若者のクルマ離れが叫ばれるようになって久しい。



世間では「魅力的なクルマがない」「クルマに必要性がない」、というのがその理由として主に語られるところだ。

そして自動車メーカーの立場からすると、「若者にクルマの魅力を知ってもらう場がない」ということらしい。


若者のクルマ離れは社会構造の変化によるもので、止めようのない流れだ


たしかにいずれも正しいかもしれないが、そもそも「魅力的なクルマ」の定義は、時代背景やその人の用途および趣味趣向によって変わるため、その判断が難しい。


バブル経済の頃だと、クルマは一つのステータスシンボルであり、「モテツール」であったため、「イバれるクルマ」「モテるクルマ」が、その時代にとっては“魅力的なクルマ”だったのだろう。


だが、その後、人々のライフスタイルは多様化し、余暇やお金の使い方が変わってきた。

オッサンが夜の繁華街へとクルマを乗り付けるのが「ステータス」であり、主なお金の使い方であった時代とはワケが違う。


今や若者は色々と忙しい。

話題のカフェにもゆかねばならないし、アウトドアアクティビティを通じてのリア充アピールも忘れてはならない。

ソーシャルゲームへの課金も出費としては大きい。


そういった環境の中では、クルマの介在する余地が極めて小さい。

話題のカフェもなかった時代には「クルマデート」が一般的であり、生活を楽しくするにはクルマが必要不可欠だった。


だが、今ではクルマは決して必要なツールではないし、それがないとできないこともそう多くない。

移動に関しては(快適性はともかくとして)公共交通機関を使ったほうが多くの場合は速くて安上がりだし、大きなショッピングモールやアウトレットモールだと、主要な駅から送迎バスも出ている。


つまりは社会構造が変化してしまい、クルマそのものがオワコンになりつつあるとも考えられる。

そこでボクはふと考えた。

人類の歴史上、オワコンになったものは何があるだろう。

ブラウン管、カセットテープ、MD、蒸気機関、などなど…。


自動車も馬車を“オワコン化”させた張本人だ



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情報提供元: CL
記事名:「 若者のクルマ離れを考える。若者がクルマを欲しがらないのは、現代人が馬車を欲しがらないのと同じだ