東京都東村山市にあるハンセン病の療養施設、国立療養所多磨全生園。映画『あん』の舞台であり、国立ハンセン病資料館や、作家・北条民雄が過ごしたことで知られています。同施設の周囲には、かつて硬いヒイラギやカラタチを使った頑丈な垣根がありましたが、現在残る垣根はわずか。訪ねると一輪だけ小さくヒイラギが咲いていました。
ヒイラギの花

映画『あん』でも知られる多磨全生園



作家・北条民雄の作品に惹かれて、個人的には以前から何度も訪ねてきた多磨全生園(以下、全生園)。2015年公開の映画『あん』の大ヒットで、いちやく幅広い人に知られるようになりました。

久米川駅

公共交通でのアクセス方法は何通りかありますが、筆者がいつも利用するルートは高田馬場駅から西武新宿線で久米川駅へ。そして北口からバスに乗って10分ほどです。歩いても20分強でしょう。ちなみに、『あん』に出てくるどら焼き屋さんのセットは、この久米川駅の南口近くに建てられていました。

北口バス停

全生園前バス停で下車すると、すぐの場所に正門があります。35万平方メートルもの広大な敷地。近所に住む人々は全生園の中を徒歩や自転車で通り抜けます。ここには患者さんたちの住居があり、治療施設や畑があり、静かな木立も道もあり、周囲の街と一体化しています。

全生園正門

1996年まで存在した「らい予防法」よって、ハンセン病にかかった人々は療養所に強制的に隔離されてきました。さらに病気を理由に断種や中絶も強制されていたのです。映画『あん』でも樹木希林さん演じる徳江を通して、ハンセン病だった方々の苦難の人生が描かれていました。

かつては不治の伝染病とされ、患者たちは隔離政策と社会の偏見や差別にたいへんな苦痛を味わってきました。ちなみにハンセン病はらい菌によって感染する伝染病で、感染力はきわめて弱く、現在では感染したとしても薬で完治できます。

多磨全生園と作家・北条民雄



全生園案内図

この全生園には2021年4月時点で128名が入所なさっています。その平均年齢は86.9歳といい、入所者数は年々減少しているのです。

映画監督の宮崎駿さんもかつて全生園の近所に住んでいたそうで、映画『もののけ姫』の制作に息詰まると全生園を散策し、また入所している方々と交流し、鼓舞されたそうです。そして全生園とは「生きるということの苦しさとそれに負けずに生きた人の記念碑」と語っています。

隠れた史跡

正門を入るとすぐに園内の案内図と、その横には「全生園の隠れた史跡」と書かれた地図も掲げられています。

入所している方々にとって、戦後、特に近年は人間としての尊厳を取り戻す闘いでした。かつてどういう施設だったのか、という負の歴史が隠すことなく史跡の地図に記されています。

収容門跡

正門を入って左手に歩くとすぐに「収容門跡」という案内板があります。かつて入所者は正門ではなく、ここにあった収容門(通用門)から入ったそうです。門の内側には門衛駐在所(通用門見張り所)があり、隣に診察室と浴室が設けられ、まず入浴消毒させられたといいます。

収容門跡説明版

「収容門」は、北条民雄の書いた『いのちの初夜』にも登場します。物語のなかで、医師は、北条民雄を彷彿させる主人公の尾田を一目見て「ははあん」「お気の毒だったね」と言い、入浴の後、棒縞の着物に着替えさせました。そのときの心境を「監獄へ行く罪人のような戦慄を覚えた」と記しています。

文庫本

この北条民雄という名前は仮名です。彼は大正3年(1914年)に朝鮮の京城(現在のソウル)に生まれ、母親の実家、徳島県阿南市で育ちます。昭和7年(1932年)に結婚しますが、翌年ハンセン病を発病し破婚。昭和9年(1934年)にこの全生園に入り、創作を始めました。川端康成と書簡を通して師事し励まされます。そして昭和11年(1936年)『いのちの初夜』で文學界賞を受賞。いちやく新進作家として注目を浴びますが、翌年23歳の若さで亡くなってしまいます。

