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七十二候「水泉動」-厳寒のなか太陽を射る奇妙な神事「オビシャ」とは?


1月10日より、小寒の次候「水泉動(みずあたたかくをふくむ)」となります。五行思想で冬の季節を支配するとされる「水」の気に、春の兆しが胎動をはじめる、という意味です。日々を生きる私たちも、三が日を過ぎたこの頃、ふと「あれ、そういえば冬至のころより日あしが延びたかな」と感じ、日の光にもいっときよりも力強さとまぶしさをかんじるようになります。そんな寒中の時期に行われる伝統行事に「オビシャ」があります。「お日射」とも書き、字の如く「太陽を射抜く」行事です。どんなことをするのでしょうか。


関東地方の奇祭オビシャ。その起源は石器時代にまでさかのぼる

「水泉動」は、中国宣明暦では寒の入り(小寒・大寒の二節に突入し、最も寒くなる時期)直前の冬至末候に置かれ、冬=水の気の中に陽気が飲み込まれてしばし支配される現象を表すのにより的確なように思われます。これを境に「一陽来復」となるわけです。けれども日本では、貞享暦で変更後、宝暦暦で小寒次候に再び置かれることとなりました。

北半球で冬至を過ぎてからの最も寒さが厳しいこの時期に、南回帰線に到達した太陽はふたたび北半球へと「帰って」きます。

ミトラ教などと習合して太陽神となったキリストの生誕を祝うクリスマスや日本神話の天岩戸隠れの物語などは、一度力を失い遠ざかった太陽が再び力を取り戻して戻ってくることを祈念する信仰から生れたものですが、太陽の招来復活を祈る信仰と真逆で、太陽を射殺す不思議な神事が「オビシャ」。

その分布はかなり偏っていて、西日本の一部で「的射(まとい)」「百手(ももて)」としておこなわれている以外では、関東地方一帯、主に利根川下流域の千葉県北部、茨城県南部、埼玉県東部に集中しています。特に千葉県には北総を中心にもっとも多く見られます。オビシャとは御奉射、御歩謝、御備謝、御毘沙、鬼射とも書きますが、これらは当て字で本来は「御日射」であろうとかんがえられます。つまり、「太陽を射る」神事。古くは平安時代にも記録があり、村落共同体がより集い、神社の境内で太陽に見立てた的に弓矢を射て、その年の豊年を祈願します。

射る的には墨で「鬼」と書かれたりする場合もありますが、多くの場合は日輪にカラスの絵、またはカラスの目に見立てた丸い二重円で、「カラスビシャ」とも呼ばれます。千葉県八千代市の「高津のハツカビシャ」では、的には「甲乙ム」と書かれています。カラスだとか「甲乙ム」だとか、何の事でしょうか。

そこには、東アジア全域では新石器時代以来共有された神話として、「射日神話」そして、太陽の象徴としてのカラスの存在があったのです。


かつて太陽は10個あった?射日神話とは?

太陽が複数あったために一つを残して射落とした、というパターンの神話は、広く東アジアから中東、北アメリカ、北欧にまで伝播している「射日(しゃじつ)神話」と呼ばれる創世神話の一種です。シベリア一帯に分布するシャーマン信仰をもつツングース系少数民族の中で「オロチ族」といわれる少数民族の神話では「空にあった三つの太陽のうち二つを男女が一つずつ石を投げて落とした」とされ、弓ではなく原型は石であり、その起源が石器時代の古い神話であることを示唆しています。

射日神話はバリエーションを加えながらユーラシア大陸、北アメリカ大陸に伝播しています。そして中国では、漢の時代に殷の頃から伝わる伝説として「十日神話」が成立します。何と太陽は太古10個もあり、いちどきにその太陽が大地を照らしたことがあったため、焦熱地獄と化した世界を救うため、10のうちの9の太陽を射落とした、という神話です。

