写真下は言うまでもなく実際にバイクで超絶コーナリングをしているわけではなく、青山一丁目のホンダ本社ビル1階に置かれていたものに、許可を得たうえでまたがり、係員の方にアイフォーンでパシャッと撮ってもらったものだ。
しかしまぁアレだ、GPマシンというのはものすごいバンク角で曲がってるんですなあ。自分なんぞは、コレにただまたがるだけでも結構苦労しましたよ。
久々に思い出した「昔は飛ばしていたなぁ」ということ
高校3年生の夏以来だから、32年ぶりだろうか? いずれにせよ超絶久々にバイクに乗ってみて(いや乗ったわけではなくまたがっただけだが)思ったのは、「こんな自分にも、そういえばスピードを追い求めていた時期があったよなぁ」ということと、今やほぼ完全に失われてしまっている「スピードへの情熱」についてのあれこれだった。
そして同時に「自動車批評のあるべき姿」についても、なんとなく思いを巡らせたのであった。
順を追ってご説明しよう。
現在は自動二輪のマシンはおろか免許さえ持っていない自分だが、青少年だった頃はいかにも青少年らしくオートバイに憧れていた。そして16歳の誕生日が来る前から熱心に教習所へ通いはじめ、誕生日とほぼ同時に自動二輪の運転免許(中型限定)を取得。当時発売されたばかりのホンダCBR400Fをソッコーで購入した。
そして都内および近郊各地を爆走しまくった。爆走といっても珍走団(当時は暴走族と呼ばれていたが)に加入していたわけではないので、あくまでも単身の硬派ライダーとして硬派にかっ飛んでいただけだ。
若い頃は本当にアホなライダー/ドライバーだった
だが「硬派ライダー」と思っていたのは本人だけで、周囲の大人らの冷静な視点から見れば「アホなガキがいきがってる」ぐらいの感じだったのだろう。
確かにそうだった。
生き延びたのは「たまたま」あるいは守護霊のおかげ(?)でしかなく、超絶ハイスピードで四輪車の左側をすり抜ける際などに、左折に巻き込まれ、十代にしてあの世へと旅立つ機会は(今にして思えば)何度もあった。ほんと、たまたま生き延びたに過ぎない。
そんな運転をしていれば早晩、官憲に捕らえられるのは自明のことだ。
高2のときに速度超過で6点を献上し、そして高3時に12点を献上して、自分の自動二輪運転免許はあえなく消滅した。