状態になる。熱風が三角窓から吹き込んでくるので、朝9時ぐらいになったら窓をすべて閉めて走ったほうがまだマシなのである。とにかく熱中症にならないよう、休憩と水分摂取を心がけて走った。

イランという国の交通は……

イランの路上では国内にノックダウン工場があるプジョーが圧倒的に目立つ。

 分離帯がある高速道路も一部存在するが、大部分は荒涼とした風景の中を平面交通の幹線道路が続く。重そうなトラックが多いこともあって路面が酷く荒れている部分もある。トルコはちょっと乱暴なイタリアぐらいの感覚だったが、イランの交通環境はさらにルーズというか、いい加減で、もっと言えば田舎の国の典型だ。だいたいどの国にも、それなりの交通ルールが存在するが、もちろん日本や西欧とは大きく異なる。車線を守らない、というかレーンの意識がなく、ウインカーを出さずにフラフラと車線をまたいで走るのも当たり前。さらに私には見分けがつかないが、乗り合いタクシーらしい車が急に止まったり、Uターンするから要注意だ。相手が譲るというのは、自分の思い込みだと肝に命じて走らなければならない。

高速道路の標識には東名高速と同じAH1(アジアハイウェイ1号線)のサインあり。ヨーロッパを出たということだ。

40年も前の革命以前に輸入されたと思しき古いマックやレイランドなど米英のトラックもまだ現役で、最新のメルセデスやボルボなどに混じってノロノロ運転している。

 イラン人は基本物見高く、人懐っこいく、興味津々で寄ってきたり、しばらく並走したりはいいけれど、速い車をブロックしても平気で、後ろが急かすと抜かせるためにこちらに幅寄せする格好になるのには閉口した。ようやくホテルに着いてシャワーを浴び、冷たいビールでひと息、とはいかないのがイランの辛いところ。イスラム教シーア派の大国イランは禁酒国である。

イランやトルクメニスタンでの問題はハイオクガソリンがある給油所がほとんど見つからないこと。オクタン価という意識もないようで、ペルシャ語で書いてもらったメモを見せても通じないことが多かった。最初は気にしていたが、結局80オクタンでもそれほど大きな悪影響はなかった。

 もうひとつストレスが溜まったのは、満足にネット接続できないことだ。タブリーズやテヘランなどの大都市の立派なホテルではWi-Fiも飛んでいるのだが、まともに反応しないぐらい電波が微弱。そんなこともあろうかと予定していたドコモの海外パケットパックもまともにつながらない。一度でも接続すると980円/日の費用が発生するのだが(帰国後に数万円の料金をしっかり取られた)、イラン以降の中央アジアの国ではすぐに途切れてまったく役に立たなかった。隙を見つけて試しては接続できずを繰り返すのに疲れてしまって、諦めてしまったのだった。

情報提供元:MotorFan
記事名:「 灼熱のイランより【クラシック・ボルボで行くオランダから北京の旅 TAC2018 リポート第3回】