中国の創世神話では、そのはじまりに五代の皇帝があったといわれます。五代目の皇帝であった帝俊には3人の妻があり、娥皇夫人は大地を生み、義和夫人は太陽である息子を10人生み、嫦娥夫人は月である12人の娘を産みました。

義和は東方の彼方の義和国に住み、その国には扶桑の木という巨木が生えていて、息子である太陽たちはその木にぶらさがっていました。兄弟の名は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。そう、太陽10兄弟は、あの干支の十干の由来です。毎日順番に一人ずつ出発して六頭の龍が引く龍車に乗って天をめぐり、西方の虞淵(ぐえん)という深い谷間で休みます。10人が一巡することを「旬」と言い、これはそのまま現在でも○月の上旬、中旬、下旬という言い方に残っています。かつては一週間は十日だったのです。

さて、しかし、同じ事を何万年も繰り返す間に10人は飽きてしまいます。そこで、10人一斉に天空に輝こうと言いだし、堯(ぎょう)帝の時代に天には10個の太陽が出現するようになりました。大地は乾き、作物は全滅、地下からは魔物も出現して人間を喰い殺すという悲惨な灼熱地獄に。

そこで堯帝は天界から弓の名手、羿(げい)を呼び寄せ、空の太陽を射落とすように頼みます。羿は次々と太陽を射落とし、9つの太陽は地上に落ちて死にました。見るとそれは、9羽の三本足のカラスであったといわれます。

オビシャ神事との関連がよくわかる神話です。

三本足のカラス。神武東征の神話に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が化身した姿として登場し、日本各地の神社、特に陰陽道の賀茂氏系の紋章、サッカー日本代表のエンブレムになっているあの八咫烏(やたがらす)です。八咫烏は、日精、つまり太陽の精霊/眷族もしくは化身と考えられてきました。ですからオビシャでは太陽を射る的として、カラスが描かれるわけです。

神戸市東灘区 弓弦羽神社

神戸市東灘区 弓弦羽神社


オビシャ神事はなぜ賀茂-物部系神社でおこなわれるのか

日本において八咫烏をシンボルとするのは京都の上賀茂神社・下賀茂神社を頂点とする「賀茂」氏。そしてオビシャ神事のいくつかも、賀茂氏系の神社で執り行われます。もちろん駒形神社、船形神社、香取神社、熊野神社、諏訪神社などの賀茂氏系ではない神社でもおこなわれるのですが、これらも実は物部の神(スサノヲ、コトシロヌシ、ニギハヤヒ、フツヌシ、タケミナカタなど)を祭っていて、賀茂氏もまた物部一族なのです。

けれども、賀茂氏系や物部系の神社は全国各地にあります。にも関わらずなぜオビシャは関東が中心で、しかも大半が千葉県でおこなわれているのでしょうか。

物部氏は神道系をつかさどり、古代日本では祭祀と軍事を握るもっとも力のある豪族でした。けれども仏教系の蘇我氏との戦いに敗れ、藤原氏に祭祀権・軍事権を奪われ凋落・衰亡しました。その敵である藤原氏側に取り込まれた物部一族の一氏族が賀茂氏です。物部氏一族を十日神話の10の太陽=八咫烏とするならば、賀茂氏はその中で射落とされずにたった一羽残った八咫烏である、といえます。

ここで中国の少数民族であり、南方系の農耕民であるミャオ(苗)族に伝わる射日神話をご紹介します。その内容はオロチ族の原型的な神話より、中国の十日神話に近いものです。

昔、「天じいさま」には太陽である息子が10人おり、交代で空をめぐっていたがあるとき飽き飽きした息子たちは、みんなでいっぺんに空に出て好き放題してやろうぜ、ということになり実行した。末っ子だけは親の叱責を恐れて家に篭っていたが、九人の兄たちは家にも戻らず空で遊び続けた。そのせいで地上は9つの太陽に延々と照らされて干上がってしまった。人間たちは弓の名手に命じて9つの太陽を射落とさせた。兄たちが射殺されるのを見て、家にいた末っ子の太陽は恐れおののいて山奥に逃げ込み、世界は真っ暗闇になってしまった。

