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七十二候<霎時施〜こさめ ときどきふる〜>1年がだんだん短くなっていくのはなぜ⁉︎


ひと雨ごとに気温が下がり、秋深まる頃となりました。「こさめ」とは小雨ではなく、ふいに降っては止む雨のこと。生きものたちの休眠期を前に、晩秋の淋しさが心身に深くこたえますね…この時季は、自らの老化を意識させられる人も多いようです。それにしても、大人になると年々、驚くばかりの早さで季節がひとまわりしてくるような? それはいったい、なぜなのでしょうか。人生のレースの終わりは、散るもみじにも似ています。

一雨一度。降るたびに寒く、紅く

一雨一度。降るたびに寒く、紅く


ジャネの法則とは? 大人の1年は短く、1日は長い⁉︎

「1年経つのが早すぎないか⁈」そんな言いようのない焦りを、大人の皆さまならきっと感じたことがあるのでは。19世紀フランスの哲学者・ジャネによると、「人が記憶する時間の長さは、その人の年齢に反比例する」のだそうです。たとえば、50歳の人にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳児にとっては人生の5分の1。歳をとったぶんだけ、記憶の密度が薄まるのは当然…ということらしいです。あの頃感じていた1日は、今となっては10日ぐらいなのだなあ(詠嘆)。月日が早く過ぎてゆくのも不思議じゃないような気がしてきませんか。

それとは逆に、いま現在の時間経過に対しては、歳とともにだんだん長く感じるようになるともいわれています。たしかに、お年寄りが「なかなか日が暮れんのぅ」とウトウトしている一方で、こどもらは「もう帰るのや~だ~、まだ遊ぶ〜」などとジタバタしています。大人になると、日常繰り返されることに耐性ができて、刺激にいちいち反応しなくなるからでしょうか。「いないいないばあ」に何度でもキャハキャハと喜び「もっと‼︎ もっと‼︎」と全身で反応しているあかちゃんは、じつはものすごく密度の濃い1日を過ごしているのかもしれませんね。

決まった行動を繰り返すだけでなく、日常にふだんと違うことを織り交ぜるのが、若さを保つコツなのだとか。こどものように刺激を楽しめたなら、1日はどんなに短く、1年は長く感じられることでしょう。食欲の秋・スポーツの秋・読書の秋・芸術の秋…と、この時季に大人がいろいろやりたくなるのは、「老けゆく」秋時間をなんとか止めようする本能だったりして⁉︎

ついこのまえ桜が咲いてたはずなのに

ついこのまえ桜が咲いてたはずなのに


時間と背中の関係…走るべきレースを楽しみつくしたい

「競争」したり「追われ」たり「おいていかれ」たり。人は絶えず、時間とともに走っているようです。一定の速さで進むはずの時間…きっと、人間の側だけが速度を変えながら前を目指しているのですね。こどもの頃は、時間より速く走っていたような? …それが、気づかないうちに人は減速し、いつのまにか時間のほうが速くなり、やがて後ろ姿がだんだん遠ざかってゆき、ついには見失いそうになる…それが「歳をとる」ということなのかなあと、考えたりします。

人は、生きるほどコースの後ろに下がっていくものなのかもしれません。先頭は、あかちゃん。速いランナーは、前だけを見て夢中で走ります。はるか後方にいる者の存在など、気づきもせずに。だから、10歳が30歳の自分の姿を、80歳が100歳の姿を見ることは、人にはきっと難しいのです。けれど後ろからは、若い背中、かつての自分が見える。その眩しさ、それがだんだん後ろに下がってゆく姿も、覚えがある焦りや痛みまでも。

聖書には「走るべき行程を走りつくし」というみことばがあり、葬儀などでもよく語られたりします。人生のレースを終え、ふわりと大きなタオルをかけてもらって、ゆっくり休むのですね。神の定めた走るべき行程があとどれくらいなのか、人は自分で知ることはできませんが、いま見える景色や吹いてくる風を、最後まで喜んで走りつくせたらすてきですね。見守ってくれる視線の存在も、背中に感じながら…。

濡れていたり険しかったり背負われていたり

濡れていたり険しかったり背負われていたり


「うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ」 by 良寛

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉

(枝から離れたもみじ葉は、裏を見せたり表を見せたりしながらひらひらと散っていく。私も、これまで生きてきた人生の表裏を全てさらけ出しながら死んでゆくのだなあ)

これは江戸時代の禅僧・良寛の辞世の句とされる作品です。良寛さんは、何十年も山中独居の人として生きてきたのですが、最晩年の3年と3ヵ月は、明るく華やぎに満ちていたそうな。なぜなら、良寛さん70歳の草庵に、美貌の尼僧・貞心尼さん30歳が弟子として訪ねてくるようになったから!! ふたりは、お互いを恋い慕う心をピュアな言葉に託して贈り合います。

その後、病に倒れた良寛さんは、死の間際に冒頭の句を贈るのです。看病する貞心尼さんが「来るに似て 返るに似たり 沖つ波(あの白波のように人の出会いと別れも繰り返されるのでしょうか)」と返すと、良寛さんは「明らかりけり 君が言の葉(あなたの言うとおりです)」と続けて、まもなく亡くなったといいます。それにしても、年老いた最晩年に自分史上最高の「出会い」もあり得るなんて。悲喜こもごもの枝からそっと手を離し、表(美点)も裏(欠点)もありのまま見せてひらひらと散ってゆく、もみじ葉たち。その美しく愛おしい姿に重ねて、出会いの恵みを数えてみたくなります。走るべきレース、なんとロマンに満ちているのでしょう!

こども好きで有名な、やさしい良寛さん♪

こども好きで有名な、やさしい良寛さん♪

<参考文献>

『良寛と貞心尼の恋歌』自由訳 新井満(考古堂書店)

こさめに濡れて散るひとも…

こさめに濡れて散るひとも…

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