ジレンマに立つアメリカ−QUADとロシア−【実業之日本フォーラム】
軍事専門誌SIPRI YEARBOOK 2021によると、2010年から2020年にかけて、ロシアからインドに大量の装備武器が売却されている。陸軍では、主力戦車としてT-90Sが700両以上、海軍では建造途中のキエフ級空母(現ビクラーマーディティヤ)、アクラII級攻撃型原子力潜水艦(現チャクラII:10年間のリース)、艦載機MiG-29SMT66機、空軍は主力戦闘機Su-30MK200機以上となっている。さらには、ロシアのSS-N-26ヤホント対艦ミサイルをベースとした対艦ミサイル、ブラモスの共同開発を行っている。2010年以前にキロ級潜水艦10隻を購入しており、その実績をもとにベトナム海軍が導入したキロ級潜水艦の教育訓練を実施すると伝えられている。このことは、単に装備の導入にとどまらず、その運用法に至るまでロシアの強い影響下にあることを示すものである。
これに対しアメリカはインドと、2002年に情報保護協定GSOMIA(General Security of Military Information Agreement)を、2016年に燃料や物品の相互融通を規定するLEMOA(Logistics Exchange Memorandum of agreement)を、そして2018年には相互の通信に係る協定であるCOMCASA(Communications Compatibility and Security Agreement)を締結、軍事協力関係を強化しつつある。しかしながら、米国からの武器輸出が本格化したのは、2015年以降であり、その内容もP-8哨戒機4機、AH-64攻撃ヘリ28機、チヌーク輸送ヘリ15機、対潜ヘリ24機、無人機(プレデター)2機などである。インド軍の主力装備が依然としてロシア製で占められている現状に変化はない。
最近、インドのロシア製防空ミサイルS−400の導入に注目が集まっている。インドは、パキスタン及び中国からの弾道ミサイルや航空機の脅威に対処することを目的として、2018年にロシアとS-400を5個セット、54億3千万ドルで購入する契約を結んだ。
11月26日のIndian Express紙は、インドへのS-400の導入が開始され、今年度中には実戦配備されるであろうと伝えている。同紙は、米国製パトリオットがキネティク(直接弾道ミサイルに衝突するエネルギー効果を利用して弾道ミサイルを破壊する)弾頭を備えた、弾道ミサイル対処専用ミサイルであるのに対し、S-400はドローン、航空機、巡航ミサイルそして弾道ミサイルと広範囲の目標に対処できることに加え、1個セットの価格がパトリオットの10億USドルに対し、その半額の5億USドルであることがS-400の導入を決めた理由であるとのインド軍関係者の話を伝えている。
S-400の導入は、政治的そして軍事的に米印関係に大きな影響を与える。
政治的な影響は、アメリカ国内法であるCAATSA(Countering America’s Adversaries Through Sanctions Act )の適用に関する問題である。同法は、2017年7月に制定され、イラン、ロシア及び北朝鮮と取引を行う国に経済制裁を科すというものである。2020年12月には、トルコのS-400配備に対し制裁が発動されている。制裁対象となったのは、トルコ国防産業庁の長官を含む幹部であり、アメリカ管轄区域における資産の凍結などの制裁が科されている。アメリカとトルコはイスラム過激派組織ISIL対応におけるクルド人の取り扱いを巡り対立した経緯がある。アメリカのトルコに対する強硬姿勢は、この対立を背景にしていると指摘されているが、NATOの同盟国であるトルコへの制裁はNATOの結束に悪影響を与えるものである。
Indian Express紙によれば、二人の米上院議員がバイデン大統領に、インドに対する制裁を発動しないように要請する書簡を提出したと伝えている。現時点で、バイデン大統領がどのような決断を下すか伝えられていないが、制裁を発動しなかった場合、トルコへの対応との整合性が問われる。一方で、何らかの制裁を加えた場合、中国がこれにつけこみ、QUADの弱体化を図るであろうことは明白である。
軍事的な影響としては、インド軍の主要装備がロシア製で占められているということが、米印間の軍事的相互運用性を阻害するということが挙げられる。近代的装備体系では、それぞれの装備がネットワークで結ばれ、情報共有が瞬時に行われる。今回インドが導入する防空ミサイルS-400は、巡航ミサイルや弾道ミサイルへの対処が主任務であり、他の防空レーダーや防空戦闘機との情報共有が不可欠である。そのためにはそれぞれのシステムがネットワークで結ばれていなければならない。それぞれのシステムは開発した国の設計思想に基づきソフトウェアが組まれ、それに適合したハードウェアで構成されている。従って、ロシア製システムをアメリカ製システムと連接するには高いハードルがあり、それぞれのソフトウェアのソースコードが分かっていなければ不可能でさえある。アメリカがトルコに経済制裁を行う1年前の2019年7月の段階で、トルコに対するF-35戦闘機の売却及びサプライチェーンからの排除を決定した背景には、S-400導入に伴い、高度にシステム化したF-35戦闘機のシステム情報がロシア側に漏洩することを恐れたためと指摘されている。
インドがS-400導入を見直すという報道はなく、このまま配備が進められるであろう。アメリカとしても、中国対応の観点からQUADの結束を維持する必要があり、CAATSAに基づくインドへの制裁は見送る公算が高い。しかしながら、軍事的観点から見れば、ハイエンドな装備であるインドの防空ミサイルがロシア製であるということは、今後長期にわたって、インド軍の装備武器がロシア製で占められる状況に変化はないと見るべきであろう。
今年9月に米英豪の間でAUKUSが締結され、オーストラリアへの原子力潜水艦技術供与を中心に3カ国の安全保障上の強力が強化された。しかしながら、ロシアとインドの間では、すでに原子力潜水艦のリースを始めとした技術協力が進められており、2016年に1番艦が就役したインドのアリハント級弾道ミサイル搭載原子力潜水艦の建造にはロシアの技術協力が疑われている。11月26日に国際原子力機関(IAEA)理事会で、ロシア代表がAUKUSを核拡散の観点から問題をはらんでいると主張したと伝えられているが、ダブルスタンダードも甚だしいと言えよう。
QUADについて、安全保障上の役割を期待する声も大きい。しかしながら、インドに関しては、インド太平洋における「対中」という枠組みは期待し得ても、「対ロ」及び「中央アジアにおけるイスラム過激派対策」といった点については、アメリカと共同歩調をとるとは限らない。状況によっては、アメリカは大きなジレンマを抱えることとなる。日本としても、インドの立ち位置を冷静に評価し、QUADに何を期待するか、個々の情勢に応じて判断しなければならないであろう。
サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄
防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。
写真:ロイター/アフロ
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