はじめに
日本紙幣に描かれている、有名人たち。
名前や顔は浮かぶけれども……その功績は、ぼんやりとしか覚えていない方も多いのでは?
そこで今回は、意外にも日本全国各地にゆかりがある、日本紙幣に描かれている有名人を解説します♪
日本紙幣の有名人:1,000円札「夏目漱石」
東京出身の夏目漱石(なつめそうせき)。
英語教師になった後、イギリス留学もした人物です。
帰国後は転職し、朝日新聞社へ入社。働きながら小説を執筆したりと、仕事に対して精力的に取り組む方でした。
そんな夏目漱石は、大のお風呂好き♡
小説の多くに温泉街や銭湯が登場しており、特に『坊ちゃん』で登場する、道後温泉が有名ですよね。
舞台になった場所には、記念碑などが建っていますよ。
様々な場所が小説に登場するのは、東京で忙しい生活をしていた夏目漱石の旅への想いが込められているのかもしれませんね♪
道後温泉
日本紙幣の有名人:1,000円札「野口英世」
苦労の人でもある野口英世(のぐちひでよ)は、細菌学者。
小さい頃に左手に大火傷を負い、指が動かなくなってしまいます。成績が優秀であったこともあり、友達や学校の募金によって、15歳の頃に手術を受けて成功します!
そんな体験から、自身も医者を目指すようになりました。
研究のためにデンマークに留学し、ペルーやエクアドルにも訪問。当時の日本人にしては珍しく、何度も海外へ出向いていました!
そしてアメリカ人の女性と結婚。夫婦仲は周りが認めるほど良かったのだそう♡
51歳のときに感染症にかかってしまうまで、研究を全うしました!
現在の医療技術が発展しているのも、野口英世のおかげなんですね♪
野口英世記念館
日本紙幣の有名人:5,000円札「新渡戸稲造」
5,000円札に描かれたいた、新渡戸稲造(にとべいなぞう)。
彼は日本の思想家です。
東京女子大学の初代学長も務め、農業経済学の分野でも力を発揮しました!
小さい頃から医者に英語を習い、習得。とにかく秀才だったんです。
岩手県出身の新渡戸稲造は、現在の北海道大学へ入学し、その後は東京へ居を移します。
国際連盟の事務次長を務めあげ、日本の顔としても活躍した人物なんです。
新渡戸稲造の奥さんもアメリカ人でした♪
仕事で滞在していたカナダで、71歳のときに亡くなります。
カナダには、「新渡戸記念庭園」があるんですよ。
新渡戸記念庭園(英語サイト)
国際的にも活躍した新渡戸稲造は、数々の名言を残していることでも有名です。
「いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。
逆境にある人は常に、『もう少しだ』と言って進むといい。やがて必ず前途に光がさしてくる。」
「世の中には、譲っても差し支えないことが多い。」
努力家であり、交流関係も多かった彼らしい言葉ですね。
日本紙幣の有名人:5,000円札「樋口一葉」
東京出身ではありますが、一家が山梨県の百姓であったため、山梨県にゆかりのある樋口一葉(ひぐちいちよう)。
24歳の若さで亡くなってしまいますが、小説家として活躍していた1年半の間に、発表した作品が次々と反響を呼び、売れっ子の作家となりました。
それだけに、若くして亡くなったことを惜しむ声が今なお絶えません……。
兄弟が多かった樋口一葉。家庭の事情により、生涯の間に12回も引っ越しをしたのだそう!
町田や本郷など、東京の各地で生活をしていました。
ちなみに樋口一葉のお墓は、有名な築地本願寺にありますよ。
築地本願寺
日本紙幣の有名人:10,000円札「福沢諭吉」
もし次に紙幣のデザインが刷新されるのであれば、バトンタッチするかもしれない人物が、福沢諭吉(ふくざわゆきち)です。
1984年から使用されている10,000円札に描かれて以来、2016年の現時点でもデザインは変わっていません。
大阪で生まれた福沢諭吉は、後に東京で活躍します。
福沢諭吉といえば、慶應義塾大学の創始者。
その他にも専修大学や一橋大学の創設にも携わりました。
学問の大切さを人々に広めた福沢諭吉は、『学問のすゝめ』や『西洋事情』を執筆したことでも有名ですよね。
実は日本で初めて損害保険の存在を教えたり、カレーという言葉を広めたり、居合(いあい)の達人であったりと、情報通で多才な人物でもあったんです。
慶應義塾大学
おわりに
身近なお札に描かれた人物の功績と、ゆかりの地をご紹介しました。
旅行の計画を立てる際に、テーマを決めて旅程を組むと、また一味違った知的体験ができそうですね♪
ぜひ旅行の参考にしてみてください♡