ちなみに上の写真、『いのちの初夜』が2020年に角川文庫から復刊となりました。興味のある方はぜひお読みください。

ヒイラギの垣根 そして小さな白い花



ヒイラギの垣根

そしてヒイラギです。かつては全生園の周囲に張りめぐらされていたヒイラギの垣根。いまはずいぶんと少なくなりました。ひょっとしたらヒイラギではなくヒイラギモクセイかもしれません。どちらも硬い葉の先端は尖って、縁にはギザギザがあります。枝も硬く密生します。そのためヒイラギの垣根をすり抜けることが難しく、出入りを防ぐために垣根として重用されました。

ヒイラギの葉UP

強制隔離は北条民雄が入所する少し前から強化されていました。幅3.6m深さ2.7mの堀割と、掘った土を盛った土堤、そして出入りしやすい場所には棘のあるカラタチの木が植えられ、職員の住む地域との境界には有刺鉄線が張り巡らされ、逃亡した者は監房に入れられました。また、後になってからは堀を掘らずにヒイラギが植えられることになったといいます。

歩道の垣根

ここ数年、全生園のヒイラギの垣根が少なくなっていると、インターネットで情報を得ていました。それを確かめるべく、2021年11月に久しぶりに全生園を訪ねてみると、たしかに東側から南にかけての垣根がなくなり、代りに網状のフェンスに代わっていることが確認できました。

ヒイラギの垣根を伐採している理由はわかりません。ヒイラギは密生して見通しがきかなくなるので、ひょっとしたら交通安全のためかもしれませんし、防犯上よろしくないということかもしれません。

残っている垣根

一方で、ヒイラギは全生園のシンボル的な存在でした。全生園に入所している方々の苦難をいまに伝える歴史的象徴的な存在ともいえるのです。個人的にはヒイラギが消えゆくのは残念ですが、はたして入所されている方々がどう思っているのか。

ヒイラギの花UP

初冬の時期にヒイラギの花が咲くといいます。ひょっとして、と花を探してみましたが、見当たりません。唯一、一輪だけ小さな花を見つけました。散り際なのか、これからなのかはわかりませんが、白い小さな花です。ヒイラギ、またはヒイラギモクセイの花なのでしょうね。晩秋のまぶしい陽射しに清新に輝いていました。

全生園のいまと昔を歩く



復元された山吹舎

全生園の園内は、入所者の居住地域を除けば、自由に歩くことができます。上の写真は園内に復元されたかつての入所者施設「山吹舎」。昭和3年(1928年)に入所者たちによって建てられた木造平屋建てで、昭和52年(1977年)まで男子独身寮として使われていました。12畳半の部屋が4室あり、多いときには1部屋に8名が生活していたそうです。

ちなみに、この「山吹舎」の復元には宮崎駿監督も協力援助をしたといいます。

入所者の住宅

いまでも園内には平屋建ての「寮」と呼ばれる入所者の住宅があり、畑もあり、入所者たちが普通に暮らしています。

また園内には入所者たちが長い年月をかけて植樹した、静かな木立もあちこちにあります。望郷の思いで植え付けた全国各地の樹木もあるのです。

芝生広場に代わった

以前は古い平屋の住居棟が建ち並んでいた場所も、居住者が減ってきたためでしょうか、取り壊されて広い芝生広場が作られていました。昔の光景を知っていると妙な寂寥感もあります。

ショッピングセンター

園内には小規模ながらショッピングセンターやレストランもあります。以前訪ねた時に、ここで平沢保治さんとお会いしてお話しすることができました。平沢さんは全生園入所者の自治会長やハンセン病の語り部を務められてきた方です。

園内の通り

北条民雄が暮らしていた当時、ハンセン病になった患者たちは偏見と差別に苦しむとともに、人としての価値や尊厳を失うことも多々あったそうです。『いのちの初夜』で、北条民雄を彷彿させる主人公の尾田は入所前に自殺を試みます。入所も逡巡します。そして入所すると病気の進行や盲目になることを恐れます。北条民雄は「底の見えない洞穴へでも墜落する思い」と記しています。