そこで困った人間たちは、雄鶏を呼んで鳴かせてみると、その美声に何事かと太陽は山の端からそっとのぞいてみた。すると人々が末っ子の太陽を見てにこにこ笑って喜んでいる。そこで気をよくした末っ子の太陽は、それ以来毎日空に姿を見せるようになった。

おわかりのとおり、後半は日本神話のアマテラスの岩戸隠れの神話と類似し、その原型と思われるもので、これを「招日神話」といいます。洞窟に隠れた太陽を呼び出す「招日神話」は、世界ではかならず複数の太陽とそれを射落とす「射日神話」がセットになっていて、まれに射日神話のみが残ることがあっても招日神話単独と言うことはない、とされます。しかし、日本神話の公式テキストと言うべき記紀にはそれに先立つ複数の太陽とそれを射落とす話は出てきません。

太陽は王の象徴でもあります。つまり、複数の太陽がある、というのは、王が乱立して争いになっているとか、また連合国家体制を取っていることの暗喩でもあるのです。中国の十日神話も、殷の時代の10の王による連合国家とその滅亡を暗喩しているとも言われます。日本もまた、ある時代連合国家体制を作っていたと考えられ、また大王の地位の交代や簒奪もおこなわれたはずですが、記紀が編纂された当時、大和政権は天孫降臨以来ただの一度も天皇以外の王は存在しなかった、という歴史観を徹底させようとしていました。ですから、太陽がかつて複数あった、というような神話は、日本に伝わっていたとしても排除してしまったのです。

八咫烏の生き残りである賀茂氏は、日本にも当然伝わっていた射日神話を、ひそかに神事として伝えていくことにしたのかもしれません。

熊野本宮大社の八咫烏

熊野本宮大社の八咫烏


「太陽の出ずる場所・曜谷」は、関東地方の東の果て=千葉だった!

千葉県匝瑳市椿の星神社では矢で射貫くのではなく、子供たちが手で的を突きぬく、という変わったオビシャ神事がおこなわれています。この神事は、日本に弓矢の伝わる以前、縄文時代よりも以前からのものだとの説があります。匝瑳市の椿という地は、かつてここに椿海という広大な内湾が存在しており、それはそこに巨大な椿の木が生えていて、しかし木に鬼が住み着いたために鬼を弓で射て追い出し、フツヌシとサルタヒコにより木が引き抜かれた跡だ、という神話が伝わる地。東の果ての地に生える巨木。扶桑の木の伝説と重なります。

さらに、「隋書倭国伝」には、「毎至正月一日必射戯飲酒」(正月一日に至ると、必ず射的競技をし、酒を飲む。)と記され、オビシャ神事とおぼしき行事が古代日本でなされていたことがわかります。

つまり、中国で漢の時代に出来上がり、やがて後代の飛鳥時代もしくは奈良時代に日本に伝わった十日神話より前に、日本、それも関東の房総半島には、オロチ族の神話が伝わっていて、オビシャ神事が受け継がれてきた、という可能性があるのです。陰陽道の賀茂氏や物部氏がこの地に積極的に関与していたのは、当時から房総半島=扶桑国、と考えられていたから、ということになります。古代の東アジア一帯の信仰において、房総は実際に義和の住む曜谷であったと思われていたのではないでしょうか。

細々と房総や埼玉、茨城、神奈川などの小社で受け継がれる「オビシャ」神事。実は壮大な歴史ロマンとミステリーがこめられた興味尽きない神事なのです。

現在千葉県内では各地でさまざまなオビシャが行われています。1月中旬から2月中旬にかけてはオビシャ神事が見られるチャンス。是非見学に行かれてみてはいかがでしょうか。

(参考)

「苗族民話集 中国の口承文芸2」(村松一弥 編訳 平凡社)

「中国神話伝説集」(松村武雄 編 社会思想社)

オビシャ

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