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リーダーに「リーダーシップ」は必要ないのかもしれない。経験からわかった結果を出すことに必要な3つの要素


筆者は「東京フォッケウルフ」なる中年草野球チームを主宰するとともに、そのチームキャプテンすなわち「主将」を務めている。それに関連して過日、チームのK選手およびA選手が「リーダーシップというものについて主将殿とぜひ鼎談させていただきたい」と筆者に申し出てきた。


K、Aの両選手が毎週放送している草野球関連のポッドキャスト(意外と聴取率が高いらしい)のゲスト話者として収録スタジオに招かれたのだ。


この原稿がクルマと関連する話になるかどうか我ながら不明だが、今宵行われる収録のための予習的な意味合いで、今回のカーゼニは「リーダーシップ」なるものについて考えてみたい。


リーダーに「リーダーシップ」は必要ない?



K選手から事前に送られてきた電子郵便によれば、今宵の収録のテーマというか仮タイトルは「リーダーシップなんていらない?」というものだそうだ。


……さすがは某県随一の伝統進学校を優等なる成績で卒業したK選手とA選手、物事をよくわかってらっしゃる。


つまり、わたくしというチームキャプテンには「リーダーシップ」などという成分はほぼ皆無であることを、とうに見抜いていらっしゃる――ということだ。


「ウチの主将にはリーダーシップがまるでない。にもかかわらずチームは妙にうまく運営されており、むしろ活気づいている。それはいかなるメカニズムによって実現されているのだろうか?」ということを、おそらく今宵の我々は話し合うことになるはずだ。


この問題については、わたしの中での答えはすでに出ている。


答えというかその秘技とは、「馬鹿になる」ということだ。


いや、より正確に言うなら「もともと馬鹿である自分の姿を偽らずに、格好つけずに、そのままさらす。そのことにより、周囲の者らの自発的行為を誘発させる」ということになるだろうか。


「自分は優秀である」という大きな勘違い



説明しよう。


人は誰でも格好をつけたがる。自分を、実際のそれよりも良きものとして周囲に見せたいと、心のどこかで思っている。


わたくしもそうだった。


基本的には愚鈍な馬鹿者であるにもかかわらず、まるで「優秀な人」であるかのごとき虚像を醸成すべく、さまざまな恥ずかしい努力をした。


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