ヨガをすることがポピュラーなことになった今、その教えを日常に取り入れたいと考えている方も多いでしょう。専門書を手に取るのもいいですが、書店に並ぶ本の中にもヨガのエッセンスが詰まったものがあります。そこでヨガスクールの講師としてインストラクターを養成している筆者が、ヨガの教えをより身近に感じてもらえる1冊をご紹介します。第5回は「愛する妻との深い絆」をテーマにしたエッセイです。


「彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、『そうか、君はいないのか』となおも容子に話しかけようとする」

出典:城山三郎 作家

今回も前回と同様に「愛」をテーマに「カップリング」や「リレーションシップ」について考えてみたいと思い立ち、いくつかの本の中から城山三郎さんの『そうか、君はもういないのか』というエッセイを選びました。

著者である城山さんの他の作品はタフな男性が主人公。経済小説や歴史小説など硬派な印象の作品で、おおよそ僕の好みではない作風だと思っていました。なので、これまで作品を読んだことがなかったのです。
しかし、『そうか、もう君はいないのか』というタイトルを見た時に、何とも言えない切ない気持ちが込み上げ、最愛の人を失う喪失感とはいったいどんなものなのだろうかと興味を抱き、この本を手に取ってみました。

理想的なカップリングとは?

伝統的なヨガの教えでは、出家しないのであればパートナーを持ち、生活を共に営むことが美徳とされています。他者を信頼して愛しながら人生を共に歩んでいくことは、出家し、修行にいそしむことと同じく尊いことであると考えられているのかもしれませんし、神秘的ですらあると感じます。

この本は、先立った最愛の人との出会いから別れまでを綴った、城山さんの最後の作品でもあります。城山さんとパートナーの容子さんの出会いはまるで映画のようです。作家を志す城山さんが図書館に出かけたところ、図書館は休館日。同じく図書館の前で休館であることに肩を落としていた容子さんをみそめて会話が始まり、二人は一瞬で恋に落ちてしまいます。
しかし、容子さんのお父様からの反対があり、二人は離れ離れになってしまうのです。そして数年後、名古屋のダンスホールで運命的な再会を果たして再び恋に落ち、ほどなくして結婚を決意する二人。城山さんが26歳、そして容子さんが22歳の時でした。
運命で結ばれている人は本当に存在するのでしょうか?

この二人のロマンティックな愛の物語は紛れもなくノンフィクションであり、僕は運命の人はいると思わずにはいられません。
城山さんたちカップルが出会った時代とは違い、現在はたくさんの情報に触れることができます。さらにインターネットやSNSを通じ、過去とは桁違いの出会いがあります。多くの機会に恵まれる一方で、彼らのようなドラマティックな思い出を共有するパートナーに巡り合える人は、一体どの程度いるのでしょうか?
マッチングアプリを活用し、カタログから商品を選ぶように出会いを求めている人も多いでしょう。その中で、人は感覚器官を駆使して取捨選択を繰り返し行っているようにも見えます。
一般的に男性は視覚判断できる情報、つまり外見的条件を基に、女性は安全と安心が満たされる条件、つまり相手の持っている社会的な条件でパートナーを選ぶ傾向にあるように思われます。それは本能とも言えるかもしれないし、僕たちの脳にプログラムされていることなのかもしれません。
さらに男性であれば動機が家事代行的な利便性であったり、女性であれば子どもを持つという願望であったりと、契約的な側面を重視している人もいるかもしれません。しかし現代では、男女の役割や存在そのものの線引きが曖昧になりつつあります。
理想的なカップリングとは、お互いの条件の合意ではなく、個々の価値観の合意やその人自身の在り方が重要であると思うのです。

一人を最後まで愛することの尊さ

城山さんは結婚当初、大学での講師の仕事と作家としての活動を平行していました。その後、作家一筋で生きていくようになり、容子さんがそれを全面にサポートしていきます。城山さんが作家業に専念し、多くの作品を世に残すことができたのは、容子さんの存在なくしては成し遂げられなかったのではないかと思います。

また城山さん夫妻は、男女それぞれ二人の子どもを授かりました。子どもたちは立派に成人し親元を離れていきましたが、その後も家族が互いに固い絆で結ばれていたことは、この作品の本文や娘さんのあとがきからも伺えます。人生において一つの段落が落ち着いたことを城山さんは次のように述べています。
「人生の一区切りがあって、夫婦二人になるという気分は、良くも悪くも、独特なもの。しかし、いつか二人きりでいることにも慣れてしまえるが、やがて永遠の別れがやってくる」
余生を二人で楽しむことに慣れ始めた矢先、容子さんの病が発覚してしまいます。容子さんがこの世を去るまでの間、献身的に看病をする城山さん。このエッセイには、容子さんと共に歩んだ幸せな日々の思い出が語られ、二人の深い繋がりや愛が文面から伝わり、一人を最後まで愛することの尊さが胸を打ちます。

“経験を積んでいく場所”である人生を共に歩む存在

ヨガでは「人生は経験をする場所である」と考え、僕たちの体や五感、そして心は経験を積んでいくためのツールとして使いこなす必要があり、今世とは自分の魂が意図した経験を十分に味わうためにあるのだと教えます。

城山さんが多くの作品を世に残したことは、彼の魂が意図したこと。そして、それを容子さんが常に支えたのは、彼女の魂の計画であるのだと思います。城山さんの魂に寄り添うように存在した容子さんの魂があったからこそ、彼の創作意欲は満たされ続けたのでしょう。そしてその奇跡は、容子さんの死後も続きました。
魂が意図した経験を十分に味わうためには、強い体と心が必要です。経験に対して体が整い、オープンな心でいるために、僕はアーサナやプラナヤーマ、そして瞑想の実践を続けていきます。

時には試練に挑むということが必要な場面もあるかもしれません。その時に僕の魂に寄り添ってくれるもう一つの魂があるのなら、今世という旅の経験に勇気を持って取り組め、この旅の終わりには深い満足が得られるに違いないと確信しています。

情報提供元: Tonoel
記事名:「 【連載】ヨガと日常をつなぐ1冊Vol.5 愛する人との関係性