今回は前回に続き、日本の道路行政と高額な税負担について書こうと思います。
歴史的に道路の整備が進まなかった日本
詳細は後述しますが、結果的に日本では自動車の税負担が高額化してしまった一番の要因は日本では歴史的に道路の整備が進まなかったということでしょう。もちろん、「東海道五十三次」等の宿場町をつなぐ「街道」というのは存在しましたが、ローマ街道のように道路として舗装されていたというわけでもなく、砂埃が舞い雨が降ればぬかるみになるという酷い有様でした。
近代に入るまで日本での移動手段は徒歩が中心で、乗り物を使った移動は河川が多く海に囲まれた国土事情から、車両よりも船を使った移動が中心だったようです。意外と知られていないのですが、実は日本では明治に入るまで馬車がありませんでした。明治に入るまで日本古来の馬の品種に車両を牽けるだけの体格をもった品種の馬がいなかったのだそうです。とは言っても、日本にも車輪の付いた乗り物の文化がまったくなかったというわけではありません。
CLの読者の皆様も昔、歴所の教科書で平安貴族の「牛車」の絵を見た記憶があるのではないでしょうか?牛というと鈍重そうなイメージがあるかもしれませんが、欧州のサラブレッドと同様、日本でも足の速い牛は貴族の間で珍重され、当然速い牛を所有する事はステイタスであり、貴族が乗った牛車が並べばその場でスピードを競い合ったといいます。
当然、舗装もされてないでこぼこ道でスピードを出せば横転したり、牛車から転げ落ちたりという「交通事故」も発生するのですが、当時の貴族たちはスピードだけでなく事故で大怪我をすればそれも自慢のタネになったというあたり、今も昔も日本の走り屋のする事はたいして変わっていないようです。日本では馬のエンブレムのフェラーリよりも牛のエンブレムのランボルギーニの人気が高く、カウンタックやミウラが今も強大なカリスマ的人気を誇るのがなんとなくわかるような気がします。