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日本移民夫婦、飽くなき開拓者魂=80代後半に「恩返し」で入植―ブラジル最貧の北東部地方


 【サンパウロ時事】ブラジル・サンパウロから飛行機とバスを乗り継ぎ10時間かかるセアラ州タブレイロドノルチの奥地で、日本移民夫婦がイチジク果樹園の世話に追われていた。木村猛夫さん(89)=岡山県美作市出身=と妻伸枝さん(90)=東京都三宅村出身=。1956年にブラジル移住後、南東部サンパウロ州で暮らしていたが、「ブラジルへの恩を返そう」と3年前、同国最貧の北東部地方に入植した。  「ブラジルに着いた時と比べれば、苦労でも何でもない。水さえ確保できれば何でもできるここは天国だよ」。気温が40度に達する白昼を避け、猛夫さんは毎日朝と午後遅くに手押し車で作物の手入れにいそしむ。30ヘクタールの土地にイチジクの木が1万2000本と苗1万本、各種野菜。北東部を選んだのは、農業技術と高付加価値の作物を伝え、貧困脱却に貢献したかったからだ。  入植を考え始めたのは50代のころ。移民直後に結婚して8人の子供に恵まれ、近郊農業でも成功し、悠々自適の生活だったが、「子育ては終わったし、これからは少しでも社会のためになろう」と決意。2018年ごろに家族に明かしたが、「その年で何ができる」と猛反対された。  しかし猛夫さんの意志は固く、1年後に家族も「人生は一度きり。行かずに後悔するよりは」(三女クリスチナさん)と折れた。伸枝さんも「一番大切なのは夫。死ぬまで助け合うのが夫婦」と孫に囲まれた生活を捨てることを決意した。  19年6月末、猛夫さんはトラックの荷台にイチジクの苗を積み、息子2人と売り出し中の農場に向かった。4日かけて着いた農場は荒れており、ブラジルに渡った時と同じく、一から生活を築き始めた。  頼りは、一時あれほど反対した家族。子供8人が連絡を取り合い、経済的に支援してくれている。末っ子の五男フェルナンドさん(47)は農場に住み込み、父の右腕として労働者を指揮。短期間で近代的な農場の体裁が整いつつある。  イチジクは地元ではなじみが薄く、子供たちはアイデアを出し合い、干しイチジクの商品開発などで需要喚起を図っている。市場規模が大きい欧州への輸出も目標だ。  高齢の日本移民の入植は地元でも話題となり、学生が見学に訪れることも。タブレイロドノルチのバスコンセロス市長(39)は「木村さんの選択に感謝している。農場が成功するために必要なすべての支援をする用意がある」と全面サポートを約束する。猛夫さんは「年齢など関係ない。やろうと思えば、どんなことも不可能ではない」と話している。 【時事通信社】 〔写真説明〕イチジク果樹園を営む木村猛夫さん(右)と妻の伸枝さん=1月26日、ブラジル北東部セアラ州タブレイロドノルチ 〔写真説明〕イチジク果樹園を営む木村猛夫さん(前列右)と妻の伸枝さん(同左)。後列左から2人目が五男フェルナンドさん、同右端が次男マルコスさん=1月26日、ブラジル北東部セアラ州タブレイロドノルチ
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