築山

園内にある「築山」。「望郷台」とも呼ばれていたそうです。かつて逃走防止のために自ら掘り起こした土を入所者たちは望郷の念に駆られて積み上げ、築山(高台)を造ったのです。彼らはこの高台から遠い空を眺めて故郷や家族を想い、涙したといいます。

お寺

園内の東側には浄土真宗や真言宗、日蓮宗などの寺院や教会が建ち並んでいます。かつては入所すれば、ここで一生を過ごすことになったからでした。

教会

ちなみに2021年7月、東京オリンピックの聖火リレーに平沢さんは車いすに乗って登場し、全生園で聖火を受け継ぎました。この地を第二の故郷として生きた証しとして、また園内の豊かな自然や史跡、そして人権の大切さを伝えたいという入所者たちの強い思いを代弁してのことだったそうです。

いのちと尊厳 北条民雄と川端康成



国立ハンセン病資料館

全生園の東側にある国立ハンセン病資料館。ハンセン病回復者とその家族の名誉回復を図るため、ハンセン病問題に関する知識の普及啓発を行う施設です。新型コロナウイルス感染拡大防止のため一時は事前予約が必要でしたが、2022年1月現在は、個人なら自由に入場でき、10~30人の場合、事前の予約が必要です。詳しくは公式サイトを参照してください。

母子像

資料館の玄関前に「母子遍路像」が建っています。かつてハンセン病患者たちは故郷を追われ、四国遍路をする人も少なくなかったといいます。映画『砂の器』を思い浮かべます。

納骨堂入口

また資料館の近くには、入所者の納骨堂があります。ほとんどの入所者は、ここに葬られました。北条民雄もここに眠っています。彼の本名は親族も差別を受ける恐れから、長いあいだ公表されてきませんでした。そして死後77年たった2014年、ようやく親族の了承を得て公開されています。

尊厳回復の碑

納骨堂のかたわらにある「尊厳回復の碑」。川端康成は北条民雄と書簡で交流を深めましたが、実は北条民雄は一度だけ全生園を抜け出して、鎌倉に住む川端を訪ねています。そして鎌倉駅前の蕎麦屋で川端と面会しているのです(北条はその後、全生園に戻りました)。

川端はハンセン病をむやみに恐れていませんでした。あの時代、きちんと病気を調べて、北条と会って語らうことに問題はないと正しく理解していたようです。

文庫本

その後、川端康成は、北条民雄の訃報を聞くと、急ぎ全生園に駆けつけました。その時の様子は『寒風』という短編小説に描かれています。事務員から聞いた話として『寒風』にはこんなエピソードが綴られます。

親と別れて入所する子どもと、子どもを家に残してきた母親や父親が、お互いそうしたいと思えば、全生園で親子として一緒に暮らすことがあるのだそうです。川端は「それはいいですね。それはいいですね。と私は胸の温まるのを感じた」と記しています。あらためて『寒風』を読むと、切ない気持ちになります。

紅葉

コロナ禍のいま、誰もが不安に陥り、心を閉ざし、人を分け隔ててしまいがちです。でも、こういうときだからこそ、人とつながり、人を思いやる気持ちは大切です。そして誰のいのちも同じように大切なものです。

ヒイラギの花UP

あのヒイラギの小さく白い花、どうして偶然に一輪だけ見かけることができたのか、いまも不思議な気持ちです。

多磨全生園 国立ハンセン病資料館
住所:東京都東村山市青葉町4-1-13
電話:042-396-2909
休館日 月曜、祝日の翌日 10~30名は事前予約が必要
公式サイト:https://www.nhdm.jp


[All Photos by Masato Abe]

情報提供元 : TABIZINE
記事名:「 1本の木に会いに行く【33】多磨全生園のヒイラギと作家・北条民雄<東京都>