静かなるイスラム革命:マドハリ学派の……野望?【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】
■サラフィー主義の概要
サラフィー主義は「サラフ・アル・サリー」(敬虔なる祖先、預言者ムハンマドと共にした初期信者)を模倣することを根本的な目標、思想とする。模倣の参考として、特にハディースを研究する。ハディースは、主にムハンマドの言行(「スンナ」)を記録したもので、コーランの教条解釈の基礎となる。サラフィー主義運動はもともと反植民地主義の文脈から19世紀エジプトで興ったが、現サウジアラビアの18世紀に興った(そしてサウジ家に肩入れをして、伝統的な支配王家だったハーシム家を追い出すことに加担した)ワッハーブ派も1つの原点とする。
サラフィー主義は主に3つに分けられる:
・聖典主義、もしくは「科学的サラフィー主義」:政治不参加・無抵抗主義を旨とする。静かに原初イスラムへの回帰を目指しているため、世俗社会からは距離を取る傾向にある。
・「改革的サラフィー主義」:より政治参加に積極的であり、革命的な運動もおこなう。サイイド・クトゥブが創立したムスリム同胞団などはこの典型例。論争における敵からは時々「クトゥブ主義者」とも呼ばれる。
・「聖戦的サラフィー主義」は武装ジハードを通じて、イスラム法に忠実な世界を到来させるという考えである。アルカイダやISISの思想的な支柱になっている。
なお、サラフィー主義に様々な学派が爆発的に増えたのは、1980年代サウジアラビアの外交方針を巡っての闘いから生じたと見られる。サウジアラビアによる過剰とも思えるイスラム法学への教育支援が、巡り巡ってイスラム世界における様々な思想潮流とその分岐を増長させている1つの原因であろう。
■ラビー・ビン・ハディ・オマール・アル・マドハリ師
1931年生まれ(2020年現在、89歳)メディナ(マディーナ)・イスラム大学卒(なお、メディナはメッカに次いで第二の聖地とされる)。最終的にはメディナ(マディーナ)・イスラム大学のスンナ学学長を1990年代に務める。スンナ学の学長に上り詰めるまでに、いわゆる「科学的サラフィー主義」の権威的な存在になった。特にスンナ学においては、学派問わずイスラム法学界の中で権威と見なされている。
マドハリ師がその世界で有名になったのは、1990年から91年にかけて湾岸戦争が勃発した際、サウジ王家が米軍基地をサウジアラビア国内に置くことを許可することへ賛成したことによる。これは特に、本流のサラフィー主義の学派からすれば、異教徒の軍隊を聖地メッカが存在する地に招き入れることは考えられないことである。それとは全く違う考えを示したのがマドハリ師であった。
サラフィー主義から異端と見られる、マドハリ師の考えとして非常に独特なのがタアト・ワリ・アル・アムル(守護者、権力をゆだねられた者)という概念である。時の、世俗的でさえあり得る政治指導者に対して、敬虔なるイスラム教徒は従順であるべきという考えである。これ共に、イスラム圏における権威、特に宗教的権威の基本はイスラム法学者の徳によって立脚されるというものという思想がある。もちろん、マドハリ学派に属する者は、マドハリ師を最も徳のあるイスラム法学者と仰ぐ。
上記の考えを以て、マドハリ師とマドハリ学派は特に革命的サラフィー主義(そしてジハード主義も)、ムスリム同胞団のような政治的イスラムがイスラム圏を堕落させるものと定義している。民主主義も非イスラム的であり、唾棄すべきものとしている。例として、リビアで非常に強くなったマドハリ学派の説教者たちは、内戦後の民主体制への移行に反対するように呼び掛けている。
なお、彼がサウジアラビア出身であることもあり、マドハリ学派がサウジ王国の外交政策における尖兵と見なされるときがあるが、これが事実かどうかはわからない。
マドハリ学派の基本スタンスは、「アラブの春」での象徴的な出来事として、マドハリ師が布告すするファトワー(イスラム法学に基づいて発令される判断)において騒乱に加担せず日常に戻るよう勧告したことなどを挙げることができる。ただし、この基本スタンスも次の項で見られるように、比較的柔軟であることが分かる
■リビアでの躍進
リビアでカダフィ政権がまだ健在だったころ、マドハリ学派の非聖戦主義的なところ、そして時の政治指導者に従順することを旨としたことから、この特性に目をつけたカダフィはマドハリ学派の学者・説教者らを招待した。カダフィからは、学派として大きな後押しを受けた格好となった。結果、リビアでも人気になりつつあったジハード主義に対して、ある種効果的なカウンターウェイトになり、過激派要員を吸収していった。テロリストとテロリストの卵を「無害化」することに貢献したことから、政権からの保護が厚くなっていったことを見て取れる。
その後、カダフィ政権が崩壊して、非常に政権寄りである集団と普通だったら見なされて致し方ないが、概ね「腐敗していない」「清貧」であることで信頼を維持した。気が付いたらマドハリ学派の人物らを中心とした、複数の独自軍事勢力やその他軍事勢力傘下の一派として拡大している。
この間、当初マドハリ師は内乱等に加担すべきでないというファトワーを出した。しかし、敵対視するムスリム同胞団や、自分らとは違うサラフィー主義の民兵などが力をつけることやその可能性を危惧し、治安作戦に協力するようにファトワーを布告し始める。
