自慢じゃないがゼニがない。いやさすがに長屋の店賃を遅滞なく払い、そのうえで米・味噌・醤油を入手する程度のゼニは稼いでいる。だが毎月晦日にそれらのツケを三河屋に支払うと、手元には三文銭数枚しか残らないという体たらくだ。一刻も早くこの状況をカイゼンしなければ、次のクルマを買うこともできない。
だがどうすればいいのだろうか?
原稿の「単価」を上げるしか手はない
「どうすればいいのだろうか?」といっても、今から何らかの情報テクノロジー企業をスタートアップさせCEOに就任し、そして億単位でのエグジットを狙うというような商才も頭脳も、遺憾ながら小生にはない。
ならば「自分にできることの量と質を地道に上げていく」ということのほかに、打つべき手はないように思える。
自分の場合は「フリーランスの雑文書き」という社会の最底辺層にある職業に従事しているわけだが、その場合でいう「量」というのはまあ単純な話で、出版社や情報企業などにいる親方(発注者)に納品する原稿の分量および頻度のことだ。
しかし親方に納品するべき雑文の分量および頻度というのは、わたくしが決めているわけではなく、あくまでも親方たちが決定している。
そのため800字の注文原稿を勝手に8万字まで増やすことはできないし、「週イチで納品してください」と言われている雑文を、まるで恐怖新聞のように毎朝送りつけるわけにもいかない。
となれば「質」を上げていくほかない。質といっても、自分が書く原稿のクオリティは今さら上がらないと思われるため、「単価」という名前の質を上げるのだ。
単価が超高い媒体もあるが、私の出番はない
各位もある程度ご存じかと思うが、クルマ媒体に限らず「原稿料」というのは本当に千差万別である。会社や媒体によって天と地ほどに違うのだ。
自分の場合、平均して1日あたり2~3本の注文原稿を書いているのだが、その2~3本のギャラで特上うな重の特盛2人前を頼んでもまだお釣りがザックザクくる日もあれば、本数は同じ2~3本なのに、牛丼と味噌汁、まぁせいぜいそれに生卵とお新香と、あとはビール小びん1本を付けるぐらいが関の山……という日もある。
これすべて「単価の違い」ゆえである。