マドハリ学派が良いとされるところは、あまり氏族内外の面倒なしきたりに興味がないこと(したがって、氏族や伝統に縛られて悩んでいる若者にとっては1つの逃げ場所として機能)に加え、特に東リビアに根付いているカダフィ政権残党に対しても寛容であることだ。そのため、徐々に勢力を拡大している。マドハリ学派の息がかかっている勢力は基本、他の民兵組織より装備が良いことや旧リビア軍の人材が入っていることもあり、彼らなしでは治安維持ができなくなる状況になる。イスラム国に対する戦闘にも積極的に参加したことで箔をつけることになった。
イスラム国が事実上リビアから消えた後、リビア国内は基本的に2つの陣営に分かれて戦っている。具体的には国際的に認められているトリポリ政権(西方に位置)と、より大きな国土を事実上支配していて、ハフタル元帥が事実上の指導者であるトブルク政権(トブルク政権にはカダフィ政権残党が多い)となる。双方に、マドハリ学派の息がかかった民兵組織、治安組織、そして宗教教育体制ができあがってしまっている。1つの例として、首都トリポリの内務省傘下にある特殊な戦闘・治安組織が、事実上マドハリ学派の戦闘隊のようなものになっている始末である。全般的に、マドハリ学派は軍に対する影響力が強いことを見て取れる。元々カダフィ時代から軍ではあごひげが禁止されたが、マドハリ学派の後押しがあったのか、特にハフタルのトブルク政権軍ではこのあごひげが解禁されることになった。
マドハリ学派の人たちは、モスクや、国(トリポリ、トブルク政権双方)と関連のある宗教委員会や組織の掌握に余念がない。今や基本的にリビアは「マドハリ学派の天国」になっている。リビアにおける保守的イスラムの権威と言論をマドハリ学派が牛耳ったため、トリポリでもトブルクでも、シャリーア法に基づく勧告を、特にイスラム法関連の委員会の名前で出している。これは特にイスラム社会では、社会と政府に対する影響力が大きい。さすがに行き過ぎたようなファトワー(たとえば、女性は知人男性との同伴がなければ国外に出られない)に対して反発が大きいと、(世俗的な)政府がどうにかそのファトワーと関連のルールを修正するが、多くの布告されたファトワーがそのまま通ってしまっている状況になっている。
■マドハリ学派は何を成そうとしているのか
上記から見ると、マドハリ学派の関係者たちはやや棚から牡丹餅のようにリビアに介入することになった。
今までの従順主義を通じて、彼らにとって興味のない制度を通じなくてもよい政権組織(特に治安組織と宗教委員会)に浸透することに成功して、これを一つの確立された方法として続けている。そして、浸透したら最後、そこの「要塞化」と「教化」を始める。
マドハリ学派の特異性として見られるのは、中心的な指導者らしき人物がいるものの、彼からに明確な組織的な命令がないことだ。彼に心酔する弟子らが勝手に散らばって、独自に現地の宗教塾などで人脈を広げて、浸透できる組織になるべく浸透するという手法を採っている。仮に2つの敵対勢力に学派が巻き込まれても、双方勢力内の各種組織の掌握を進めて、最終的には学派が全てを牛耳るということを進めるのだ。
現状、マドハリ学派が何を目指しているのかが非常に不透明ではあるが、推測はできる。
非暴力主義で、政治的な静寂主義をとりつつも、彼らの理論によって導かれた、原初イスラムとイスラム法に回帰した世界を作ろうとしている。マドハリ学派は、世俗主義的な政権と相性が良いのがこの学派の特徴である。そして、過激派イスラムに対するカウンターバランスが欲しいと思う勢力にとっては、支援をするハードルが低い。表面上、御しやすいという外面を逆手にとって、マドハリ学派は自分たちの色にイスラム法学体系を染めようとする。これによって、物理的な聖戦に頼らずとも、自然と宗教的な絶対権威として君臨することを目指していると見られる。
最終的には、リビアを成功ケースとして、そしてリビアをマドハリ学派の世界規模の作戦本拠地としつつ、イスラム世界をマドハリ学派の基に導こうという最終目的につながると見られる(しかも暴力的でないため弾圧する理由に乏しい)。そして、これをマドハリ師が特に明確に言わなくても、彼が導き出したイスラム法学的な考えから、彼の弟子たちがそれを論理的に推論すれば、マドハリ学派の静かな拡大を勝手に進めていくというのが興味深い点である。マドハリ師の弟、ムハンマドもマドハリ学派内において積極的で影響力のあるイスラム法学者で、権威の継承がこじれて分裂する可能性という問題もこの学派にないと見られる。
余談ではあるが、マドハリ学派の表面上の扱いやすさのため、一部の対テロ専門家が、西側の情報当局が支援するとしたらマドハリ学派など静寂主義のサラフィー主義団体で、これを通じてジハード主義団体から要員をより穏健な方向に持っていくというのも短期的な解決方法として使用できるという分析がある。
地経学アナリスト 宮城宏豪
幼少期から主にイギリスを中心として海外滞在をした後、英国での工学修士課程半ばで帰国。日本では経済学部へ転じ、卒業論文はアフリカのローデシア(現ジンバブエ)の軍事支出と経済発展の関係性について分析。大学卒業後は国内大手信託銀行に入社。実業之日本社に転職後、経営企画と編集(マンガを含む)を担当している。これまで積み上げてきた知識をもとに、日々国内外のオープンソース情報を読み解き、実業之日本社やフィスコなどが共同で開催している「フィスコ世界金融経済シナリオ分析会議」では、地経学アナリストとしても活躍している。
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